結局、乗る馬車を間違えた事が発覚した後、近くの村まで乗せてもらうことにしたルーク達は、正午過ぎにエンゲーブに到着した。
 到着早々、ルークは扉から一番遠くにいたにも関わらず、とティアをかき分けてまっ先に馬車をおりる。それから深呼吸をしながら体を伸ばした。
 は僅かな時間だけの旅仲間であったが、他の乗客達に軽く会釈をして別れを告げる。その横でティアが何かいいたげな顔をしていたが、馭者に促され先に馬車をおりる。続いて馬車をおりるに手を貸そうと、手を差し出した馭者は、の顔を見て息を飲んだ。

 暗い渓谷での僅かな対面。
 昨夜は気が付かなかったが、自分が馬車に乗せた娘の髪と瞳の色は……黒い。

 明るい陽光のもと、改めて見たの髪に、馭者は姿勢を正した。

「ダアトのお偉い導師さまでしたか。
 それなら、お代は頂きません! 頂けません。
 ローレライ教団の導師さまからお金をとったとあっちゃ……始祖ユリアと母さんに睨まれちまうよ」

 早口にまくしたてた馭者に、は手を取られたまま首を傾げた。
 それからティアに視線を移し、ルークを見る。
 ルークは馭者の態度に目を丸くし、ティアは軽く頭を押さえている。ということは、ティアには馭者の態度に、思い当たることがあるのだろう。
 本人とルークには、馭者が態度を変えた理由が解らなかったが。

「……あの?」

 『代金の代わりにティアのペンダントを差し出す』
 これが正しい『筋書き』だ。
 なのに、目の前の馭者は『ペンダントをいらない』と言い出し、あまつさえ……よく解らない事を早口でいっている。

 首を傾げならが馭者を見上げると、の黒い瞳に見つめられた馭者は愛想よく笑った。

「……『導師さま』って……?」

 ローレライ教団の導師と言えば、導師イオンただ一人。

 ティアの認識としては、『ダアトにいるはず』。
 ルークの認識としては、『行方不明中。大好きなヴァン師匠が捜索のため帰国予定』。
 の認識としては、『今頃は倉庫を調べているころではないだろうか?』。
――――――と、3つの感想にわかれる。
 が、どれ一つとってみても、『馭者の目の前にいる』はずのない事はだけは解る。
 ということは――――――

「わ、わたしは『導師』じゃないです……よ」

 髪の色が似ているから、勘違いされているのだろうか?
 イオンの髪も、の髪も黒髪で、ゲーム中に黒髪―――むしろ『ポリゴン』は緑髪に見えたが ―――の『キャラ』はいなかったような気がする。
 そう思いいたり、は首を大きく振った。

 勝手に勘違いをしている馭者に落ち度があり、このまま代金を踏み倒せるのならば、それに越したことはないが。
 ここで勘違いを正してやらなければ、は『騙り』を行ったことになる。
 さらにいえば、『筋書き』が変わってしまう。

 『自分の存在』が、こうも容易く『筋書き』に影響を与えるとは、思ってもみなかった。

「それに……」

 ペンダントは、馭者の手に渡らないと困る。
 馭者という『キャラクター』が家に帰れなくなってしまうし、ティアに対して髪を切ったルークが優しさを見せる『サブイベント』がなくなってしまう。

 意図せずズレはじめた『筋書き』を、如何にして修正しようか。
 が思い倦ねいている間に、馭者は鞄にしまっていたティアのペンダントを取り出していた。

「あ……」

 鞄のすき間から見えた蒼い輝きに、ティアが小さく声を漏らす。
 ルークとへの責任感から、一度は手放す覚悟をしたペンダントだったが、戻ってくるとなれば……喜びは隠せないのだろう。
 ほんの少しだけ動いた表情に、は申し訳なく思う。
 戻ってくるかもしれないと希望を抱かせた大切なペンダントを、はもう一度馭者に渡さなければならないのだから。

 ペンダントを受け取ろうと、手を上げかけたティアの腕を、が掴んでとめる。
 僅かに眉を寄せてティアが振り返ったが、は首をふって答えた。

「わたしは、導師ではありません」

 馭者の勘違いを正直に指摘し、は苦笑を浮かべる。

「それに、このペンダントは……あなたを助けてくれます」

 家に帰るまでの、船代と宿代として。

 の願いを叶えるためには、然るべき時まで『筋書き』をかえることはできない。
 大人しく然るべき時まで『筋書き』を『傍観』すると決めたからには、些細な揺らぎすらも修正する必要がある。は本来、オールドラントの人間――――――『アビスのキャラクター』ではないのだから。が一人いるだけで、あっさりと筋書きをかえる『お話』を、望む『分岐点』にいたるまでは守らなければならない。

 少しだけ不満げに眉を寄せるティアに、は小さく笑う。

「大丈夫、だよ。
 役目を終えれば、このペンダントは絶対にティアの所に帰ってくるから」

 『変わりたい』と願う、髪を切ったルークによって。人の手にわたったペンダントは見つけだされ、買い戻される。
 『ティアを傷つけた』と、謝罪の言葉とともに。

「だから、今は……」

 ペンダントを諦めて。
 そう云われることは、ティアにとってとても辛いことであっても。
 としても、辛い言葉であっても。

 云わない訳にはいかない。