「あー、鬼ってどんなのだよ。会いたくねぇなぁー……」
 急な山道を登りながら、俺は悪態をついた。 背に担いだ野宿用の荷物が、歩き初めよりもずっと重く感じる。
もうかれこれ5時間は歩いたはずだ。下は砂利道ではないものの、昨日の雨でヌカルンダ土が俺の足元を危うくさせている。 そろそろ本気で引き返したくなってきた。 だけど、そんな訳にはいかない。俺は鬼の様子を見に来たのだから。

『鬼』

 ソイツは俺が住んでいる白谷村のすぐ横の山に住んでいる。 その鬼に名はなく、ただ遠い昔からある約束をしていた。
『二十年に一度、成人の女を嫁として差し出す。その代わり、鬼は村を荒らさない』
 めちゃくちゃ有りがちで面白味のない話だけど、本当の話で。
 そして二十年に一度、鬼の嫁を決める日。村から一人の成人女性が選ばれた。 けどその女には、婚約者がいて。 恋人を鬼の嫁になんて嫌だと考えた男は、村の会議で一つの案を出した。
『鬼に花の咲かない苗を与えて、花が咲いたら嫁をやると言ったら良い。鬼なんて知識のない馬鹿者だから、きっと苗を受け取るさ』
 その言葉に、祭司や村の人々は反対した。
『人肉を喰らう獰猛な鬼が、そんな条件を飲むはずがない。逆に機嫌を悪くして、村を壊しに来るかもしれない』
 けれど鬼との約束の日。
 以外にも鬼はあっさりと苗を受け取ったらしい。 その話を聞いて、俺や村人は驚いた。誰しもが心の中では、無理だと思っていたんだろう。 ともかく、村人は喜び、即座に宴を開いて男の挙式をしようと言った。だけど祭司が。
『いや、花の咲かない苗だと気がついて、村を荒らしに来るかも知れない』
 と村人に挙式は待つように言った。俺はすぐに同意したし、村人も納得して、式は無期限の延期を言い渡された。
 けれど一ヶ月がたち、半年が過ぎても鬼は現れなかった。
 そして祭司の孫である俺が、あまりにおかしい鬼の様子を見て来いと言われたのだ。


***


 山の中腹。両目とも村で一番良い俺が細めにしてやっと見えるところに、洞窟らしきものが見えた。 すぐそばに人影が一つ。多分、鬼だ。 というか、こんな所に住んでいるのなんて鬼しかいない。
 動物も、空を飛べる鳥以外は鬼のいない隣の山に住んでいる。 皆、本能で鬼を避けているんだ。
 お陰でこの近くには野犬や狼はいないので、鬼の様子を見に来た俺としては有り難いのだけど…… ここは、少し寂しい気がする。
取り合えず俺は、近くの木の陰に腰を降ろした。

 どれくらいの時間が経ったかな……?
 くぅぅ……と欠伸を噛み殺し、俺は目を擦りながらも鬼の様子を見た。
 鬼は洞窟の前にある、石で囲っただけの花壇の前にしゃがみ込んでいる。 その花壇には一本だけ目が飛び出ているのだけど、花は咲いていないので、きっとあの花だろう。 鬼には気が付かれないように少しづつ近づいているから、もう目を細めなくてもはっきり見えるようになったのだけど……。
 あいつ、寝てんじゃねぇ?
 疑いたくなるほどに鬼は動かない。 少し動いたかと思えば、膝辺りまで伸びているその芽を触るだけ。
『花を咲かせたら嫁をやる』という約束を信じているのはよぉく判ったけど…… もっと他にやることはないのかぁ!? と思ってしまうのは仕方がないと言ってくれ。マジで詰まらないのだ。
 どうしようもないので俺は、さっさと寝袋を出して横になった。
 日がきっちりと沈む頃には、鬼も洞窟の中に戻って行った。

 翌日、俺が起きた時にはもう、鬼は花壇の前にしゃがみ込んで芽を見ていた。
 まだ朝日も昇りきってねぇぞ、おい……。喉の奥で呟いて、フト、鬼への警戒心が解れている事に気がついた。
 少し緩んでいた口元を抑える。……アレは、鬼だろ?
 その日も結局、鬼は花壇の前から動かなかった。

 3日目。
 俺はとうとう鬼に見つかった。 尿意を感じ、近場で用を足していたら、その音で鬼に気が付かれてしまったのだ。
 慌てて逃げたかったが、用を足している途中だったせいで、その場から動くことも出来ず。 そして鬼も何も言わずにただ俺を見ていて。俺がチャックをあげると、やっと口を開いた。
「……き……みは……?」
 どもっているクセに、その声色は美しく澄んでいる。
「……琉夜(ルヤ)村の祭司の孫だ」
「祭司の……お孫さん。もしかして、芽を見に来たのかな?」
「あぁ、そうだけど……」
 俺がそう言うと、鬼は人肉を喰うと恐れられている鬼とは思えない程に柔らかな笑みを作った。
「なら花壇を見てくれない?芽は育ったんだけど、全然花を咲かそうとしないんだ」
 ぐいっと俺の腕を掴み、花壇の前へと連れて行く。
「ほら、もうそろそろ花を咲かせてもいい頃だと思うのだけど……」
 と鬼はしゃがみ込み、芽を包むように両手で触れた。
 花壇には雑草なんて生えていない。土も綺麗に整備されていて、どれだけ鬼がこの芽を大切にしているかが判る。
「そう……だな。来月くらいにでも咲くんじゃないか?」
 なんて、心にもないことを言ってみたり。
……花は、絶対咲かないのに。
けど鬼は俺の言葉を信じたようで、俺の方を見て嬉しそうに笑った。
「そういえば、君はすぐに山を降りてしまうの?」
 少しの間、無言で芽を見ていると、急に鬼が俺を覗き込んで言った。
『人肉を喰う鬼』として恐れられている鬼だが、姿形はほぼ人間と同じ。
「えと、そんなに急いでないから、あと2,3日位は山にいられるけど?」
「そうなんだっ。あ、じゃぁ、明日も僕と会ってくれるかな……?」
 勢い良く笑って、スグに遠慮がちに聞いてきた鬼に。
「……良いよ」
 思わずそう答えていた。





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