鼻水が垂れそうなのに、ティッシュで咬もうとしてもぐずぐずと詰まって出てこない。
頭の中心はじんじんと熱を持っているくせに、背筋の辺りで寒気が走る。
声を出そうとするたびにゲホゴホと痰が絡む。いつのまにか空咳まで出て、まるでキツネの鳴声みたいだ。
「うぬ、風邪じゃのぉ」
俺の耳に突っ込まれていた体温計。示された数字を確認し、魔王が『可哀想にのぅ』と呟いた。
小さな手でぽんぽんと背中を叩かれ、まるで幼子にでもなった気分だ。
いつもならうぜぇと振り払うのだが、如何せん今日は咳き込むのに必死すぎてそんな事さえ出来ない。
「夏風邪かねぇ」
誰かの足音が直ぐ横にまで来て、呆れた声を発した。オッサンと呼ぶに近い低音は、たぶんリグラット。
雑炊でも持ってきたか?
うつ伏せになった体を起そうとするも、筋肉が笑って巧く起き上がれない。
何でだ? 筋トレなんて此処20年近くやってないぞ。つまり生まれてこのかた遣ったことなんてナイんだけど。
そんなことを考えていると、後頭部に冷たいナニカが落ちて来た。
「ぅひゃ」
「氷のうだ。頭に熱が溜まると馬鹿になるっていうからな」
カラコロと氷の掠れる音。ソイツの乗っかった部分が、じんわりと水気を帯びる。
気持ち良い。けど、せめて一言かけてから乗せてくれよ。
このセカイのスーパーヒーロ俺様なのに、情けない声出しちゃったじゃないか。
「それにしても馬鹿は風邪ひかないんじゃなかったのか?」
「夏風邪は馬鹿がひくともいうし、間違ってはおらんのではないか」
「へぇ、いろんなことわざがあるんですね」
「ぉまえら…」
苦しんでいる俺の横で何をのんきに会話してやがるンだ。
文句を言おうとした瞬間に、咳が俺も外に出たいと主張してきやがった。
ゲホゲホ、コンコンコン……。
悶絶。
死んじゃいそう。
あー、やだ、もうやだ。
なんで俺が風邪なんかひかなきゃならないんだっての。
そら美人薄命っていうし、男前には持病がつき物かもしれねぇけど。
まぁねそうね、少女マンガの男前なんかは良く吐血とかしているし
『俺、もう長くは生きられないんだ』なんて言っちゃって恋人役の美少女に『そんな、私このさき独りでどうしたら良いの!?』なんてなんて。
『俺のことなんて忘れて、お前は幸せになれよ』とかねとかね。んでアレだよ、彼女の腕の中で血ぃ吐きながらなんで最後は綺麗に眠るんだよな。
そんで最後は『ゆうしゃぁぁぁl!』って絶叫。……いや待てよ、勇者って絶叫したらまるで勇者呼んでいるみたいじゃん。明らかに死んでいる男と勇者別じゃん。
まぁそうだよな、普通名前が勇者って。在りえないっての。なんで出生届だした時に『名前:勇者』で通ったんだよ。俺の最後の時に格好つかねぇじゃないか。
クソ。親父と役所のヤツ、絶対許さねぇ。俺の最後がなんか笑い話っぽい状況になったらマジで恨む。
でもやっぱヒーローが苦しむ姿なんて国民は見たくない筈じゃん。なんで俺がこんなケンケンコンコンゲホゲホガハガハガハハハハ……。
「お、壊れた」
「独りで笑い出すとは、なかなか気持ち悪いの」
「熱、何度でしたか?」
「39度」
「……死ぬかな」
独り悶絶中の俺の背中を、ぱこんと大きな手が叩いた。パコンパコン、リズム感たっぷり。
リグラットの優しさを感じるね。でも、ちょっと、いや結構痛い。
うん、違うから。赤ん坊あやすときにお母さんがヤルのと違うのだから。ねぇ判ってるかリグラット。
「人間ってどれ位で死ぬンですかねぇ」
「其々だとは思うが。確か41度くらいじゃなかったかの」
「ならもう直ぐですね」
「うぬ。しかし勇者には未だ死なれては困るし」
「困るんですか?」
「まぁ、貸したものも沢山あるからの」
「……コイツ相手では生かしておいても返ってこないでしょう」
苦しんでいる俺をよそに、何故か楽しげな2人。
つーか俺様がこんなに可哀想な目にあっているンだから、もっと心配しろっつーの!
そんで貸したものとかはこのさい水に流がせ。それが男気ってもんだろ。俺は絶対返さないぜ。
「ま、そうかもしれないがのぉ……」
ぽつりと魔王のコトバが俺の背中に落ちてくる。それと同時に、俺の背中を叩く手が2つに増えた。
小さな手。此方は少しだけ、優しい。子どもだからか?
そのリズムが心地よくて、眠くなる。氷のうのおかげか、頭の中心にあった痛みも少しは治まってきた。
けどそういえばさっき、俺の体温39度あるって言ってたな。39度ってことは俺の息子危険? ちょっとシモネタ? 今更ですか?
あー……ぐるぐるしてきた。目、閉じているのに遊園地のコーヒーカップに乗ってるように目が廻る。変だな。
ぐるぐるぐるぐる。渦の端っこが黒と白で交互に廻ってる。でも眠たい。寝ようかな。寝ていいよな。
「……さて、では病院にでもつれていくかの」
魔王のコトバを最後に、俺は渦の一番端っこに吸い込まれた。おやすみ。