その翌日、俺は朝から鬼の洞窟に訪れた。
 とは言っても、洞窟から少し離れた所に野宿している俺からは、鬼の様子はいつだって見れたのだが。
「あ、琉夜。来てくれたんだね」
 俺の姿が見えると、鬼が嬉しそうな洞窟の奥から走ってきた。
 洞窟は、本当に単なる洞窟で。中には村から貰ったと思われる二組の布団と、ズタボロの鬼の服が数枚置いてあるだけ。 こんな所でどうやって生活しているのか気になったけど、俺は聞けないでいた。
 そして昨日と同じように、鬼と花壇の前に座る。やはり始めは花の話。
『この芽はどんな花を咲かせるのだろう』と、鬼は愛しそうに芽を見つめながら、己の想像する花を懇々と話し始めた。
「僕はね、きっと真赤な花が咲くと思うんだ。花びらの数は5枚か・・・それ以上でもいいな。 出来ればずっと枯れないで欲しいのだけど、それは無理だから、花が落とした種を植えて、次の花を咲かせるんだ。 あ、でも花が咲いたら村に持って行かないといけないし……どうしようかなぁ?」
 そこまでを一気に話して、次は本気で悩み始める。
 う〜ん……と、どうしたら花を傷つけずに村人に花が咲いたことを証明を出来るか考え込んでいる鬼。 だから俺はその幼い仕草に吹きだしながらも
「そしたら俺が、花は咲いたって村で証言してやるよ」
 と鬼の悩みを解決してやった。


***


 昼になり、俺は鞄の中から干し肉と幾つかの果物を取り出し、鬼にも食べるように薦めた。 鬼はとても不思議そうな顔をしながら、ソレを受け取った。だが全く食べようとはしない。俺は少し考えて、あぁと頷いた。
「別に、毒なんて入ってないぞ」
「毒?」
「疑っているんだろ?」
「何を?」
「コレには毒が入ってるんじゃないかって」
「コレには毒が入っているの?」
「だから入ってね〜って」
「そうなんだ」
「そうそう」
「ところで……」
「何だよ!?」
 苛立った俺の怒鳴り声に、鬼がビクッと身体を震えさせた。
「あ、いや。大声出してごめん。ンで、なに?」
「……毒って、なに?」
 オドオドと答えた鬼に、俺は思わず声を上げて笑ってしまった。 鬼は急に笑い出した俺に驚き、そして自分が笑われていることに気がついたのか、一気に顔を赤くした。 俺は、俺よりも大きくて村でも恐れられているこの鬼が、ひどく可愛く見えた。
 その後で、鬼は干し肉が食べ物だと言うことさえ判らなかったことを知り、俺は更に笑いつづけた。


***


 そんな日が何日も続き、俺達は当たり前のように昼間を一緒に過ごした。 俺は鬼にいくつかの遊びを教えた。どんなに馬鹿らしい遊びでも、鬼は本気で楽しんでいるようだった。 だからどうしてそんなに笑っているのかを聞くと、鬼は少しだけ顔を赤らめて『誰かと遊ぶのは、数百年ぶりなんだ』と言った。
 俺は、純粋な鬼を気に入り始めていた。鬼と一緒に居るのは、嫌いじゃなかった。 けれども、もう俺は山を降りなくちゃいけない。気がつけば、もう十日も経っていた。
 そしてその日の夕方、俺は明日の朝には山を降りることを告げた。 鬼はとても淋しそうな顔をして『もう会えないのかな……?』と聞いてきた。
 俺は少し戸惑って『今日は夜まで一緒に遊ぼう』と笑った。 鬼は一瞬だけ泣きそうな顔をして、すぐに頷いた。

