天上界があった。
其処には俺に良く似た翼を持つものが住んでいた。

地上界があった。
其処には俺に良く似た姿を持つものが生きていた。

けれども其のどちらにも、俺の居場所はなかった。
俺が存在を許されていたのは、その中間。休む場所さえもない空という空間だけで。


***


「彼は俺たちのような下級天使にも居場所をくれるのだって」
そういって嬉しそうに笑ったヤツは、居場所を見つける前に掻き消えた。
ヤツは綺麗な銀色の髪を持っていた。俺の蒼み掛かった白髪を、ヤツは綺麗だと褒めた。
ヤツは名前を持ってはいなかった。俺も名前を持っては居なかった。
産まれた直ぐに捨てられる下級天使に、呼び名は必要ない。
互いに『オイ』とか『ナァ』で呼んだ。もともと会話なんて殆どなかった。
別にヤツと仲間だった、などというわけではない。
己が消えるまで続く放浪に、仲間なんて必要はない。ただ、飛んだ場所が同じだっただけだ。
どちらかが先に掻き消え、残ったほうが独りで放浪を続けるのだと判りきっていたから。
相手の名称なんて不要で。……それでも。

「せめて還る場所があったら良かったのに」

身体の端々が風に流され始めたヤツが、ぽつりと呟いた言葉。
独りで放浪することが恐ろしくなるほど、耳にこびり付いて離れなくなって。
ヤツが消え去る瞬間を見届けて、俺は俺に居場所をくれるという『彼』を探し始めた。


***


「何を、思い出しているの?」
夜闇を仰いだ居ると、先ほどから後ろで突っ立っていた瑪瑙(めのう)に呼ばれた。
天眠を、見つけないとね。
そういわれた後に返事をすることもなく上だけを見ていた俺を、心配しているのだろう。
ゆっくりと振り返れば想像したとおり、瑪瑙は悲しそうな笑みを浮かべていた。
昼間なら光を受けて様々な色を映し出す翼も、今はただ白銀に輝いている。
「……天眠に、会った時のことを考えていた」
「そう、懐かしいねぇ」
きっと瑪瑙としても俺が考えていたことなど想像できていたのだろう。
表情は変わらないまま、しかし優しげに答えてくれた。
懐かしい。実際はそんな言葉では表せないほど、遥か以前。
普通ならば、記憶を掠れさせてしまっても仕方がないほどの過去。
まさか下級天使である己が、こんなに長いときを過ごすとは思っても見なかったけれど。
「本当に、懐かしいな……」
少しでも振り返れば、当時の光景は鮮やかに蘇る。

『私を、探していると聞いたのですが……』

居場所も還る場所も、呼ばれる名前さえもなかった俺に、俺たちに其の全てを与えた天眠。
『綺麗な翡翠色ですね。名前は翡翠にしましょうか』
名前を決めたときはあまりに安直なヤツだと思ったけれど。
『簡単な建物ですけれど、身体を休めるには十分でしょう』
出て行きたくなったら出て行けばいい。帰りたくなったら戻ってくればいい。
幾つもの木々を組んで建てられた建物は、言葉通りに質素なものではあったけれど。
何も与えられずに放り出されていた下級天使には、手に入れたくて堪らないモノだったから。

「きっと、今晩こそ会えるよ。天眠は、此処に来る」
またぼんやりと思考に耽った俺を、心配してくれたのだろう。
瑪瑙がそっと、俺の頬に手を添えた。風に流され始めた輪郭が、もとに戻る。
悲しげな微笑み。
瑪瑙もまた、天眠が此処にくることを願っているのだ。

『……皆、いなくなってしまいました』

アレは皆に与え続けてきた天眠が、大切な全てを失ったとき。
つまり天眠にとっての大切な皆、のなかに俺たちが入ってはいなかったと思い知らされたとき。

『私独りで、どう生きて行けというのですか……』

始めてみた虚ろな天眠に、俺たちは約束をしたのだ。
独りは、もう欠けてしまったけれど。

『それなら……』

あの時俺たちは、天眠の還るべき場所になってやると約束をしたのだ。
例え其れが、身代わりでしかないとしても。




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