薄靄の支配する世界を、は走る。
 細い農道を走っている間に、太陽はどんどん高度を増してた。
 今や、完全に夜は明けている。

 早朝のひんやりとした空気の中、食料の村エンゲーブの朝は早い。宿の窓からはイオンの姿しか見えなかったが、農道を走っていると、幾人かの村人とすれ違う。昨日出逢った『畑に隠れて姿の見えないおじさん』もすでに働いていて、の姿を見つけると挨拶を投げてよこした。

(……っていうか、なんで1人で出かけるんだろう?)

 すれ違う村人と挨拶を交わし、時々『導師イオンを見かけなかったか?』と聞きながら、は農道を進む。『イオンらしい少年が村の北に向かって歩いているのを見た』と目撃証言を得て、は『やっぱり……』とため息をもらした。

(親書待ちの時間潰しにしたって、せめてアニスを連れて……)

と、気が付く。

(反対されるから、か……)

 導師守護役に反対されるから、何も云わずに1人で出かける。
 一見かよわく儚気に見える少年は、しかし戦闘能力はその外見にはそぐわない。チーグルの森で彼がダアト式譜術を使った時、3匹の魔物を一度に倒したはずだ。
 確かに、戦闘能力はある。
 彼は貧弱ではない……虚弱ではあるが。
 それを補い、また助けるための導師守護役であるのに。それを反対されるから、と一言も声をかけずに1人で街の外に出ようなどと……これでは、頭が良いのか悪いのか、わからなかった。

「……せめて、村から出る前に追いつけますように……」

 小さな希望を声にだし、は祈るように走り続ける。

 北へとのびる農道に、数人の村人の姿。
 その中にイオンの黒髪は、まだ見えなかった。





「導師イオン?
 ああ、ついさっき、ここから村の外に出ていったよ」 

 村の警備軍をつとめる青年は、ローレライ教団最高指導者の姿を直に見れた事を誇るかのように、陶酔しきった表情を浮かべた。
 その青年のさわやかな―――もしくは、緩みきった―――笑顔を浮かべる顔に、は一抹の怒りを覚える。

「……っていうか、14才の子どもが1人で村の外に出るのを、
 なんで止めなかったんですか?」

 青年の笑顔が恨めしい。
 結局、願い虚しく村の中でイオンに追い付くことは出来なかったようだ。

 宿屋から村の出口までずっと走り続けたは、呼吸を整えながら青年を軽く睨む。

「子どもといっても、ローレライ教団のお偉い導師様だし、魔物ぐらい……」

「お偉い導師様だったら、魔物も怖くないって云うんですか?」

 そんなはずないだろう、とは眉を寄せる。
 導師という位についてはいるが、イオンは14才の普通の少年だ。レプリカとしての実年齢からすれば、イオンの10倍は生きているでさえも、タタル渓谷で魔物に襲われた時は恐怖に足が竦んだ。

 に睨まれ、背筋を伸ばした青年から目を背け、考える。

(……このまま追い掛けるか、ティア達を待つか)

 確かに、イオンに追い付けば、盾ぐらいにはなれる。
 そう思う。
 そう思いはするが――――――とて、怖くないという訳ではない。

 問題は、

(……ルークが素直に起きてくれると良いんだけど……)

という事になる。

 これに関しては、あまり自信が持てない。
 守備よくティアがルークを起こしたとして、『が先に行っているから急げ』などと云えば……彼の事だ。『急ぐ必要はない』だの『あぁ? なんで俺があの女のために起こされなきゃなんねぇーんだよ!』とか云い出して、二度寝に突入しかねなくもある。

 むしろ、そんな気がしてきた。






「導師を追いかけます」

 1人で結論をだしたの行動は早い。
 するりと青年の横をすり抜け、は村の出口に向かう。

「……あっ! ちょっと、アンタ!!」

 導師イオンは『導師だから、大丈夫だろう』と見送ってしまったが、目の前の娘には『導師だろうと14才の子どもと変わらない』と怒られたばかりであったし、導師であろうとなかろうと、女性が1人で村の外に出ることには危険が伴う。
 さすがに止めない訳にはいかないと、青年はを呼び止めようとしたが、は青年の制止を聞き流した。

「すみませんが、後からわたしの連れがここに来ると思うので、
 北の森へいった、と伝えて下さい」

 そう早口にまくしたて、は青年に背を向ける。
 そのままの勢いで、は再び走り出した。