「……あの声は誰だったのらろう」
舌の上に感じるジャリジャリとしたものを、新たに貰った水で流し込みながら、思い出したようにまろが呟いた。
「声、ですか?」
何か聞こえたのですか? と桂嗣が尋ねる。
「うむ。術を出す少し前に、誰かの声が聞こえたのらよ」
「どんな?」
「良く覚えてないのら。でも、その声の人がまろに術を使わせたのらよ」
ぼんやりと倒れる前のことを思い出そうとする。
けれどそのアトの夢の方が何故か頭に強く残っており、その前のコトは霧が掛かったようになっている。
突如、桂嗣が手に持っていたお盆を天井に投げつけた。ガコンとお盆が天井にぶつかり、そのまま床へと落ちる。
「ど、どうしたのらっ」
突然の桂嗣の行動に、上擦ったような声が出てしまった。
「いえ、ネズミがいたようなので」
なんでもありませんよ。桂嗣が落ちたお盆を拾う。
「ねずみとは。ちゃんとお掃除しないといけませんよ、桂嗣?」
さっきお盆が当たった天井の一マス分がポコンと外れ、一人の男が降りてきた。
何故に天井から人が降りてくるのだろうか。いつから此の家は忍者屋敷になったのか。
「そうですね。ネズミが居ると困るので……さっさと出て行っては貰えませんか?鬱灯(うつひ)」
考え込むまろを無視して、桂嗣がにっこりと笑いながら、その男……鬱灯に言った。しかし残念ながら、目は全くと言って良いほどに笑ってはいない。
「あれ? もしかしてネズミって私のコトだったんですかぁ? 相変わらず酷いコト言いますねぇ」
「いえいえ。心臓に毛どころか蛆が湧いてそうな貴方ですから、この位では一ミリたりとも傷付かないでしょう」
「心臓に蛆とは。それでは腐乱しちゃってるじゃないですかぁ」
「そうですねぇ。良かったらお茶代わりに防虫剤をお出し致しますよ」
「あは。勿論桂嗣がmouth to mouth で飲ませてくれるんですよね?」
「断固拒否させて頂きます。是非ご自分お一人でお飲みください」
……こわ!!!
「な、なんなのら? この二人の会話は」
固まったような笑顔で延々と毒を吐きあう二人に、まろが怯えた声で羅庵に聞いた。
「あぁ。まろ様は鬱灯に会うのは初めてだっけ。なんて言うか……桂嗣の友達?」
「こんな人と友達にしないでください!!!」
羅庵の疑問系な言葉を、即座に桂嗣が否定した。
「そうですよぉ。私と桂嗣がお友達だなんて。桂嗣と私は、もっと深い所で繋がり合ってるんですから」
しかし気にした様子のない鬱灯が、不気味な笑みを浮かべる。
なんとも意味深な言葉だろう。思わず深読みしかけて、胸元を押さえた。
「不快な所の間違いでしょう。ってかまろ様を動揺させるような発言は控えて頂きたいですね」
「まぁ良いではないですか。これからはまろ君とも深い付き合いになるわけですし」
さらに続く意味深な発言。まろの心臓がバクバクと音を立てている。
「……どういう意味ですか」
そんなまろとは逆に、先ほど以上にさめた視線の桂嗣、強い口調で鬱灯に尋ねた。
「チッ……」
何故か小さく舌打ちした羅庵が、まろの前に立った。まるで、鬱灯からまろを守るかのような格好。
「いやですね。判っているんでしょう? まろ君が海堵の記憶保持者であるって」
まろが、海堵の記憶保持者?そういえば、さっきまろが目を覚ます前にも桂嗣達が話していたような。
「とは言っても、力を使いこなせるようになるのはまだまだ先のことのようですね」
そう言った鬱灯が、羅庵越しにまろを見て小さく嘲った。冷たい眼差しに、何故か背筋に冷や汗が流れる。
「まぁ、今日は目覚めを促進させることが出来たようなので、もう帰りますよ」
もとの笑顔に戻った鬱灯が、クルリとまろ達に背を向けて何処かに行こうとした。
「ちょっと待てよ」
そこを、さっきまで黙ったままだった羅庵が止めた。
「コイツ、お前等のところのだろ。連れて帰らないのか」
と未だに眠ったままの青年を指さす。
そういえば、よくこの騒がしい状態で寝ていられるのらねぇ。ある意味、感心するのらよ。
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