後頭部を金槌か何かで殴られているような痛み。
もしくは冷水を浴び続けたかのような、鋭い痛みが続いている。
仰向けで眠っている所為だろうか。寝返りを打ちたいけれど、身体が言うことを利いてくれない。
金縛りにでもあっているのか?
足の指から、ゆっくりと感覚を確かめていく。親指、人差し指、中指、薬指、小指。僅かだけれども、意思どおりに動く。
続いて膝、太腿。横に力を入れると、体温を移していない布の部分に触れらた。
腰、腕。寝返りは打てなくても、それなりには動かせるようだ。
途切れていた神経を繋げていくように、ゆっくりと下半身から感覚を取り戻し。

「……ん?」

掌にある硬いモノに、まろは無意識の内に声を出していた。
良かった。声も出る。
先ほどまで見ていた夢は、過去の記憶でしかないというのに、今現在切られたような痛みを感じて。
起きた瞬間、夢どおりに声を失っていたらどうしようかとヒヤリとしてしまったから。

「目が覚められたのですね」
すぃと襖の開く音がして、誰かが中に入ってきた。
目を閉じているのに、まろが起きていると気がつくなんて、さすがは桂嗣。タヌキ寝入りで騙せない相手だ。
瞼を開けようと、目を閉じたままで目玉を上下左右に動かす。
目を閉じていれば必ず映った青年の姿は見えない。今は見たくもないから、其れで良いのだけれども。
「うむ、今ほど目が覚めた」
「そうですか、痛いところなどはありませんか?」
何度か瞼をぴくりぴくりと動かし、ようやく視界が開けた。
見慣れない天井。雨漏りでもしたのか、端の方には黒い染みが広がっている。
もっと幼い頃なら、人の顔だと騒ぎ立ててしまいそうな形。
「頭が痛かった」
過去形の理由は、身体の感覚を取り戻していくと同時に少しずつ薄れていったから。
数分も経っていないはずなのに、頭痛なんて初めからなかったように後頭部はすっきりとした感じだ。

それにしても、今の夢は一体どんな状況だったのだろうか。

天井の染みを数えながら、まろはゆっくりと考え始めた。
稜は巽に追われていた。確か遠い以前、稜は組織の者に殺されたのだと羅庵に聞いたことがあった。
ということは巽が稜を? 特に係わり合いもなかった2人なのに、どんな理由があったというのか。
それに稜の中にいた存在。現在はまろの中に居る青年の、不思議な発言と行動。
喉をかき切ったのは海堵だと、稜は思っていた。確かにあの時、海堵が怒っていることを強く感じた。
だからといって、そんなことが出来るものだろうか?
それにどうしてそんな行動を?

「……冷たくはないですか?」
天井の染みを睨みつけて考え込んでいると、額に冷たい布を掛けられた。
寝込んでいた……倒れていた? まろの為に、桂嗣が用意してくれたらしい。
「うむ、気持ちが良いぞ」
ひんやりと前頭部が冷やされ、実は頭が熱を持っていたことを知る。
ゆっくりと瞼を閉じ、それにあわせて深呼吸をする。
奥に居るはずのソライロの髪を持つ青年は見えない。何処かに隠れているのか?
自分の身体なのに、自分には見えない場所が在るというのも変な感じだ。
「桂嗣は、翡翠達のことを思い出したのか?」
自分の中にいる存在が見えないことと、自分の過去をすっかり忘れてしまうことは似ている気がする。
瞼を閉じたままで、まろは訊ねた。
隣で膝を付いている彼はどんな表情を作っただろうか。 気になったが、何だか見てはいけない気がして目を開けられない。
仰向けで眠るまろの頭を、暖かな手が優しく撫でた。
「いいえ、今でも思い出せません」
何処かさっぱりとしたような、悲しいような声。 けれど翡翠が消える前の桂嗣の台詞、まろには遠い人物の発言に聞こえた。
翡翠の為に、敢えて真似たということだろうか?
「そうか」
しかしまろには其れ以上追求出来ず、ただ頷いておいた。
頭を撫でていた手が、髪の毛へと移動してさらさらと梳いていく。
大きな手で髪を弄られるのは気持ちが良い。思わず又も眠ってしまいそうだ。
手櫛で髪を梳かれる度に、頭の中がぼんやりとしてくる。本気で眠たくなってきた。

