「……あやつ、つけて来ていたのか?」

向う先を見失った氷の刃が廊下の壁にぶち当たると同時に、まろはぽつりと呟いた。
過去の存在の大切な場所。
それは昨日の昼間、夏祭りに出掛ける前に探していた場所のことだ。
桂嗣のアパートに転がり込む前まで、稜が姉と共に住んでいた家。
そして、姉とその家族の眠る墓。
深い意味はないが、せっかく近くに来たのだからとお参りに向ったのだ。


***


木陰を選びながら、ゆっくりと足を進ませていく。
行く先は不明。……いや、一応決定してはいるのだけれども。
記憶を辿りながら歩く此の道は、しかしまろにとっては初めての場所。
つまりは夢の中だけで通った道で。

「確かこの辺りだったはずだがのぉ」

色鮮やかなタイルを敷き詰められた地面。消えかかった落書きは、近所の子供達の仕業だろう。
歪なクマとキツネの手前で、まろは足を止めた。覚えのある場所に、背筋を伸ばして周囲を見渡す。
もう少しだけ先の方に、小さな墓地が見えた。
記憶とは異なる町並みと、変わらなかった歩道と、僅かに変化した風景。
落書きを踏まないように回り道をしながら、まろいは再度歩き出した。
小さな墓地は、夢の中で何度も通っていた場所。
まろの腰ほどの高さしかない柵で囲われた敷地。木で作られた小さな門が、中に入るための手段。
なんとも簡素で、だからこそこの地域に馴染んでしまう風景。

「あぁ、そういえば」

思い出して、まろは当たり前のように柵を飛び越えて中に入った。
あまり行儀が良いとは言えないけれど、墓参りをする時にいつも稜は柵を飛び越え中に入っていたから。なんとなく、そのマネをして。
それから迷うことなく、左奥、一番端の墓に向う。
そこはエリートで収入が良くてその癖どっか子供っぽい雰囲気が抜けない義兄と、両親がなくなってからずっと独りで育ててくれていた姉の眠る場所だ。
その右に並んでいる少し小さな墓には、あの柔かな赤ん坊が育ち、娶った相手と共に老いて眠っている。
更にその右に並んでいるのは、そんな彼等の子供達が育ち老いて眠る場所で、 更にその横にそんな子供達の子供達が生まれ育ち眠っているのだろう。
墓石に彫られた名前が、稜の生きていた時代がどれほど昔であるかを教えてくれている。

「向日葵を買ってくるのを忘れていたのぅ」

此の墓を守り、いずれ此処に眠るのであろう彼等の子孫は中々先祖というものを大切にするようだ。
墓前には枯れた様子のない菊の花と、白の饅頭が添えられている。
しかし、稜の姉は向日葵が好きだった。凛として太陽に向う姿が好きなのだと笑っていた。
だから稜はいつも向日葵を添えていた。姉の子供たちには、失笑を買っていたけれど。

「……なんだか、泣けてくるの」

夢の中でしか会った事のない相手。しかもまろ自身ではなく、あくまで過去の存在が見ていた風景。
なのに、どうしてか淋しいような感情が生まれる気がして。
人恋しく感じ、まろは一礼だけをしてその墓地を後にした。


***


「殺気をこめた視線でも向けられない限り、あやつが居ることに気がつけないということか」

似合わぬ舌打ちをし、まろは小さく呟いた。
此処最近、まろは人の気配や殺気を敏感に察知できるようになっていた。
稜や海堵の記憶を見ると同時に、彼等の力もまろの中で目覚めていることが大きな理由だろう。
だが昨日昼間のことを思い出してみても、その中に鬱灯という存在は一切見付からない。

「まだまだ、ということかのぅ」

別に強くなりたい、なんて願望はないほうではあるが。
自分の気がつかない処で勝手に覗き見されているのは気持ちが悪い。その相手が鬱灯ならなおさらだ。
久々に桂嗣に稽古でもつけて貰おうか。
まろにしては珍しすぎる事を考え、取り合えず……と年配な思考を持つ子供らしく、いそいそと朝風呂に向った。




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