頭が、痛い。
瞼の奥で何かがチカチカと光っている。


「……むぅ?」

奥から響いてくる鈍い痛みに、まろはゆっくりと目を開けた。 だが其処に映ったのは、当たり前だが最近見慣れた天井で。 痛いと感じた頭も柔らかい枕にすっぽりと収まっている。
はて、変な夢でも見たのだろうか?
時々まろは、鮮明すぎる夢に、其の感覚を持ち帰って来てしまうことがある。 しかし先ほどの夢では、頭を痛めてしまうような行動はとっていなかった。
濃いコーヒーを飲んだ所為でもないだろうし。まさか枕の中に石でも詰まっているのか?
有り得ない事とは知りつつ、取りあえずもぞもぞと頭を移動させて異物がないか確かめる。
「……寝れないのか?」
まろの不思議な行動が気になったのか。横で眠っていた羅庵が、薄目を開いた。
この程度の動きで目を覚ますとは、一体どれほどに敏感なのだ?
桂嗣や架愁も同様だが……こんな少しのことで目を覚ますようでは熟睡など出来ないだろう。
まぁ鶴亀家の警備を兼任しているのだから、そうでなくては困るのだけれど。

「いぁ、なんでもないのらよ」
安眠とは無縁の羅庵に、起してすまなかったとだけいい、まろはごろりと寝返りを打った。 仰向けの状態で目を開けていれば、羅庵がずっと其れに付き合ってくれるだろうから。
だが寝返りを打ち背を向けたところで、起きているときと眠っているときの呼吸の差を誤魔化すことはできない。 背中から、大きくあくびをした声が聞こえた。
「気になることでもあるのか?」
軽めの口調。就寝中のもの達を邪魔しない程度の声。
多分そこには『答えたくないなら無視をしても構わない』という意味も込められているのだろう。

……気になること。 勿論沢山ある。ありすぎて困るくらいに、思いつくままに言えば一夜では足りないくらいにある。

たとえば。
天眠が翡翠を連れてきた理由は何だ?
海堵たちが、自分達に似た存在には近づかないと決めている理由は?
何よりも。天眠の記憶を持つはずの桂嗣が、どうして翡翠のことを忘れているのか。
けれども過去の記憶を持たない羅庵に訊ねたところで、希望した答えが返ってくるとも思えないから。

「おや……?」
其処まで考え、ようやく自分の目の前……つまり羅庵の逆となりの布団が空になっていることに気がついた。 一つ向こうの布団にも、人が入っては居ない。桂嗣と童輔が二人そろって出掛けているようだ。 まさか仲良く厠でもないだろう。童輔が幽霊を怖がる性格でないのならば。
ということは。
「又どこかが攻撃を受けたのらか?」
「ああ、今度は民家だと。……しかも其の後には火も放たれていたらしい」
もぞもぞと身体を捻り、今度は羅庵の顔がきちんと見えるように寝返りを打つ。
薄明かりだけをつけた部屋でも判る、苦々しい表情。
掛け布団が端に丸められていたということは、あの桂嗣が慌てて出て行ったのだろう。
つまりはそれほどに被害は大きかったということ。
「この前までは公民館など、人が居ない処を狙っておったはずではなかったか?」
「ああ、だから民家周辺はあまり巡回をしていなかったのが不味かった」
「犠牲者は?」
「幸いにして一人も出なかった。……住人が逃げた後で火を放ったらしい」
「そうか……」
軽く安堵の息をつき、しかし其の後でむっとする。
人を逃がしてから火を放つ。直接的に怪我人などの被害は出なくても、家を燃やされればその処理は大変だ。
家財道具を失い、思い出の品も灰になる。身体が傷つけられるよりはマシだとしても、やはり許せない。
……人を逃がすだけの余裕がある犯人だからこそ。
「ん? では何故お主は此処にいるのじゃ?」
こういうとき、一番に出て行くのはたいがい羅庵だ。
例え其のときには怪我人が居ないと聞かされても、後で出てこないとも限らない。
此処へ攻撃されるかもしれないから残ったというなら、ぐーで殴ってやろう。
子供三人くらい架愁一人でも十分に守られるはずだ。子供三人だって……辰巳は元々使えるが、まろも栗杷も最近は使い物になる。
顎の辺りまで布団に埋めつつ、じろりと睨みつけてやる。
羅庵が口の端をあげて笑った。

