自称護殊庁期待のルーキーでも、まろを負ぶっての移動は疲労が溜まったようだ。
早朝巡回まで休憩してくると、童輔は自分の部屋にと戻って行った。
先程知ったのだが、今は皆とも個室で眠っているらしい。
街を攻撃していた犯人が判った以上、そして其の存在が消えた以上、わざわざ大部屋に集まる必要もなくなったということ。
まるで当たり前のように説明され、まろは何処か息が詰まる感じがした。

「なんだかのぉ……」
「ん?」

羅庵の背中にべったりと張り付き、部屋に連れて来て貰ったのは3分ほど前。 押入れに片付けられた布団を出すことさえ面倒くさいと畳に寝転がり、ぽつり呟いた。
我儘三昧なまろに呆れつつも、結局は布団を出してくれていた羅庵がこちらを向く。
いつものエセ医者の笑みではなく、何処か心配しているような視線。 さっきまでは喉を鳴らせて笑っていたというのに。
その理由は、護殊庁に行った理由も其処で見てきたモノも、一切の説明をしていないからか?
「……さすがに寝すぎたかもしれん」
何となく目線を外したくなって、しかし其れも可笑しな気がしてへらりと笑う。
心配されることも甘やかされることも慣れている。
有難いとは思うが、申し訳ないとはあまり想ったことがない。寧ろ当然とさえ思えること。
だが、何となく心苦しく感じて。

「そうか。まぁ後で眠くなるかもしれねぇからな、一応布団は出してやるよ」
「おお、すまぬなぁ。宜しく頼むぞ」
「どういたしまして」

一瞬だけ間を空けた後の台詞。
羅庵も何処か可笑しいと感じたのだろう。僅かに口の端を歪め、しかし数秒もしないうちにいつもの笑みに変えた。
其れを見てみぬ振りをして、労いの意味をこめた言葉を返せば、羅庵も深くは追求してこない。
敷布団、掛け布団、最後に枕をぽんっと投げる羅庵。ナイスコントロール。ぽすん、と音を立てて布団が敷き終わった。
眠たくはないが、せっかくなのでずりずり這いずって布団の上まで移動する。
まるでナメクジのような動きを見せたまろに、羅庵が喉を鳴らせて笑った。
「眠れそうか?」
「微妙だのう。まぁ畳に寝転がっているよりは居心地が良いぞ」
「そりゃ良かった。ンじゃ、眠れるように良いもの作ってきてやるよ」
「ん?」
布団の上でごろりごろり遊んでいたまろの頭を軽く撫で、まろの短すぎる疑問には答えずに、羅庵がすたすたと部屋を出て行った。
はて、羅庵は何を持ってきてくれるのだ?
作るという言葉が入っていたわけだから、何か食べ物だろうか。まさか睡眠薬?
「……さすがに其れはないだろう」
頭の中だけで流れていた言葉。思わず声に出して突っ込んでしまった。
己しかいない部屋に、小さく響く。
窓から差し込んでくる光が徐々に強くなっている。そろそろすずめの囀りも聞こえる時間帯になるのだろうか。
天井についた染みを視線で追いながら、まろはゆらゆらと海堵の記憶を探った。

【カミサマ】

海堵が海堵として名前を持つ以前。例えるならば、胎児の頃に白い靄の中で聴いていた声。
誰かに対する謝罪。嘆き。自らを罰するための言葉達。
あの声の主が神様のものだと……此の世界を創った存在の声なのだと、海堵は知っていた。
殻の中で何度も何度も聞かされていた憎悪。懺悔。
己の身体が成形されていくと同時に、あの言葉達も練りこまれていくような気がした。

「そういえば……」

護殊庁の隠された部屋で見た光景を不意に思い出し、まろはぽつり呟いた。
球体の中に、うずくまるようにして浮かんでいた子供。確か巽は、彼を神様だと言っていた。
今は眠りについているけれど、まろがイシ全てを見つけられれば目を覚ますのだと。
そんな約束を、神様と海堵が交わしたのだと。
……だが、未だに其の記憶が出てこない。まろには観る事が出来ない。
けれど、稜は知っていた。確証はないけれど、でも、そんな気がする。
【長い約束を、破棄しようと決めた】
ずっと前に観た夢で、稜が想っていた事。此の【長い約束】とは、イシを探し集めるコトではないのか?
だからイシを隠したという稜を巽は追い、そして命まで奪ったのでは?
ならば、其処までしても約束を果さなくてはいけない、そして破棄しなくてはいけない其々の理由は何だろうか。

「難しい顔してどうした? 便秘か?」
「ぅのぉっ……」

どうやら真剣に考え込みすぎていたようだ。
いつの間にかエセ医者羅庵が、まろの直ぐ横にしゃがみ込み顔を覗き込んでいた。
手には真白いマグカップ。甘く優しい匂いが、まろの鼻腔をくすぐる。
「ホットミルク。おこちゃまには丁度良いだろう?」
「うぬ、ありがたい」
にっと口端だけあげて笑い、其れからそっとマグカップを差し出してきた。
さすがに寝転んだままでは零してしまう恐れがあるので、上半身だけを上げてから受け取る。
ふうふうと軽く息を吹きかけ、其れから火傷しないように恐る恐る淵に口をつけた。
一口含めば、一気に口の中に甘い風味が広がった。夏場にホットミルク。異色のようで、なかなかに美味い。
「眠れそうか?」
「取り合えず飲みきってから挑戦してみるぞ」
くぷくぷと少量ずつ口内に流し込む。美味いのだが、熱いのだ。
だからと言ってせっかくのホットミルクを、冷めるまで放置しておくのも勿体無い。
やはり少量ずつ口に運んでいき。

「のう、羅庵よ」

どうやら自分用も持ってきていたらしく、羅庵の手にもマグカップが握られている。
中身が同じかちらりと確認した後、まろは先程から引っ掛かっていた疑問を投げかけた。

「なぜお主は前世の記憶を持たない?」
「ぁ……?」

あまりに唐突過ぎた質問に、いささか羅庵もついて来られないようだ。
まろからすればついさっきまで記憶について考え込んでいたので、唐突のつもりはなかったのだけれど。
布団の上で体育座りのようにしてホットミルクを飲んでいたまろに、対面するようにして畳に座っていた羅庵が僅かに表情を変えた。
其の表情に、一瞬だけ可笑しなことを聞いてしまっただろうかと考える。しかし気になることは気になるので、結局まろは質問の言葉を続けた。
「まろも桂嗣も巽も天子だった頃の記憶を持っている。どれだけ鮮明に記憶しているかは判らないけれど、きっとまろ以上に覚えているに違いない。 だがおぬしだけは前世の記憶を持っていない。……その違いは何じゃ?」
説明も兼ねて、一気に吐き出した言葉。
何故急にこんなことを聴かれるのかは理解できなくても、質問の意図は判ってくれたようだ。
合わせていた視線をすぃと外し、其れから軽く肩をすくめて答えてくれた。

「俺が、幸せだったからじゃないのか? ある程度満足して、死んだからだろう」

生まれ変わっても前世の記憶を引き摺るのは、その時にあまりに思い残すことがあったから。
前世の記憶を所有するまろには言いづらいコトなのだろう。
羅庵には似合わない、何処か気まずそうな笑みを浮かべながらも答えてくれた。
「……そうか」
過去の存在がどれほどの傷を負おうと、思い残すことがあろうと、まろが悲しむことではない。
だから羅庵の言葉に傷つくことなどはないのだろうけれど。
ただ。海堵は……稜も、来世でも引きずってしまうくらいに【なに】をしたかったのか。
其れだけが気になって仕方がなかった。




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