頭の中をくり抜かれたような、全てを他の誰かに摩り替えられたような。鈍い痛みと不快感が続いている。
こんな時は目を閉じて、そっと彼の声を探す。

『助けて』

ホラ、聞こえた。
瞼の裏に映るのは、彼が現在進行中で見ている世界。恐ろしき幻影。
真っ白な壁を覆いつくしそうな、黒い靄が広がっていく。

『海堵、海堵、助けて』

小さくて弱い声。俺を呼ぶ声が、脳に直接響く。
呼ばれたからって、俺に何が出来るわけでもないけど。ただ、瞼の裏に勝手に映ってしまう光景を見つめる。
黒い靄は、闇の象徴。
創造主が世界を拒否した日。俺達が生まれたと同時に、塗り替えられた存在。
真っ白な翼をもぎ取られ、一瞬で霧散して、しかし其のまま消えることも出来なかった過去の天使達。
創造主の元に還ることも出来ず、生まれ変わるための魂もなく。
空に漂いながら、己の身に起きた悲劇に、今も泪を流し続けている。


【創造主、何故に助けてくれない】
【何故、我等を拒否した】
【何故、何故、何故】


囁くような疑問。
答えられないで居る彼に、囁きが耳を劈くような悲鳴に変わる。


【創造主、我等を創ったのは貴方なのに!】
【我等を何故こんな姿に変えた!?】
【答えろ、カミサマよ!】


直接的に響いてくる非難の声。
悲しみが、憎しみが靄となって身体に巻きついてくる。
早く助けろと、お前にはそれだけの力があるだろうと、訴えてくる存在に。


『ぁ……あぁぁああっ』


幼い彼が、耐えられるはずがない。
周りを囲む靄を無我夢中で振り払おうとする。
だが、どれだけ手を振り回そうとも消えることのない黒い靄と悲鳴に。

『海堵! 海堵! 海堵!!』

靄に助けを求められた彼が、其の靄から逃れたくて俺を呼ぶ。
けど実際其の場所に行ったら、彼はきっと傷付くだろう。彼は、此の光景を共有したいだけだから。

『ッひ、ぃあぁあぁあああ』

闇色以外を探して、彼が壁に爪を立てる。
がりり、がりり、何度も爪を立てて。其の内に、闇色の世界に幾筋もの赤い線が生まれる。
指の先から、裂けるような痛み。此れは、彼の身体の痛み。
出来る事なら逃げ出したくて、でも俺さえも逃げたなら、彼の居場所は何処にも無くなってしまうから。


***


『キミ達に此れをあげる』

薄く青の世界にそびえ立つ、真っ白な塔。【始まりの天使】が創造主の為に用意した場所。
その、塔の最上階。
天使どころか天子でさえもあまり入ることが許されない場所で、カミサマが、最初で最後だという贈り物を俺達に寄越した。

『……イシ、ですか?』
『生まれなかったキミ達の兄弟だよ』

其れは真っ黒な石の欠片。
俺達は、カミサマが放った膨大な力が其のまま生命を持った存在だと聞いた事がある。
実際俺には俺として意識を持つ前の記憶がある。カミサマの中にいた時の記憶だ。
そして祈朴たちも、以前はカミサマの中に居た時の記憶があったと言っていた。
過去形の理由は、奴等が其の記憶を所有する事を拒否したからだけれど。

『祈朴は樹と精神の力。天眠は天と眠り。地補は治癒と地。海堵は水と誕生。そして此の子が、闇と死の力を持って生まれるはずだった』

淋しげに、欠片を見つめるカミサマ。
元々はナニカの形を創っていたのだろう。今では5つに割れて、元の形もわからないけれど。
そして無言で差し出され、僅かに迷ったものの、俺は其れの一つを手に取った。
つられて地補たちも手を伸ばす。すると欠片は急に形を変え、其々に小さな球体を創った。
まるで、元々が5つの珠だったかのように。


***


自分の部屋で横になっているとは思えないくらい、リアルな痛み。
今日は出掛けていなくて良かった。
なんてくだらない事を考える辺り、俺も可笑しくなっているのかもしれない。

『創造主っ』

赤色どころか肉片さえも壁に描かれたのではないかという頃。
ようやく塔の中に自由に出入りできる相手が、カミサマの様子に気がついたらしい。
身体全体を包み込む靄。其の中で微かに見える赤い筋。そして声の方から入り込むヒカリ。
カミサマにとっての、唯一のヒカリ。

「……どうせ来るなら、もっと早く来やがれ」

ヒカリが来た以上、俺は必要ない。
靄から救い出してくれと泣き叫ぶ事も、取り敢えずは止めるだろう。
小さく舌打ちをして、カミサマから送られてくる映像を遮断すべく、俺は瞼を開いた。




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