「昨日の夜、一人で出かけただろ」
「ぅぐっ……」
「公民館を見に行った後、屋根の上にあった救急箱を見つけてよ。落し物とも思えないから其のままにしておいたけど」
羅庵の目と口元が優しく歪む。
あぁ、これだから小児科も出来る医者はきらいなんじゃ。まろが口の中だけで呟いた。
「今日の夕方に医療室で聞いたら、昨日の夜中にまろ様が俺達のために借りに来たんだと。んで今日の午前中に返しに来たってさ」
幼子に語りかけるような、ゆっくりとした話し方。しかし羅庵には珍しく、目が笑っていない。
こういう表情は、桂嗣の特権ではなかったのか?!
訊ねたくなり、しかし墓穴を掘ることを確信したまろはただ押し黙った。
こういうときは、黙っているほうが懸命だ。
「俺には救急箱を使った覚えはないぞ? ダレに、貸した?」
優しく、それはもう本当に優しく、子供を甘やかせるときの声質。
此れならまだきつく叱られるほうがマシだ。いや、やっぱり嫌だけれど。
取り合えず無言で羅庵の顔を見る。羅庵は一ミリもその偽者の笑みを崩さない。
多分羅庵が此処まで怒るということは、其れだけ実は心配しているのだろう。……色々と。
小さく溜息を付いて、まろは『桂嗣にだけは言うなよ』と前置きをした。

「片翼の天使と、知り合いになったんじゃ」

衝撃の告白。
に、もう少し驚くかと思われた羅庵は、しかし至極普通に答えてきた。
「……へぇ。今話題の人……ってか?」
「うむ。昨晩、外に出るときに窓から足を滑らせてな、頭から着地するところを助けられたんじゃ」
「頭から着地とは、まろ様も勇気あるな」
「足を滑らせたといったであろう!!」
変な茶々を入れるなら、もう話さんぞ。
ぷっくりと頬を膨らませれば、其れを見た羅庵が喉を鳴らせて笑う。
少しだけ偽者の笑みが崩れ、羅庵本来の表情に戻った気がして安堵した。
「……だが変わりに天使のほうが頭を打ったらしく、怪我をしてしまってのぉ」
「だから恩人に救急箱を?」
「うむ。有難う、と去るには流石に忍びなくてな」
軽く言ってみせる。羅庵の目が、急に真剣になった。
「片翼の天使が、何でこの街で有名なのか判っているよな?」
「うむ。いたるところを攻撃しておるのじゃろう」
「何で桂嗣達に言わなかった?」
「まろを助けた。それに優しい目をしておった」
真剣そのものの羅庵に、つられてまろも真面目に答える。
互いに視線を合わせる。少しの間のあと、羅庵が布団から腕を出し、何故か頭をぐりぐりと撫でてきた。
勢いに合わせて動く視線でどうにか羅庵の顔を見れば、口の端をあげて笑っている。
「そういう時は俺に言え。無償で直してやるから」
「か、片翼の天使では、さすがに不味いかと、思ったんじゃよっ」
「あぁ。だからまろ様の警護も兼ねて、の話だ」
まろ様を助けてくれたからといって、琉架を荒らしているやつじゃないとも言い切れないんだからな。
未だにまろの頭をぐりぐりと撫でながらの、羅庵のセリフ。
まろ自身もそう考えたから、逆にいえなかったのだけれど。心配をかけてしまったことは確かだ。

「すまなかったの」
小さく謝り、それからまろは今しがた思いついたことを提案をした。




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