雲ひとつない闇夜。
昨日出掛けた時より遅い時間帯なのか。民家から漏れる明かりが少ない。
それでも月の輝きが地上に差込み、目を凝らさずとも十分に周囲を見渡せる晩。
「もう独りで飛べるんじゃないのか?」
「うんにゃ、残念ながらまろは未だ無理だのぉ」
羅庵の背中に張り付いたまろが、エヘンと踏ん反り返った。
威張ることじゃねぇだろ。まろの返答に、羅庵の楽しそうな笑い声が耳に届く。
軽やかな飛行の時間。
地上からの光がない分、天上を彩る星屑が鮮やかに目に映る。
見つめていれば、そのまま吸い込まれてしまいそうな蒼色。
この先に、天界があるのだっけ?
夢の中でさえ一度も言ったことのない其の場所。
いや。過去、まろがまろでさえなかった遠い過去には、住んでいたはずの場所。
未だ出てきてはいないけれど、毎晩見続ける夢の調子なら、天界を見られる日も遠くはないはず。
其処がまろの想像するような場所であるかは、わからないけれども。
「うのっぉ」
ぼんやりと考え事をしていた所為なのか。
羅庵の肩に乗せていた腕が離れ、まろはグラリとバランスを崩した。
自分から踏ん反りかえるなら大丈夫なのだが、不意のことには対応出来ない。
「おっと……」
間抜けな悲鳴を上げれば、即座に羅庵が速度を緩めてまろを背負いなおす。
さすがはエセ医者。そろそろエセという言葉を外してあげる時期かもしれない。
そんな事を考えつつ、まろは今から向かうべき方向を羅庵に教えてあげた。
遠い以前、天眠が下級天使たちを集めて『勉強会』を行ったという場所を。
***
「すまなかったのぉ」
不要に心配させたことを詫びたまろは、其の後で羅庵にひとつの提案をして見せた。
「ところでな、羅庵よ。今からまろと月光浴に出かける気はないか?」
布団からもぞもぞと顔を出し、ほんの少しだけ口の端をあげて笑ってみせる。
羅庵が、まろの珍回答を待っているときの表情を真似て。
その顔を見た羅庵も、やはりヒョイと眉を上げて同じような笑みを浮かべた。
「ダレに、会いにいくつもりだ?」
実際はまろの答えなんてわかりきっているんだろう。
わざとゆっくりと吐き出されたセリフ。
まろは敢えて直接には答えず、遠まわしに、しかし羅庵なら理解してくれるだろう言葉を吐いた。
「昨晩な、架愁に一つ質問をしてみたんじゃよ。
友人を憎んでいるわけでもない。名声を落としたいわけでもない。それなのに友人の名を語って悪事を働く。とすれば、理由は何か?」
出来る限り気の抜けた声を出し、まるでなんてことない日常会話に似せる。
隣の布団で聞いている羅庵も、直接的な答えを要求はしない。
ただ相槌なんかを打ったりしてくれるから。
「自分が居ることに気がついて欲しいのかもしれない、のだと」
まろは、やはり何てことないように言って見せた。
多分この声は、向かい側で栗杷たちと並んで眠っている架愁にも聞こえているから。
きっと聞こえていながら、眠った振りをしているのだろうから。
「……なるほど」
視線を合わせていた羅庵の表情が、軽く歪んだ。
架愁がこの言葉を吐いた意味を知っているとでもいうかのような、小さな苦笑。
いや、多分知っているのだろう。
そしてコンナ言葉を吐いてしまうような過去が、架愁にあるのだろう。
あのときの、あの言葉を吐き出したときの架愁の表情。
それはまろにも勝手な想像をさせるほどに、架愁には似合わぬ影を落とした瞳だったから。
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