「やはり朝飯には銀シャリと焼鮭が一番だのぉ」
もそもそと口内一杯に白米を詰め込む。米はやはり焚きたてのコシヒカリが良い。
ついで行儀が悪いと知りつつも、脂ののった鮭と醤油味の卵焼きも同時に放り込む。
もぐもぐと租借すれば、其れは幸福の時間。甘めの卵焼きも好きだが、鮭と一緒に食べるなら醤油味が一番だ。
「年寄りの発言だな」
頬袋に木の実を詰め込むリスのように頬を膨らませているまろに、隣に座っていた羅庵がくつくつと笑った。
手には通常の茶碗3杯分以上入るドンブリ。数分前には山盛りだった白米が、今では半分も残っていない。
食卓に着いたタイミングは、皆同じだった筈なのに。
「羅庵よ。医者の癖に何でも丸呑みするのは如何かと思うぞ?」
箸の進む速度が早いくせに、まったく噛んでいる様子がない。つまりは租借することなく飲み込んでいるということ。
一口30回は噛めと教わらなかったのか。
からかいの言葉には敢えて反応せずに注意してやれば、羅庵が更に楽しげに笑った。
当たり前のことを当たり前に言った筈なのに、どうしてこんなに笑われなくてはいけないのだろう。
飯を詰め込んでいるのとは別に、ぷっくりと頬を膨らませる。
「其れで、どうします?」
「ん、あぁ。そうだったのぉ」
無意味だと知りつつも羅庵を睨みつけていると、向かいに座っていた桂嗣が苦笑気味に声を掛けてきた。
其の横には勿論いつだって抱きつき隊……もとい、辰巳が桂嗣の腕に張り付いている。
銀シャリのあまりの旨さに話を中断させたことを思い出し、まろはぽんやりと口を開いた。
「次のAngelusの在処がわからない以上、無闇に旅をしても仕方なかろう」
「では一度鶴亀家に戻られますか?」
「うむ。そろそろ父上たちの顔も見たいからな」
両親に育てられたというよりは桂嗣たちに育てられたと言っても過言ではないまろ達だが、其れでもたまには親の顔くらい見たくもなる。
特に栗杷の父親なんかは殆ど会うこともないくせに、否、日常会えないからかもしれないけれど。相当の娘バカっぷりだ。
栗杷の元気すぎる様子を見せてやらなくては、そろそろ死にかけている頃かもしれない。
「え〜、もう帰るの? せっかくだから観光くらいしたいわ」
しかしホームシックという可愛らしい言葉も知らない親不孝者が、不満げな声を出した。
辰巳同様、食事をしつつも架愁の腕に己の腕を絡ませるという器用な芸当をみせている。
せっかく都市部に来たのだから、色々な観光スポットを巡らないと勿体無いということらしいが。
まったく。親の心子知らずとはまさにこのことだろう。
「……まろ、良いわね?」
頭の中で呟けば、何かを察したのだろう。栗杷が疑問系なのに何処か命令系な声で訊ねてきた。
架愁に向けているときとは全く違う冷ややかな目線。返事を返す間もなく、まろはコクリと頷いた。
***
確かなる情報力と優秀な人材を誇る護殊庁でさえも、Angelus、最後の一つの在処は特定できていないらしい。
在処は判りませんが、此の後の旅はどうしたいですか?
頂きます、の直ぐ後に桂嗣が掛けてきた言葉。
せっかく此処まで来たのに、最後の一つだけが判らないなんて……と少々悲しげに見えた理由は、まろを思ってのことだろう。
まろからすれば、特徴があるわけでもない闇色のイシの在処など、判る方が疑問だが。
其れを桂嗣は勿論、護者である童輔に聞いてみても、多分本当の答えなんて貰えない筈。
何故自分がそう確信できるかも、判らないけれど。
「お主、此処にいたのか」
栗杷の意見だけが通ってしまった朝食を終え。
ひとりぽてぽてと廊下を歩いていたまろは、目的の人物を見つけて声を掛けた。
朝食を一緒にとらなかった理由は、朝の鍛錬が終っていなかったからのようだ。
空に浮き座禅を組んでいる姿は中々似合っている。
「お、なんや?」
額に汗の粒を大量に作っている童輔が、まろを認めて、ひょいと片眉を上げた。
まろよりも数歳しか変わらないはずなのに、何処か大人びすぎた表情。
「……取り合えず中に入ってこぬか」
流石に3階の廊下に立ってちょうど目線があうような場所……しかも窓の外で座る相手に話すのは、見ている此方の心臓に悪い。
一言でまろの言いたいことを理解した童輔が、ひょいと窓枠を超えて中に入ってきた。
こうして廊下で並ぶと、身長の差があるために、どうしてもまろが童輔を見上げる形となる。
少しの間、ぼんやりと其の顔を見つめ。童輔も首を傾げつつも何も言わず。
「童輔よ、まろを護殊庁に案内してくれぬか」
「……ぁ?」
十秒か。はたまた数分か経った後。まろはようやく口を開いた。
声を掛けたときとは全く違う、至極真面目な口調。
まさかこんな事を言われると思ってもいなかったようで、童輔が不審そうな表情を作った。
何故?
顔面一杯に浮き出ている疑問。敵か味方か見定めているようにも感じられる表情。
働いている子供は、こんな顔も作れるのか。
くだらないことを考え、振り払うように軽く頭を振ってから、まろは再度真剣な声を吐き出した。
「Angelusを集めきる前に、どうしても確認しておかなくてはならぬことが出来たんじゃよ」
羅庵に背負われて帰宅する最中に見た夢。
稜と呼ばせる青年の記憶。
『この暖かな存在を、其の未来を、勝手に消す事は出来ない』
姉の子供だと思われる存在を抱き締めたときの、彼の感情。
其の無視することも敵わない強い想いが、目を覚ました後でさえもまろの中に残っていたから。
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