「おぉ」
「あれ?」

からりと脱衣所の扉を開けると、最近良くこの場所で会っていた人物と出くわした。
今朝方の夢にも登場していた、架愁だ。
風呂はもう出たあとなのだろう。夏だというのにTシャツの上から更にシャツを着込んでいる。
「……こんな昼間から風呂とは、中々良い身分だのぅ」
不意に夢の中で感じた気まずさを思い出し、 今の架愁に気付かれる筈もないのに、何となく誤魔化したくなって無意味にえへんと胸を張った。
まろの心中など知らない架愁が、楽しげにくすくすと笑う。

「今の今まで寝ていた挙句、起きて早々に昼風呂に来るようなまろ様には、言われたくないな」
「お? まろが今起きたばかりだと如何して判る?」
「口元に涎の痕がついているよ」

人差し指で、ちょんちょんと可愛らしく口の端を示す架愁。1歩間違えれば一昔どころか二昔以上前のぶりっこポーズ。
しかし架愁がやると其れなりのポージングに見えるから怖ろしい。
頭の端っこでそんな事を考えながら、まろは更に胸を張って言い放った。
「嘘はいかんぞ、架愁。涎の痕は先ほど拭ったばかりだ」
全然自慢にもならなければ、寝ていない理由にもならない。
相手が羅庵だったなら、確実にそう突っ込みのコトバを投げかけられたであろう。
しかし架愁は突っ込みを居れず、素直に謝罪してくれた。

「それはそれは。嘘をついてしまってごめんね」
「いやいや、気にするでないぞ。ちなみに架愁は今から何処に行く?」
「さっき栗杷様に屋外稽古をつけ終えたばかりだからね。ちょっとゆっくりするつもり」

ぽふりとまろの頭を撫で、金色の睫をきらきらとさせながら微笑む架愁。
なるほど。架愁は寝起きに風呂……ではなく、稽古の汗を流すために風呂に来ていたのか。
脱衣所をぐるりと見回せば、洗濯物籠の中には泥だらけの服が放り込まれていた。
架愁の服を此れだけ汚す稽古とは……さぞかし栗杷はずたぼろにされたであろう。
何も知らない人が見れば虐待と言われそうなほど過酷な稽古……寧ろお仕置きを想像して思わず身震いする。
そして不意に思い立ち、まろは籠に入っている一番泥だらけの服を取り出した。
着込んでいたシャツをぺろりと捲り上げ、露になった架愁の肌に泥だらけの服をごしごし擦り付ける。

「……まろ様? これはなんの嫌がらせ?」
「気にするな。ちょっとした子供の可愛い悪戯じゃ」

程よく汚れがシャツから架愁の肌に移動した所でまろは手を止めた。
「よし」
一仕事終えた風に、右でで額の汗を爽やかに拭う。
取り合えずまろの手が止まるまでは見守ってくれていた架愁が、其処でようやくまろの手から泥だらけのシャツを奪った。
「よし、じゃないでしょ! せっかく綺麗になったばかりだったのに」
反撃とばかりにまろの顔をそのシャツで覆い隠す。
「あ、汗臭いぞ!」
「当たり前だよ。栗杷様とみっちり稽古していたンだから」
「ぬふぅ〜、ぎぶ、ぎぶ!」
両手を大きく振り回し、架愁の魔の手から逃れようとするも其処は大人と子供の差。
見た目ではあんなにか弱そうなのに、まろの頭をがっちり掴んで離さない。
「ごめんなさい、は?」
「……すまぬ!」
桂嗣や羅庵とは違う、子供の悪戯を窘める柔かな声が上から降り注ぎ、まろは観念したとばかりに大きな声で謝罪した。
直ぐにまろの頭に覆われていたシャツが外される。
汗臭さを誤魔化すためにぎゅうと閉じていた目を開けると、いつの間にかしゃがみ込んでいた架愁の優しい表情が見えた。
「……すまぬ。せっかくだからまろの昼風呂に付き合ってくれないかと想ったんだ」
その眼差しが優しすぎて。何となく、さっきまで夢の中でみた架愁を連想させて。
まろは再度謝罪の言葉を吐き、更に理由も告げた。


***


大きな手で頭をごしごしと洗ってもらうのは気持ちが良いものだ。
まろがもう少し幼いときには桂嗣が一緒に風呂に入って頭を洗ってくれたのだが、いつからか『もう独りで出来るでしょう』と遣ってくれなくなった。
しかし考えてみれば桂嗣に限定する必要はない。
鶴亀家他の大人……特に羅庵なんて実は子供に物凄く甘いのだから、お願いすれば即効で了承してくれそうな気がする。

「そろそろお湯流すから、目を閉じたほうが良いよ」
ふわふわと思考の淵に嵌っていると、いつの間にかまろの頭を洗う手を止めた架愁が、お湯をたっぷりと溜めた桶を手にしていた。
まろの返答を待たずに頭の上からざばりとかけられるれ、湯に流された泡が身体を伝う。
「ぬぉっ」
「あ、ごめん。目に入った?」
「いや、ちょっと口に入っただけだが」
思わず間抜けな声を出してしまったまろに、悪びれた様子もなく架愁が謝罪する。
そして再度桶に湯をため、まろの言葉が終わる前に頭の上からざばりとかけた。
「……架愁よ、わざとであろう?」
「ま、さっきのお返しにね」
子供相手だって容赦はしないよ。冗談交じりの声で、きゃらきゃらと笑う。
まだ乾いたままの金髪が、笑う声と同じようにきらきら揺れた。




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