水、若しくは空気。
此の世界の全てはそんな透明掛かった色で創り上げられている。
土色の地面などは何処にも見当たらない。
遥か以前には存在していたはずなのに、いつの間にか塗り替えられてしまったのだ。
其れは此の世界を創った創造主の望みか。 其れとも、今此処を管理している【始まりの天使】の一存か。
祈朴としての記憶、そして巽としての記憶。
その間の空白の時間に行われた作業を、今の巽に知る術はない。

「さて……」

祈朴として生きていたときには未だ行き来しやすい場所だったのに。
今では人間が空を飛ぶくらいでは、近づく事さえ出来ない……寧ろ存在さえも知られてはいない、天上界。
地上に住む生き物であれば、あまりに不安定なその足元に怯えて歩く事も出来ないかもしれない。
硝子のように透明で、しかし向こう側が見えるわけでもない地面をゆっくりと歩いていく。


***


天上界の中央に位置する、真っ白な塔。
【始まりの天使】が創造主の為に用意した場所で、護殊庁のモデルとなった建造物だ。
創造主の……カミサマの感情やコトバだけで天使が生れ堕ちるように、 始まりの天使のチカラを使えば、此れくらいの建造物を創るコトは可能らしい。
ただ老朽化して見える辺り、天上界に此れだけの塔を支えるチカラが残されていないということか。

創造主が不在の天上界。

天地の亀裂。天使と人間との戦い。
結果は天使の勝利だと言われているが……しかし如何だろうか。
創造主が大切に大切に護ってきた箱庭。
若しかすれば聖域とも呼ぶことの出来た世界を毀した天使に、創造主が再度視線を向けるコトがあるのか。
なんて。チカラを放棄し眠った、其の事実こそが全てを物語っているけれど。
塔の最上階。
天使は中に入りたいと願うことさえ禁じられている、神聖なる場所。
というより、始まりの天使が、今は此処にいない創造主を想う為の場所とでも言おうか。
始まりの天使の許しを得たモノ以外が此処に入ろうとすれば、簡単に弾き飛ばされてしまう。
許しを得ているモノは極僅か。巽は、そのうちの独り。
中に入れば、極彩色の翼が視界に入った。

「……遅い」
「申し訳ない。……これでも急いで来たのだが」

不機嫌そうな声の主が、こちら側へと振り返る。
鮮やかな翼に対して、あまりに質素な布切れを纏っただけという格好。
其れゆえに強調されるボディラインは、地上ならば見るもの全てを魅了してしまう程に整っている。
だが其の顔に視線を移せば、大概のものは淡い想いなどは瞬時にかき消してしまうだろう。
血がこびり付いて浅黒く染まった布で、両目を、顔の半分以上を隠しているのだ。

「其の割にはゆっくり歩いていたように思えたが?」

現在の天上界では頂点に位置する、始まりの天使が、ぴくりと片眉を上げた。
もちろん顔が隠されているので本当にそうかは判らない。ただ、巽にはそんな風に感じられたというだけ。

無。という空間。
創造主さえも自らが存在する理由を知らずに生まれ。
何もない場所、己しか存在しないという恐怖が、淋しさが、創り上げた天使。
其れが、始まりの天使。

「ならば貴方が地上に来れば良かったのに。……其のほうが早い」

創造主にとって、始まりの天使とはヒカリ。
そして始まりの天使にとっても、創造主とは何にも変えがたい存在。……当たり前かもしれないけれど。

「……わたしは、忙しい」

巽の反撃。苛々とした様子の始まりの天使が、僅かに顔を反らした。
忙しいのであればこそ、地上に来てくれたほうが話は早いのでは?
創造主が逃げ込んだ世界を見たくない、ただそれだけの癖に。
頭の中でちらりと嫌味を吐いて、しかし声には出さずに軽く頷くだけにしておいた。

「目覚めの時は近い。彼は着実にイシを集めている」
「そうか。残りは?」
「壱つ。創造主が持っていたハズのモノ。合わせれば5つになる」
「……5つ?」

巽のコトバに、始まりの天使が不審そうな声を出した。

「あぁ。祈朴、天眠、地補、海堵、そして創造主。計5つだが?」
「そうか……。判った」

イシの数など考えなくてもわかる筈なのに、始まりの天使は一体どうしたというのだろうか。
ココロが読めないか、すっと目元にチカラを入れてみる。しかし流石は始まるの天使。
人間として生まれ代わり、更に架愁にチカラを分け与えてしまった巽には、ココロの内部などは全く探れそうにない。

「あのお方の様子は?」
「未だ眠っている。安らかな表情だったよ」
「ならば、良い」

ふわりと、隠されていない口元が笑みの形を創った。
始まりの天使が地上に降りてこない理由は、創造主と対面することが怖いから。
創造主が天上界を捨てた。其れを、創造主が自分を拒否したのだとでも思っているに違いない。
其れくらいはココロを覗かなくても判ってしまう。

「あのお方は、自らの目覚めを喜んでくださるだろうか……」

そして小さく溜息を付き、まるで独り言のようにして呟いた。
きっと、誰からの答えも望んではいないのだろう。例え答えを貰ったとしても、始まりの天使が行う全てに変更は効かないから。
創造主……カミサマが眠りから覚めなければ此の世界は間違いなく終焉を迎える。
始まりの天使にとって、イシを集めるということは創造主を起すコトだと信じている。
そして目を覚ました際には、また此の塔に戻ってきてくれるのだと。

……そんなコトは、ありえはしないのに。

始まりの天使は知らない。創造主が何故自らを起す役目に、海堵を選んだのか。
そして創造主も知らない。始まりの天使が何故自らを迎えに来てくれないのか。海堵が、本当はどんな結末を望んでいるのか。
巽も、海堵が何故其の考えに行き着いたかまでは知らない。ただ、共感しただけ。
全てを知るのは、海堵のみ。

「きっと喜んで目を開けてくださるだろう」

答えは必要ないとしりつつ、巽はコトバを綴った。
海堵の描く幸福なる結末。其の日が近いことを、うっとりと想像しながら。




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