薄暗い洞の中、は瞳を凝らし、微かなうなり声の聞こえる闇を見つめた。
 鼻をつく強いアンモニア臭と腐臭、獣特有の匂いに、目が痛い。袖で鼻と口を押えながら闇を見つめていると、やがて闇の中に横たわる巨大な獣の姿が見えた。

 紅のたてがみと、幾重にも広がる深い翠の角。咽から腹部にかけては所々茶色く薄汚れた白い毛がおおい、ルークの胴よりも太い足と茶色の毛におおわれた背には縞模様が走っている。花のように広がった尾は、胴体とそう変わらないほど大きく、振り回されれば十分な驚異となるだろう。

 ライガ・クイーン。

 洞に辿りつく前に、何度かその子どもであろうライガを見かけはしたが……確かに、目の前の獣には女王たる風格があった。

「……あれが女王ね……」

「女王?」

「ライガは強大な雌を中心とした集団で生きる魔物なのよ」

 を背中に隠しながら、ティアは洞の中を進む。
 侵入者に気がついたライガ・クイーンは、頭だけをこちらに向けた。

「ミュウ。
 ライガ・クイーンと話をして下さい」

「はいですの!」

 ルークに続いて洞の中央へと進むイオンが、を振り返って、その胸に抱かれたミュウを呼ぶ。
 イオンの呼びかけにミュウは元気よく答えると、の腕の中から飛び下り、一行の前へと進みでた。

「みゅう、みゅうみゅう。
 みゅみゅーみゅ……」

 何やら身ぶり手ぶりを交えてライガ・クイーンに訴えかけるミュウに、顔だけを向けていたライガ・クイーンは巨体を揺らして体をゆっくりと起こした。
 パキリっとベッドの材質として使われていた小枝の折れる音が妙に響く。
 太い前足の後ろに、卵が2つ見えた。

 ――――――と、ライガ・クイーンが咆哮をあげる。

 巨大なライガ・クイーンが十分に動ける広さがあるとはいえ、そこは狭い洞穴。ライガ・クイーンの吐息は暴風となってミュウを襲う。

「ミュウ!」

「大丈夫ですか!?」

 暴風に吹き飛ばされ、足下に転がってきたミュウをとイオンは見下ろした。

「おい、あいつ何て云ってんだ?」

 小枝を鳴らしながら立ち上がるライガ・クイーンに、ルークがさすがに不味い雰囲気を察する。ルークは木刀の柄に手を添え、目だけはライガ・クイーンから反らさず、ミュウに『交渉』の成りゆきを聞いた。

「卵が孵化するところだから……来るな……と云っているですの」

「「!」」

「卵ぉ?」と聞き返すルークの横で、ティアとイオンの顔つきが変わる。

「まずいわ。
 卵を守るライガは狂暴性を増しているはずよ」

「じゃあ、出直すってのか」

 もうすでに出直せるような雰囲気ではないのだが。
 ルーク達の会話には参加せず、はライガ・クイーンを見つめた。
 紅いたてがみのライガの女王。
 現時点でのルークにとって、倒さなければいけない『初めてのボス』。
 後々解る事実としては……アリエッタの養母。
 雄々しい姿に畏怖の念を抱き、一歩後ろに下がると、それを合図としたように、ライガ・クイーンが吠えた。
 最初の威嚇とは明らかに違う咆哮に、暴風が洞穴の中を暴れ回る。ついさっき吹き飛ばされたミュウと同じように、吹き飛ばされそうになったを、イオンが抱き寄せた。ぱらぱらと天井から落ちてくる土塊から守られながら、はルークが土塊からミュウを守る瞬間を見た。

「あ、ありがとうですの」

 やルークから見れば小さな土塊であっても、体の小さなミュウからしてみれば違う。人間にはちょっとの衝撃であっても、ミュウとっては死に繋がる衝撃となる。
 助けられ、お礼をいうミュウに、ルークは眉を寄せて顔を反らした。

「勘違いするなよ。
 おめーを庇ったんじゃなくて、イオンをかばっただけだからな!」

 当のイオンはを庇い、多少の土塊を受けているのだが。

「大丈夫ですか? 

「はい……」

 なんというのか、立場が逆な気はしたが。
 はイオンの腕の中で小さく頷く――――――と、重量感のある足音を響かせながら、ライガ・クイーンが近付いてきた。

「ボク達を殺して、孵化した仔ども達の餌にすると云ってるですの……!」

 ある意味では、通訳しなくてよい言葉を訳し、ミュウは震える。

「……来るわ。
 導師イオン、とミュウと一緒に後ろにおさがり下さい」

「はい。
 さあ、……

「ミュウ、おいで」

 イオンに手を引かれ、云われるままに後ろへ下がるの胸にミュウが飛び込む。小刻みに震える小さな体を宥めるように撫でながら、ちょうど人間2人ぐらいが隠れられる木の根の影に身を寄せた。

「お、おい……ここで戦ったら、卵が割れちまうんじゃ……」

「残酷かもしれないけど、その方が好都合よ」

 ティアはライガ・クイーンとの間合いをはかりながら杖を構える。

「卵を残して、もし孵化したら……
 ライガの仔どもたちがエンゲーブを襲って消滅させてしまうでしょうから」

「く、くそっ……!」

 ルークに云い聞かせるというよりは、自分に云い聞かせるように、ティアは呟く。
 己の感情を隠すように表情を消したティアに、ルークは小さく舌打った。