 夜になり、俺は洞窟の中で鬼が敷いてくれた布団に入り込み、隣でもう一組の布団を敷いている鬼を見ていた。
 今日で最後だから、夜中まで話そうと俺から提案したのだ。
 暗いからと焚いた火が、洞窟の入り口付近でチリチリと音を立てて燃えている。 その少し離れた所で顔を出しているあの芽が、その光を受けて薄く光って見えた。
「あんたさぁ、何で芽なんて受け取ったんだ?」
 何気なく口にした言葉に、自分自身で驚いた。布団を敷き終えた鬼が、不思議そうな顔でこっちを見ている。
「あ、えっと。あんたは鬼なんだから、俺たちに変な条件出された時に怒っちまえば、こんな面倒なコトせずに済んだのにって思ってさ」
「あぁ、そういうことか」
 慌てて付け足した言い訳に、鬼が小さく頷いたのを見てホッと息を付いた。そして又変な事を言わないように、枕に顔を押し付ける。
「僕はね、願掛けをしているんだよ」
 俺の頭を、ポンポンっと撫でるように叩いた。
「格好悪いことにね、僕は今までお嫁さんを貰って、一ヶ月一緒にいられたことはないんだよ。皆、僕を置いて何処かに行ってしまうんだ」
 悲しそうな笑みが目の端に映り、俺は思わずガバリと起き上がった。
「あんた、嫁に逃げられてンのかよ!??」
 鬼は嫁を食料にしているから、20年に一度女を奪いに来るのだと教えられた俺には、考えもしなかった事実。 その俺の驚きように目をパリクリさせながらも、鬼が小さく頷いた。
「ここに来た初日とかは皆怯えて一緒に居てくれるのだけどね。僕がこんなだからかな? 一週間くらいすると、山を降りて行ってしまうんだ。それも白谷村とは逆の方に」
 洞窟の中で、鬼はずっと遠くを見ているような目をした。
 きっと鬼から逃げた女達は、白谷村には戻らずに何処か遠くの村に行ったのだろう。 鬼の嫁として山に入ったものを、例え鬼がどんなに呆けていて村に損害を与えないとしても、村は受け入れたりはしないから。
「でも、あんたは止めないのか? 相手が出て行きそうな日くらい、判るんだろ?」
 鬼の嫁には、村から幾つかの嫁入り道具が渡される。けどこの洞窟内の様子からすれば、嫁は荷物を持って逃げたと思われる。 こんな洞窟内で荷物を纏めていたら、いくらボケボケの鬼だとしても気がつくというもの。
「うん、出て行く日は判るよ。だから寝た振りをするんだ。僕には止められないから」
「何で止めないんだよ!!」
「だって皆、嫌々此処に来てくれたんだよ? 僕に止める権利なんて……ないんだ」
 泣いてしまいそうな笑顔の鬼に、俺は息が詰まった。
「とは言っても、お嫁さんを村まで送ってあげたりはしないんだけどね。僕がするのは、寝た振りだけ。 布団の中で丸くなって、お嫁さんが出て行く足音が消えるまで目を閉じておくんだ」
 ハハッと、自嘲的な乾いた笑いが、鬼の口から漏れた。

「それで……願掛けしてるのか?」
「そうだよ。あの芽に花を咲かせることが出来たなら、次のお嫁さんはきっと逃げない。僕と一緒に居てくれる……ってね」
 鬼が視線を、芽の方へと向けた。
 どうしたって花が咲くことはない芽。前に祖父に名を聞いたが、もう忘れてしまった。 ただ、絶対に花は咲かないと言った時の祖父の目が、あまりに強かったことだけを記憶している。
 何処までも人間との約束を信じる鬼。人懐っこいバカな鬼。見かけさえ人間と変わりはしない。鬼というだけで、人からも動物からも嫌われる。 そしてこの鬼はずっと咲かない芽を育てるのだろう。明日も明後日も、同じように水をあげて話し掛ける。
 俺はクッ唇を噛んだ。
 いっそのこと、芽が枯れてしまえばいい。そうしたら鬼もこんな願掛けは止めるだろう。そして怒りに任せて村に降りて来ればいい。
 ……なんて、この鬼には絶対に無理だと判っているのに、それでも考えてしまう。
 バカで優しい鬼の横顔は、あまりに綺麗で。 俺は少しの間、その顔を見つめていた。



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