軽めの着信音が、メール受信を知らせる。
 バイト終了後に友人達と遅い夕飯を食べていた僕は、さり気なく携帯を取り出した。 別段誰も気にしちゃいない。みんなその場限りの楽しい会話で、盛り上がっているから。 意味もなく背もたれに強く凭れ掛り、横に座る友人に内容が見えないようにする。
 きっとこの時間なら、母さんからの定期連絡だろう。 そう思いながら受信BOXを開けば、やはり差出人は『母親』だった。

『題名:晴れ。
 本文:帰りが早かった 背中しか向けてくれないけど、話もした』

 題名を見た時点で少し安心する。
 ”晴れ・曇り・雨”の3段階でその日の気分が現されているから、今日は大丈夫ということ。 本文もまだ読める状態。雨の日になると、接続文ナシの意味不明文字が送られてきたりする。
 ちなみにコレは姉貴が中学の頃、激しい虐めを受けていたときに母親と交わしていた暗号らしい。 僕はまだ小学生だったけど、それでも最低な人間がいるものだと本気で世を恨みそうになった。 担任が率先して行う虐め。生徒たちは従うしかない。13歳の姉貴に抗うすべはなかった。 しかも理由が転校生だからときては、馬鹿馬鹿しくて。
 ……まぁそんな時代はとうの昔に過ぎて。現在その暗号は僕と母さんの間で使われている。
 僕が望む望まぬに関係なく送られてくるのだけれども。
 ただそのメールは返信は期待されていない。僕は受け取るだけで良いから、読んだなら直ぐに削除出来る。 まるで感情の捌け口。
『母さんにとって僕は何ですか?』
 おかげで定期連絡が届き始めた当初、こんな台詞を吐いてしまいそうになった。
 だってさ、気持ちの良いものではないでしょう? 昔から弱い人だとは知っていたけれど。ここまで僕に依存して欲しくはなくて。
 けれど、言わなくて正解だと思う。僕はもう、僕が珍しい人間ではないことを知っている。
 だってホラ、今も友人達の会話では。
「俺の母親さ、知らないところで彼女から金借りてたんだよな〜。もう最悪でよぉ」
「うぁ。キツイなぁ」
「だろ!?? だから早く返してやれよ! つったら逆キレしやがってっ」
「彼女なんか言ってたか?」
「まぁ俺の母親だから、信用して待ってるって」
「いい彼女じゃねぇか!」
「そりゃ俺のだからな」
「ノロケかよ!!」
 笑いながらも、母親への不満が織り込まれている。
 こうして話しているけど、実際は深刻な修羅場だったのだろう。 ソレくらいのコトは、皆が判っている。判っていて、笑っているのだ。 それはきっと、それぞれに家庭の事情ってやつを抱えているからなのだけど。

 例えば父親が博打で借金を作っている。
 例えば母親が突然失踪をした。
 例えば兄弟が裁判沙汰を起こしている。

 友人達の話を聞いていれば、皆がそれぞれに苦悩していることが判る。 でも笑う。笑い飛ばして、自分が不幸ではないのだと思い込ませる。 だから僕は母さんからの定期連絡を甘んじて受けていられる。


***


『題名:雨
 本文:聞いてない 出張 突然 嘘だ』

 確かに今日は雨だ。思わず下らない言葉が出た。
 バイトが終わってから開いたメールBOX。いつもより早くに定期連絡が届いていた。 というか7時には届いていたみたいだ。今は11時だからもう3時間も前。 腹部辺りが急に重くなって、携帯を握っていた手がじんわりと汗をかく。早く、帰らないと。
「あれ、夕飯食いに行かないのか?」
 皆を置いて帰ろうとした僕に、自販機でコーラを買っていた友達が声を掛けてきた。 考える間もなく、口を開く。
「ごめん。明日の講義で急にテスト入ったらしくてさ」
「なら仕方ねぇな。頑張れよ」
「おぅ! どうにか落とさないようにするよ」
 さらりと滑り出た嘘と笑顔に、騙されてくれる友人。 本当の理由なんてどうだっていい。今僕が急いで帰らなくちゃいけないというのが、真実だから。
 皆にも謝っておいてと、軽く手を振り駐車場に向かう。 早く、帰らないと。


***


「早かったのね」
「うん。今日はみんな用事があるらしくて」
 灯りのついたリビング。テレビを見ていた母さんが、僕を見て笑う。 僕も上っ面だけ貼り付けた笑顔を返し、キッチンへ向かう。そしてお茶を飲む振りをしてゴミ箱の側に。 やっぱりあった。半透明のビニール袋に割れたガラスグラスが詰まっている。多分2個程。
 良かった。雨は雨でも、今日は小雨のようだ。 大雨の日には、家族全員分の茶碗が割られているから。思わず安堵する。
 けど父さんの出張の日は、必ずと言って良いほどに大雨になるのにな。 お茶を一気に飲み干した僕は、そんなコトを考えながら風呂場に向かった。
 父さんは時々、母さん以外の香りを纏い帰宅した。 別に色男という訳ではない。ただ世の中には、妻子もちの男性に惚れる女性が少なくないのだということ。
 そのことに僕が初めて気がついたのは、小学2年の時だった。 平日の夜、単身赴任をしていた父さんの家に連れて行かれたのだ。 向かう電車の中で、母さんは何も話さなかった。僕ら姉弟も、黙ったままだった。 けれど母さんはその女性に勝った。父さんも母さんを選んだ。
 それから数年後。同じコトが繰り返された。そしてその数年後にもまた。 父さんは多分、ソウイウヒトなのだ。治そうと思っても、治らないのだと思う。
 そしてもう何度目かと数える気もなくす感じで、去年位から父さんの近くに女性の影が出来た。 その所為で母さんは僕に定期連絡をよこすのだけど。
『今日は父さんは出張だって。前から聞いていたわけではないし、多分父さんの嘘だ』
 今日受けた定期連絡を僕が書くなら、きっとこんな文になるだろう。
 突然の出張。うん、絶対大雨の日だ。母さんの様子も普通っぽかったけど、一応のため、シャワーだけにして直ぐに出よう。


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