「まさかまた眠ってしまうとはのぅ」
睡眠の取りすぎだろうか。中身が増えたわけでもないだろうに、頭が重い。
同様に重くなった瞼を必死であければ、霞んだ世界の向こうにいつも通りの天井が見えた。
少しでも目を覚まそうと、布団の中で伸びをする。
背中からぽきぽきと軽い音が鳴り、自分の年齢が本当に10歳なのたか、確認したい気持ちになった。
「あぁ、また寝ていたのか」
それから、いやこれは運動を頑張ったからだ、成長の証なのだと勝手な理由をつけて布団の中でごろごろのたうち回っていると、すぃと部屋のふすまが開いた。
自称白衣の王子こと羅庵が、患者の様子を見に来てくれたらしい。
饅頭にりんごという、不思議な取り合わせの見舞い品を盆に乗せ、部屋にと入ってきた。
「差し入れ。腹減っただろう?」
まろの布団の直ぐ横にきて、盆を置くついでに胡座をかく。
りんごの甘酸っぱい匂いが鼻孔を擽り、空腹であることを思い出したかのように腹が中身を寄越せと鳴いた。
「……まんじゅう、もう一個持ってこようか?」
その腹の音が思いの外大きく鳴り、羅庵がぷっと吹き出す。
子供扱いされた気がしてむっとしたが、まぁいつものことなので気にしない。
ただどうせならと、更に子供らしく振る舞ってみることにした。
「それよりウサギさんりんごが食べたいぞ」
盆には果物ナイフも乗せられている。ということは、まろさえ所望すれば羅庵がりんごを剥いてくれるのだろう。
今までのことを考えると、羅庵は皮を剥いただけの状態で後はかじりつけと渡してくるが、あれは顎の弱体化が進む子供には向かない。
もちろん心は年寄りでも身体は幼児であるまろも同様。
りんご丸かじりは食べきるまでに三回ほど挫折感を味わうことになるので、あまり好ましい食べ方とは言えない。
「うさぎさんりんごとは、これまた可愛いリクエストだな」
ところで俺が剥くのは当然なのか? と、自分でりんごを切って食べるという選択肢ははじめから無視しているまろに、羅庵がくつくつと喉を鳴らしつつ訊ねてきた。
「幼児に刃物を持たせるでないぞ」
仰向けだった身体をぐるりと反転させ、枕に肘をつく。
先ほどまで真剣を使って稽古をしていた輩とは思えない口振りに、羅庵がとうとう声をあげて笑う。
おぉう、まんじゅうに唾がかかってしまうではないか。
慌てて盆に手を伸ばし、包み紙のはがれた饅頭を奪う。ついでとばかりにぱくりとかぶりついた。
薄紅色した生地に、うぐいす餡。珍しい取り合わせだと思いながらも、ぱくぱくと口に入れ。
「うちゃ」
饅頭には緑茶が必須であることを忘れていた。
残り一口となったところで羅庵に茶を寄越せと手を伸ばすと、もともとまろの枕元におかれていた湯呑みを渡された。
これは先ほど桂嗣が煎れてくれたもの。
つまりはまろが寝入ってしまう前であり、当然湯気などを出すことも忘れて心行くまで冷えきってしまっている。
「まろは煎れたての茶を飲みたいのじゃ!」
年寄りのかんしゃくなのか、単なる子供のわがままか。
冷たい湯呑みを羅庵に突き返せば、まぁそうなるだろうと予想していたらしい羅庵が、ひょいと片眉をあげた。
「ったく、うちの坊ちゃんは食にウルサいンだから」
呆れたように、しかし楽しげにそう言い、腰を上げた。
右手に持った湯呑みを左手に持ち換え、それから空いた手でぽんぽんとまろの頭を撫でる。
いつもの通り、優しい眼差し。
まるで重病人相手のようなすばらしい看護に、布団の中で饅頭を食べるというお行儀の悪いことをしていたまろは、少々居心地が悪くなった。
「……いや、まぁ、たまには自分でいれる」
子供はわがままで良いのだと豪語しているお子さまの発言とは思えない。
自分自身でさえ今は誰の台詞だ? と疑ってしまいそうなコトバを綴り、それからそっと布団を抜け出した。
先ほどの簡単なストレッチのおかげか、眠る前に襲ってきた筋肉痛……ではなく成長通も、どこかに去っている。
これぞ若い証拠と、いつもは年寄りぶっているくせにこういう時ばかりは若者の振りをして。
「風邪か?」
颯爽と部屋をでようとして、羅庵に捕まった。
大きな手のひらがまろの額を覆う。熱を計られているらしい。
そういえば今朝……というか実際には昼過ぎ、桂嗣に稽古を頼んだ時にも同じ反応をされたが、こやつらはいったいまろを何だと思っているのだろうか。
「熱はないみたいだが、やっぱり打ち所が悪かったのか……?」
一度問いただすべきだろうか、しかし返ってくるコトバが想像できてしまうのであえて聞くのもなんだか腹立たしい。
などと考えていると、まろの身体が急に宙に浮いた。というか、単純に羅庵に持ち上げられただけなのだが。
「まろ様、無理はしなくていいぞ。ちょっと眠ったら直ぐ良くなるからな」
優しい声で優しい目をした羅庵が、せっかく自立への階段を登り始めたまろを布団の上に戻す。
これは本気で言っているのだろうか。明らかにバカにされている気がする。
稽古後、着替えもせずに眠っていたせいで汗を吸った布団を肩まで掛けられ、今更ながらに眉間に皺を寄せる。汗臭い。
「だぁぁっ、まろは元気じゃ!」
「うぉっ」
一応のため再度熱を計ろうとしていた羅庵の腕を振り払い、まろはがばりと起きあがった。
さすがにこの行動を予想はできなかったらしい羅庵が尻餅をつく。
悪かったな、とちらり思うが、それ以前に羅庵の対応が悪すぎた。
そう考えることにして、ぽんぽんに頬を膨らませて仁王立ちをする。
尻餅をついた状態の羅庵が、一瞬の間を置いてからくつくつと喉を鳴らして笑った。
「これ以上の介護は不要なり。まろはまろの茶くらい自分で用意する!」
「そうかそうか。構いすぎて悪かったな」
目を細め、なんとも楽しげな表情の羅庵。
こういう顔を見るときに思う。羅庵は、昔から変わらない。羅庵自身の過去の存在から、今まで、変わっているのに変わらない。
なにが変わってなにが変わっていないのかもまろには分からない。ただ、羅庵はいつも変わらない。
桂嗣とは逆だ。
「あ、林檎はどうするんだ?」
「りんご?」
「ウサギさん。これも自分でやるか?」
ようやく笑うことを止めた羅庵が、盆の上にある林檎を指さす。
所々に虫食いの跡のある林檎。皮の艶からみると、あまり農薬など散布されていないもののようだ。
林檎の皮むき。
挑戦したことが無いわけではないが、あまり得意ではない。もちろん、練習しておきたいという考えも生まれない。
「作業分担じゃ。まろは茶を用意するぞぃ」
くるり考えて、まろは堂々と言い放った。
一瞬だけ意味を考えた羅庵が、それから口の端を弧にしてにやりと笑う。
……そういえば。
巽は、どうなのだろう。過去の存在と今と、なにが変わって、なにが変わらないのだろう。
羅庵や桂嗣たちと違って、巽と会う機会は少ない。
過去の存在と今を比較しようとして、そもそもの情報量の少なさに、比較対照にさえならないと頭を振った。
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