「あぁ、ソレですか。もう必要ないのでソチラにお返ししますよ」
嘲るような顔で笑い、鬱灯が青年に一瞥をくれた。

……え?

「本当はソレが海堵の記憶保持者だと思ったのですがね。違ったのでイラナイです」
サラリと言ってのける鬱灯の目に、青年に対する感情などは全く見えない。
い、いらないって……その台詞は……。

「……どういう意味ですか?」
抑揚のない声で、桂嗣が言った。
その表情は見えないけれども、穏やかな様子でないことはハッキリと判る。
「いぇね? 生まれたての頃に強い反応を感じたので、コレはもしかしてと思い、とある夫婦から買ったんですよ。
でも残念ながらソレは記憶保持者ではなかった。なのでせめて促進剤になればと、コチラに送り出したのです」
ニッコリと、まるで当たり前のコトのように話す鬱灯。

「その夫婦って言うのはもしかして……」
怒りを押し殺した声で、羅庵が呟いた。
「もしかしなくても、十数年前にこの家から駆け落ちして出て行ったあの夫婦ですよ」
……夏月叔父上のコトなのらね。
海堵の記憶保持者とか、促進剤とか、そんなのは全くわからないけど。何故かそれだけはすぐに判った。
この青年は、まろの従兄弟なのら……と。

「いらなかったら捨ててください。返されても困りますけどね」
そういい残して、鬱灯が一瞬にしてその場から消えた。
鬱灯がいなくなった場所に、小さな竜巻が出来ている。そして。

『あぁ、そうだ桂嗣。今度またお手合わせお願いしますね』
竜巻がなくなったと同時に、その言葉だけが部屋に小さく響いた。


***


「一体、何だったのら?」
鬱灯が消えて、どれ位かの無言のあと。どうにかまろの口が開いた。
「海堵の記憶保持者ってどういうコトなのら? あの鬱灯ってヤツは何をしたいのら? この青年はどうなるのら?」
聞きたいことは山ほどある。
術を使った時に聞こえた声も、さっき見た不思議な夢も、もしかしてソレに関係するのではないか?
内容量の少ない、小さな頭で考えた所で判るハズがない。まろの方を向いた羅庵を見上げ、説明を求める。
羅庵が、頭をポリポリと掻いた。

「海堵と言うのは、遥か昔に存在した天子の名前だ。記憶保持者とは、その海堵の記憶と力を受け継ぐもの」
教科書を読むかのような声で説明し、コイツについては……とそこで止まった。

「まさか、このまま見捨てたりはしないのらよね?」
そんなことは、まろが許さない。
ジーっと羅庵を見る。
「……この青年については、私共では決められません。青年がこの家に住めるかどうかは、当主である龍様に聞かなくては」
まろから目を反らしてしまった羅庵に変わり、桂嗣がそう答えた。
そういえば、この家のことは父様が決定権を握っているのだったのら。
「では、まろが直接父上に話してくるのら!」
愛息子が頼むのだから、父様だってきっと良い返事をくれるはず。
そう考えて布団から起き上がろうとして。

「あ、あれりょ?」

身体に力が入らないことに気がついた。
「コラコラ、駄目じゃんまろ様。まだ薬効いてんだから、無理して立ち上がろうとしちゃぁ」
布団から少しだけ這いずった状態のまろを布団の中に突っ込み、羅庵が笑った。
薬、そういえばもう痛みがなくなった。さすが優秀な医者。……とだけは言いたくないが。
「龍様には私から話しておきますよ。だから、まろ様はまだ眠っていてください」
まだ万全の状態ではないのですからと、桂嗣がまろの頭を撫でる。
「……絶対、見捨てたりしては駄目なのらよ」
出来れば自分で父様に言いたかったが、こんな風に心配されては無理してでも行く! とは言えなくなってしまう。
「大丈夫ですよ。だから安心してお眠りください」
優しく微笑む桂嗣。まろは少し考えて、コクリと頷いた。
「それでは、夕食の時間になりましたら起こしにまいりますね」
お休みなさいと、桂嗣と羅庵が部屋から出て行った。

ん? 夕飯???
ってことはまろ、お昼ご飯食べ損ねたのらぁぁぁ!!!
……ま。ずっと寝てたわけだし、此処は諦めて寝るとするのら。
ガバリと布団を被り、そして思い出したようにまた上半身だけを起こして側で眠る青年を見た。
……そういえば桂嗣たち出て行ったのらけど、目を覚ましても攻撃してこないのらよね??
今この状態で攻撃されたら、強制的に永遠の眠りに付かされちゃう気がするのだけれど。
てか普通、あんな危ないことした人と同室で寝かせるものなのらか!?

眠ったままピクリとも動かないその青年を見つめる。
そして数分後、疲れたように小さな溜息を付いたまろは、もぞもぞと布団の中に潜った。




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