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「……やぁ、今晩は」
白桜院の最上階。
外からでは5階建てに見えるこの孤児院の、6階部分に位置する場所。
西棟5階にある玩具用倉庫の一番奥。真平らな壁の向こうに、階段はあった。
どうして其の扉を開ける方法を桂嗣が知っているのか疑問だけれど、今はそんなことを聞いている状況でもない。
捜し求めていた鍵が、遠い過去に約束をした相手が、この先にいるかもしれない。
高揚する感情を押さえ込み、ガンガンと響く頭痛に耐えながらも走りこんだ部屋の中。
其処にいたのは鍵ではなく、独りの子供だった。
「ぁ……?」
「架愁、久しぶりだな」
階段を駆け上り、扉の付いていない部屋に駆け込んで。俺は其処に居た存在に、目に飛び込んできた光景に足を止めた。
全面に広がる花畑。否、花畑に似せて飾られた、大量の造花達。上を見上げれば天井部分は青空が描かれている。
この場所に入るまでは深夜の時間帯らしく、何処も真っ暗だったというのに。
晴天の昼間かと思わせる、強すぎる照明。足元に広がる芝生も、もちろんニセモノだ。
「そうだった? 最後に桂嗣に会ったのは」
「確か先々週くらいだったかな」
「先々週?」
「……結構前だってことだ」
「そう。それなら、お久しぶりだね」
まるでテーマパークの一室。
通常の孤児院ではありえない光景に呆然とした俺を無視し、桂嗣がすたすたと中にいた子供の隣に行った。
子供、とは言っても年は14・5くらい。しかも女っぽい顔立ちではあるが、声からして多分男。
じょうろを持ち、このファンシーな部屋に居るには似合わない年頃なのだが。
「彼は?」
未だに部屋の入り口で佇んでいた俺に、子供が視線を向けてきた。
ウェーブ掛かった金髪。長めの前髪に隠された目も同様の色。身体は細く、色は白い。
俺だったら確実に似合わないこの部屋だが、この子供だと違和感を感じない。
幼い頃、姉貴が持っていた人形を思い出させる風貌。綻んだ口元が、その笑みが、作りモノに見えた。
「前にも話した事があるだろう、俺の同居人の稜だ」
「あぁ、あの子が」
ゆっくりとした歩調で、子供が俺の前にまで来た。
なんだ、コイツは。どうして白桜院の最上階に居るのが、こんな子供なんだ?
桂嗣の知り合いなら、警戒する必要もないだろう。まじまじと見つめていると、子供が俺の髪に触れた。
思わずその手を振り払おうとして、しかし子供の表情に、俺は息を飲んだ。
いつか見た事のある表情。此の子供は初対面のはずだから、別人だろうけれど。
こんな表情をするヤツを、以前にも見た気がする。其れが誰かは、忘れてしまったけれど。
子供から視線を外し、桂嗣の方を見る。
説明をしろ。
うっとりとしたような、何処か寂しげな表情を浮かべる子供越しに、口パクで質問する。
俺の髪を梳くことに集中している子供は、全く気がついていない。
苦笑した桂嗣が、子供の手を優しく止めた。
「此の子は巽の義弟だ。白桜院が建てられた時から、この部屋に住んでいる」
「巽の弟?」
「とはいっても、血は繋がっていないけどね。僕はお兄ちゃんに拾われたの」
桂嗣に手を取られ、少々不満げな視線を向ける子供。
どうしても俺の髪に触れたいらしく、囚われていないほうの手を伸ばしてきた。
細い指先。怪我なんてした事ないんじゃねぇか? そう思わせるほどに繊細で、手入れされつくした肌の色。
「なんでこんな場所に?」
「外は危ないから、此処に居なさいって」
白桜院最上階に行く道は、確かあの玩具用倉庫に隠された階段のみ。
わざわざ隠されている此の場所は、つまり普通に出入りする事も難しい。
俺たちのように訓練を積んでいるならまだしも、此の子供は其の手の教育を受けている様子がない。
「……捕まっているのか……?」
頭の中に出てきた言葉が、そのまま口から毀れた。
昼間は孤児院に住まう子供達が居るために、玩具用倉庫の隠された扉をあけることは出来ない。
深夜なら深夜で、不審者が入り込んでいないかと定時に警備の者が確認して廻る。
誰にも見つからないように此処から出る事だって、一般人には無理だろう。
『護殊庁・桜花寮・白桜院。此の中で忍び込むことが一番難しいのはどれだ?』
桂嗣に訊ねた時の返答は、もちろん護殊庁だったけれど。
白桜院には隠された部屋があると聞いて、其れならば此処に鍵が居るのだと勝手に考えていたが。
まさかこんな子供が囚われているとは。
「違うよ、僕は自分から此の部屋を出ないんだ」
変に息が詰まった俺に、ようやく子供が髪を梳く手を止めた。にこりと微笑む。だが人形のような、虚ろ気に見えてしまう表情。
そうか。俺は擦れた声で返答をし、なんとなく、子供の頭を撫でた。
艶やかな黄金の髪。長いまつげで縁取られた瞳。巽と血は繋がっていないというが、祈朴に似ている。
巽。白桜院の設立者であり、祈朴の記憶保持者。そして頭の奥にいる遠い存在を、ソイツの考えを肯定する者。
実際に会ったことはないけれど、いたるところでその名前を聞くことが出来る。
史上最年少の護殊庁幹部。そしてトップに昇り詰めた男。力を持ち、護殊庁に勤めたいと願うものなら、一度は憧れる存在。
だが、実際のトコロは。こんな場所に子供を隠しているような人間。
「……架愁、だったよな?」
「うん。架けわたす、愁いって書いて架愁。お兄ちゃんがつけてくれた名前なんだよ」
断じて俺がチビだというわけではない。が、身長のあまり変わらない子供を撫でるというのも変なものだ。
だが幼稚な口調が、此の部屋に似合うようにと無理やり作られている気がして、俺は僅かな間、架愁の頭を撫でていた。
此の部屋の意味は何か。架愁がどうして此処に囚われているのか。
流石に架愁の前でそんな話題は出せないから、帰ってから桂嗣を問い詰めてやる。
ニセモノの花畑。ニセモノの空。
架愁には気が付かれないよう、俺は胸の中で舌打ちをした。
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