「まろはどれだけ眠っておったのだ?」
もし一日でも過ぎていたなら、食事を取ってから眠ろう。
実際寝ていただけなのだから食べなくてもいいのだけれども、ちょっと勿体無い気のするまろは訊ねた。
最後の記憶は深夜、天使の前で激しい頭痛襲われるまでだ。今は何時だ?
窓の外から光が差し込んでこないことを考えれば、朝や昼ではないことは判るけれど。

「ちょうど丸一日です。熱もあるようでしたので、童輔に個室を用意してもらいました」
「童輔か。犯人が見つかって、喜んでおったか? 天使を殴りつけぬよう、一度注意しておかなくてはな」

この街の護者である少年。桂嗣にまで食って掛かかる程に犯人を捜していたのだから、きっと喜んだはずだ。
だが熱血な彼だと、一発くらい天使を殴りつけそうだから。軽口を叩くように呟き、薄っすら瞼を開けた。
かち合った視線。微笑んでいた桂嗣の表情が、僅かに強張り、直ぐに困ったような笑みに変わった。
「……覚えて、いらっしゃらないのですね」
軽く瞬きをして、まろから視線を外す。
「……どういうことじゃ?」
まさか昨晩、まろの意識が無くなって以降に何かあったのだろうか。
視線を合わせてくれない桂嗣に、強めの声で問う。天使が、どうしたというのか。
急に嫌な予感がして、いつのまにか普通に動くようになっていた手を強く握る。
其の拳の中、硬い何かを握っていたことを思い出した。
先ほどは桂嗣に声を掛けられたせいで、すっかり忘れていたけれど。

「昨晩、瑪瑙は消えました」

予感どおりの返答。更に強く手を握ると、ちくりと何かが刺さった気がした。
胸がドクドクと鳴る。背筋に、冷や汗が流れた。
イシを天使に渡すと決めた瞬間に、始まった頭痛。ソライロの髪の存在が、何か恐ろしい言葉を吐き出していた。
そして痛みに飲まれて、意識が飛んで。

「まろ、か」

違う、言って欲しい。
嫌な予感が又も当たってしまいそうで、まろはじっと桂嗣の顔を見つめた。
苦々しい表情。そういえば白雉の龍を壊したとき、まろが自発的に攻撃をしたわけではなかった。
あの時、まろの身体を使って攻撃を仕掛けたのは。
「はい。瑪瑙にAngelusを渡して直ぐ、急にふらりと倒れかけまして。持ち直したと思ったら、瑪瑙を……」
「殺した、のか」
最後まではいえなかった桂嗣の変わりに、言葉を綴る。
小さな溜息。多分、肯定なのだろう。

まろが、瑪瑙を消した。
……違う。まろの身体を使った海堵が、だ。

身体が一気に冷たくなる。恐怖というよりも、怒り。
強く握った拳は、多分中に握る物体によって切られたのだろう。にゅるりと生暖かいものを感じた。
何のために瑪瑙を?
理由なんてわかりきっている。手にある存在を確かめようと、まろは腕を布団から出した。

「血が……」
「まろは、瑪瑙から此れを奪ったのか」

目の前に翳した腕。強く握った拳を開けば、想像通りのモノが其処にあった。
翡翠から取り出されたときには球体だったのに、今は何故か角ばったモノになっている。 輝くことの無い、真っ黒なイシ。Angelus。海堵が探しているもの。
中指の付け根が少し切れてしまったらしく、朱色の滴りを纏っている。
生きろと、そう言い天使に渡したイシを、海堵が奪い返したのか。 例えイシが無くても、掻き消えるには時間があった天使を、殺して。
「……瑪瑙は、笑っていましたよ」
手首に伝い始めた朱を、桂嗣が小さな布で拭き取ってくれた。
優しい声が耳に入り、其のまま何処かへと抜けていく。
「もともと、長い命ではありませんでしたから……」
まろを想っての慰めの言葉。
確かに天使は、自分が掻き消え始めたことを知り、微笑んでいたけど。

「まろが、奪ったのか……」

あんな悲しものではなく、もっと楽しげに笑える瞬間を知って欲しかった。
目の前に掲げた手。其の中に掴んだイシを睨みつけながら、まろはぼんやりと呟いた。




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