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街で一番大きな中央図書館。脚立に上らなければ手も届かないほど重ねられた本棚には、ぎっしりと書物が詰め込まれている。深呼吸すれば、肺の中が新書と古書の匂いで埋め尽くされるだろう。

「まだ終らないのか?」

その図書館の一番東側にあるスペースで、俺は苛々と机を小突いた。
平日の午前中だというのに、館内にはそれなりの人達が本を読んでいる。学生に主婦、何故か郵便配達の制服を着た輩まで。
おいおい、仕事は如何した? なーんて無職がいえるわけもないけど頭の隅で毒づいて。

「んー、あと少し」

紙面一杯に並んだ文字や化学式から視線を外すことなく、架愁が小さな声で答えた。
本が日焼けしてしまわないようにと、図書館の窓は遮光カーテンが掛かっている。それにも関わらず、架愁の長い髪がきらきらと輝く。
手に持っているのは、化学系雑誌。ここに保管されている一番古い番号から一つずつ読んでいるらしいけれど。

「架愁。また新しい本に手を出したのか?」
「そんなことないよ」
「でも今読んでいるのは7だよな」
「そうだねー」
「俺が迎えに来たときには、ナンバーシックスって書いてあったンだけど」
「わぁ、凄い。稜ってばアルファベットも読めるんだぁ」
「馬鹿にしてんのかっ!」

思わず声を荒げた俺に、架愁が『しー』と人差し指を口元にあてた。勿論、視線は文字の羅列を追っかけたまま。
子どもに子ども扱いされた気がして、更にイライラが募る。
本来なら再度怒鳴りたい所だけど、此処は図書館だから我慢をしなくてはいけない。俺だってTPOくらいわきまえている。
怒りをぐっと押し殺して、俺は架愁の直ぐ隣に座った。

「架愁、さっきもあともう少しって言ったよな」
「そうだったかもねー」
「そうだったかもねじゃなくて、そうなんだよ」
「そうだったかもねー」
「……テメェ」

悪態をつきかけて、どうにか堪える。
いかん、相手は子どもだ。年ばっかりはそこそこ喰っちまっているけど、頭は子どもなんだ。 社会経験豊富な俺様が大人になって諭してやらなくてどうする。我慢するんだ、俺。偉いぞ、俺。
自分自身に言い聞かせて、他の人の邪魔にならないよう囁くような声を出す。

「つまりな俺が言いたいことはだな、架愁」
「うん。なぁに?」
「さっき声を掛けたときには、此れを読みきったら帰るって言っていたのに、なんで7巻目に突入してんだって聞いているンだけど?」
「だって面白いンだもん」
「理由になってねぇよ。ほら、帰るぞ」

自分の中に持つ父性をぎりぎりまで出し切って、どうにか穏やかに言いきる。
不満そうな架愁が、ようやく視線を本から俺に変えた。よし、これでようやく帰れる……と思いきや。

「うるさいなぁ。……暇なら先に帰れば良いのに」
「俺だってそうしたいわ!」

拗ねた子供の発言。思わずバンっと机をたたき、架愁の手から雑誌を奪い取った。
あぁ、腹が立つ。なんだってこの俺が架愁のお守りなんかしなくちゃいけねぇンだ。
『架愁ひとりで外出させるには、まだ不安がありますから』などと過保護な親気取りの桂嗣を思い出し、ちっと舌打ちをする。
そして勢い任せに席を立ち、奪った雑誌を返却しに行こうとして。

「あなた、此処は皆が静かに本を読む場所ですよ」

雑誌を持っていたほうの手を、誰かに掴まれた。
夏場であるにも関わらず、ひやりとした感触。白い肌が視線の端に入り込み、払うようにして振り返った。

「は? 何だよ、急に」
「彼に本を返しなさい。熱中している最中に取り上げるなんて、失礼だわ」

ずいっと人差し指を向けてくる女。ちょっと待て、人に指をさすのは失礼だとは教わらなかったのか。
口の中だけで呟いて。

「お前には関係ないだろ」
「関係あるわよ。私は本を愛しているの」

自信たっぷりに答えた女に、一瞬たじろく。
こいつ大丈夫か? ふわふわした白いワンピースと一緒で、頭の中もふわふわになってるンじゃないだろうか。
もしくは裾のふりふりと一緒で頭の中もふりふりお花畑というか……。

「それの何処が関係あるっていうンだよ」

面倒くさいという気持ちが伝わればいいのに。はぁと大きな溜息をつく。
しかし気付いているのか、いないのか。女は特に気にした様子もなく更に堂々と言い切った。

「私は本を愛している。だから同じように本を愛している人の味方でありたいの」

……うん、意味判らないンだけど。
最近はこんなヤツが増えているのだろうか。口を開かなければそこそこ可愛い顔をしているのに、勿体無い。
一気に疲れが溜まった。そういや俺や架愁の言い訳や文句を受けているときの桂嗣も疲れた顔をしているけど、こんな気分なのだろうか。今後は少しコトバを選んでやろうかなー。

「ごほん、ごほん」

ちょっとした気遣いを覚えた俺の背後で、誰かが咳払いをした。
何となくこっちを向けと言われた気がして振り向く。すると周囲の冷ややかな視線を真っ向から浴びてしまった。
……そういや、結構大きな声だしちまったもんな。
そっと目だけを横にずらせば、俺と同様に『さっさと図書館から出て行け』の視線を浴びている女の引き攣った笑みが見えた。
さて、どうするべきか。考えているうちに女が表情を変え、俺の腕をぐいと掴んで歩き始めた。

「え、ちょ、お前っ」
「静かにっ」

明らかに俺よりも大きな声を上げ、周囲の迷惑にならないようにと牽制してくる。
引き摺られるような形となっている所為で、半歩ほど後ろを歩く。でも、少しだけ赤くなった頬と泪の溜まった瞳は見えるから。
……仕方ねぇな。
小さく舌打ちをし、俺は成すがまま、見ず知らずの女とともに館内から出ることにした。


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