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物干し竿の掛かったベランダから、夕暮れ時らしいオレンジの光が室内に差し込んでいる。
前のボロアパートから持ってきた黴臭い革張りのソファに寝転んでいる俺の耳に、聴きなれた人物とそれ以外の足音が入ってきた。

「稜、帰ってるのか?」
「お邪魔します〜」

がちゃりと鍵を開ける音。其れから桂嗣と誰かの声。
桂嗣がダチでも連れてきたか? アイツが此処に誰かを連れてくるなんて初めてのことだけど。
誰か呼ぶなら呼ぶで、俺にも一言いえっての。
人見知りな訳でもねぇけど、こういうのって何か面倒くせぇ。
姉貴が義兄を連れて来たときを思い出し、無意識の内に眉間に皺が寄った。

「なんだ、また寝てたのか」

桂嗣のダチと挨拶なんて変な感じだし、相手が帰るまで篭っていよう。
そう考えていた俺を無視し、桂嗣がノックもせずに俺の部屋に入ってきた。
ソファにうつ伏せになっている俺からは奴らの顔は見えない。
けど桂嗣が呆れ顔をしていることくらいは、わざわざ観なくても判ってしまうから。

「ちげぇよ、今から寝るところだ」
「ウソつくな。口元に涎の痕がのこっているぞ」
「ぁ……っ!?」

溜息交じりの声に、慌てて身体を起し袖で口元を拭う。
確かに一時間くらい寝ていたけど、涎なんて零してないはず。
飯の夢でも見ていたならあり得るけど、今日見た夢も、吐き気を催す血色の世界で。

「ほら、やっぱり寝ていたんじゃねぇか」
「稜って素直だねぇ」

がしがしと口元を拭いていた俺の背後で、誰かがきゃらきゃらと可愛らしい音を立てて笑った。
てめぇ、バカにしてんのかっ。
ムカツク台詞に怒鳴ろうと相手の方を向いて。

「お前……」
「ったく。俺達はこちら側にいるんだぞ? うつ伏せになっている稜の顔なんて見えるわけないだろ」

予想もしていなかった相手の訪問。
なんで、コイツが此処に?
想わず続きの台詞を失った俺に、ずかずかと近づいてきた桂嗣が俺の額を弾きやがった。
軽めに打ち込んだようで、長い人差し指にはそれなりの威力がある。
赤だか紫に染まる痣は、確実に明日までは残っちまうだろう。

「ってぇ、急になにしやがるっ」
「別に。惚けた顔していたから、起してやったんだよ」
「お前なぁっ」
「文句があるなら、さっさと独りでも生きていける程度には自立してくれ」
「……っ」

あっさりばっさり吐き捨てられた台詞。
俺だって出来るものなら即効でこの部屋を出て自立してやるところだ。
だが姉貴が義兄からのプロポーズを断ったとき。
その理由が俺だと気がつき、お荷物にはなりたくないからと出て行こうとしたときに。
今まで両親の代わりに俺を育ててくれた姉貴と、若しかすれば生まれて初めて本気で喧嘩して。

『稜も誰かと一緒に住むなら、出て行くことを許す』

そうでなければ、私は彼とは結婚しない。あんたが成人するまでは、あんたと一緒に暮らすわ。
感情のままに怒鳴りあった所為で赤くなった目を擦りながら、其れでも俺を見据えて言い切った言葉。
あんたを独りきりにはしておけないの。
釣り上がり気味の大きな目を更に大きく開いて、まるで俺を睨みつけるようにして吐いた台詞。
俺を想ってゆえの発言だなんて、訊かなくても判ってしまったから。

「……稜も、負けちゃったの?」

此処を出て行くわけにはいかない。桂嗣の暴言に暴言を返せなくなった俺の頭を、誰かがぽんと撫でた。
金色の細い髪が視界の端に映る。手入れ尽くされた、艶やかな金糸。柔かなウェーブ。
手の主は、白桜院の最上階に隠されていた子供だ。此処に居るはずのない、ニセモノの城に囚われた住人。

「ぁ?」
「僕もね、負けちゃったの。お兄ちゃんの大切な人には、なれなかった」

急に、何を?
桂嗣との言い合いに負けたことを言っているわけではないだろう其の言い回し。
頭に置かれた手をどかして、俺から斜め後ろ……桂嗣の横に立っていた架愁の顔を覗く。

「僕は、一番になれなかった」

視線はかち合っているはずなのに、何故か目が合っているきがしない。
俺を通り越してもっと遠くを見ているような、虚ろな瞳。
何の話だ?
架愁自身に訊ねて良いか判らず、ちらりと桂嗣に視線を向ける。
どうせお前は全部判っているんだろう。俺にも答えを寄越せ。

「……ということで、架愁は今日から此処で預かることになったから」

部屋はお前と一緒だから、仲良くしろよ。
しかし素知らぬ顔で俺の視線を受け流した桂嗣は、挙句に意味の判らぬ言葉を吐きやがった。




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