先ほどまでの爆音が消え、急に静かな夜に戻る。
羅庵に抱きかかえられたまま、まろはぐいと桂嗣の服を引っ張った。
「お主、何故此処に?」
「先ほど巽に会いましてね、彼等のコトを聞いたのですよ」
先ほど貰えなかった回答をねだれば、桂嗣が苦々しげにそう笑った。
彼等……翡翠たちが何故此処にこうしているかを、知っているかのような表情。
なんだか胸が痛くて僅かに視線をそらせば、頭の奥で誰かの舌打ちが聞こえた。
「巽とは、架愁の兄の巽じゃよな?」
「えぇ。片翼の天使による被害が止まらないということで、様子見に来たらしいです。攻撃を受けた民家を鎮火している時に会いまして」
「それで、巽は翡翠たちのことをなんと……?」
「過去の、友人だと」
苦笑いが、悲しみの表情に変わる。
記憶保持者である巽は、桂嗣にどんな説明をしたのか。
瞳の奥の感情を読み取れないかと覗き込む。しかし桂嗣はまろの頭を軽く撫でたあと、すいと離れてしまった。
向かった先は勿論、天眠を待っていた天使達の元。
部外者が近寄ってもいいのだろうか。迷ったものの、どうしても気になるので、まろも降ろせと羅庵に頼む。
一瞬だけ躊躇ったあと、羅庵はわざわざ隣の屋根に降ろしてくれた。

「おひさし、ぶりですね」

先ほどニセモノから受けた傷のせいかなのか。
桂嗣が傍に降りても、天使達は屋根に座り込んだまま動かずにいた。
それでも、隣家の屋根に立つまろからでもはっきりと判るほどに、天使達は桂嗣だけを見ている。
否。桂嗣の中にいるかこの存在を見ているのかもしれない。
「……遅れて、すいませんでした」
同じ屋根の上にいた鬱灯に離れるように伝えた後、桂嗣がそっと天使達の傍にしゃがみこんだ。
此処からでも、翡翠の輪郭が風に揺られて薄くなっているのが見える。
消える間際を察してなのか、桂嗣がそっとその頬に手を添えた。
風に流されていた輪郭が、すこしだけはっきりとする。其の手を、翡翠が振り払った。
「気にするな。お前は、間に合ったから」
まるで拒否。そう見えたのはまろだけでもないらしい。
翡翠の横に座っているもう独りの天使が、翡翠の名前を小さく呼んだ。
此処からでは桂嗣の表情までは見えない。しかし行き場を失った其の手が、ゆっくりと降ろされて。
きっと桂嗣も同様に思ったのだろうと、まろは変に胸が痛んだ。

僅かに、無言の間が流れて。

「お前に、返すものがあるんだ」
桂嗣の方だけを見つめていた翡翠が、不意に微笑んだ。
ゆっくりと立ち上がり、桂嗣にも手を差し伸べて立つように促す。
何を、するのだろうか?
当事者ではない以上、横から口を挟むことが出来ないまろは、ただただ気を揉むしかない。
両手を握ってみていれば、少々遅れて桂嗣も立ち上がった。
「俺には、必要ないから」
そういって翡翠が己の胸に手をあてる。
淡い光が其処に生まれ、中心部分に何かが形を創った。
なんだろうかと、じっと目を凝らしてみる。だが未だ光に包まれた正体がまろには判らず。

天眠のイシだ。

眉間に皺を作ってまで凝視していたまろの頭の奥に、不機嫌そうな声が聞こえた。
しかし驚いた声ではなく、初めから判っていた……とでも言うような声。
もしかして海堵は、翡翠に会った時から判っていたのだろうか?
頭の奥で呟いてみるけれど、海堵は其れきり黙ってしまい答えはくれなかった。
それにしても、天眠のイシをどうして翡翠が持っている?
疑問を口にする前に、光るイシを手に掴んだ翡翠が、其れを桂嗣に差し出した。
「安心したよ。もう独りじゃないんだな」
受け取らない桂嗣の胸に、イシを握るこぶしで軽く叩く。
見れば先ほどまで座っていたはずの銀髪の天使も、翡翠の横に立ち微笑んでいる。
ただ、翡翠よりは僅かに悲しげで、1歩間違えれば泣き顔にも見えてしまうけれど。
急にこんなものを差し出され、桂嗣は何を思うのだろうか?
やはり此処からでは表情が見えず、まろはなんとなく隣に居る羅庵の服を掴む。
羅庵の大きな手が、まろの頭をくしゃりと撫でた。

天使達が、桂嗣の次の動きを待っている。
夜風が流れ、薄い雲が何処からか現れ、月が隠れて。

「……有難うございました」
胸にあてられたままだった翡翠のこぶしを、桂嗣の手が掴んだ。
まろにはあまり聞き覚えのない、いつもよりナニかが違う其の声質。
でも夢の中でなら、何度となく聞いていた其れは多分、天使達が待ち望んだ相手。
「いや、俺こそありがとうな」
翡翠が、口の端をあげるという記憶の中で何度も見た彼らしい笑みを浮かた。
緑掛かった白髪が、またも風に流されて。
今も翡翠の指の間から光を放っていたイシが、桂嗣の手に渡された。
長い前髪の隙間から見えたのは、僅かに泣き出しそうな、しかし嬉しそうな笑みで。

「…………っ翡翠!?」

翡翠が、掻き消えた。
確かに居たはずの其の場所……桂嗣の向かいで銀髪の天使の横。其処にはもうなにもなくて。
思わずまろは彼の名前を呼んだが、勿論答えは返っては来ない。
ただ隣に立っていた羅庵が、何かを諭すようにして、まろの頭を優しく撫でた。




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