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雨は止んだのだろうか。
屋根を叩く音が、いつの間にか消えている。

「……何を、考えてやがンだ」

目覚めたばかりでぼやける視線。其れを細めて、天井をにらみつけた。
せっかく天眠達が出かけたからと寝直しをしたのだが、あまりに腹が立って深くは眠られない。
頭の中だけでグルグルと天眠への罵倒が流れ、うとうとしても結局目が覚めてしまう。
翡翠に言われるまでは、全く気がつかなかった。
『俺とアイツが似てるなんて』
それがどんな意味を持つのか、下級天使になんて判るはずもないけれど。
天眠は理解したうえで、アイツを手懐けようとしている。その理由はきっと……。

「……クソっ」

頭の中に、直ぐに弾き出された答え。
イライラする。本気でぶっ飛ばしちまえば良かった。
避けられた後の、天眠の笑み。眉を潜めた、悲しげな笑み。
目を閉じれば瞼の裏に移り、其れが更に俺をむかつかせるから。

「……何ゴロゴロしてんだ?」
「ぅぉっ」

急に地補の声が近くに聞こえ、俺は動きを止めた。
いつの間に帰ってきてやがった?
長椅子で何度も寝返りを打っていたら、扉の音になんて全く気がつかなかった。 さっきといい今といい、どうも注意力散漫だ。
寝転がっている俺の顔を、態々中腰になってまで間近で覗き込んでくる地補。表情には軽い苦笑。
「……ンでもねぇよ」
ガキを見ているような其の視線に、俺は舌打ち混じりに吐き捨てて、勢い良く上半身を起した。
「そんならいいけど」
地補の言葉を聴きながら、乱れて前に掛かった横髪を掻き揚げる。
広くなった視線に、祈朴が居ないことに気がついた。

「一人で帰ってきたのか?」
「ボクチン一人ぼっち」
「……ぁ?」

無意味に舌足らずの声を吐いた地補を、ぎろりと睨み付ける。
不機嫌な時に気持ち悪ぃ声だしやがって。
音にはしなくても伝わったのだろう。地補が喉で笑った。
「祈朴は恋人に会いに行くってよ、戻る最中に別れたんだ」
だからボクチン独りぼっちで寂しく帰ってきたのさ。
今度は普通の口調で、しかし気持ち悪い台詞を吐きやがった。
「そうかそうか、そりゃ良かったな」
反応をすれば其の分だけ面白がって地補は続けるだろう。
そんなものに付き合ってやる義理はないので、今度はさらりと無視してやった。
海堵ってば冷たいなぁ、という地補の発言も勿論無視だ。

「天眠は?」

俺の無反応に飽きたらしい。 台所に向かった地補が、マグカップを二つ持ってきた。
俺の分もあるかと思いきや、2種類の飲み物を自分専用に持ってきただけのよう。 テーブルを挟んで対面側に座り、カップは2つとも自分の手元に置いた。
漂う匂いからすると、片方がコーヒーでもう片方がホットミルク。
しかもコーヒーを二口飲んで、そのあとにミルクを一口……つまり交互に飲んでいる。
カフェオレではいけない理由はなんだ?

「あ、海堵も欲しかったか?」
睨み付ける様な俺の視線に、地補が今更気がついたかのように聞いてきた。
すっ呆けるような声色は、確実にわかっていて言っている。
「普通は俺の分も持ってくるだろ」
取りあえず俺は長いすに座りなおし、そして背もたれにだらりと寄り掛かった。
こうすると床に直接座る地補を、上から見下ろす形となる。
見られた地補は片眉をひょいとあげ、それから自分のカップを交互に見比べて。

「……飲むか?」
「飲み掛け渡すンじゃねぇよっ」

差し出されたのはコーヒー。2:1の割合で飲んでいた所為で、ミルクよりも減っている。
即座に突っ込んでやると、地補が声をあげて笑った。
……絶対遊んでやがる。
判っていながら乗ってしまう辺り、俺もコウイウ会話を楽しんでいるということか?
……いや、其処は否定しておこう、俺のためにも。

「飲みかけじゃなくて入れたてのコーヒー。砂糖は少なめで」
「仕方ねぇなぁ。優しいお兄様が美味しい美味しいコーヒーを入れてあげよう」

唸るように吐き捨てれば、まだ喉で笑っている地補が了解、と言って立ち上がった。
そして台所に行く途中で、俺の頭をくしゃりと撫でる。
何だよ、急に。
地補の意味不明な行動に顔を上げれば、苦笑交じりの表情の地補と目が合った。

「……んで、天眠は?」

さっきも訊ねられた質問。
俺があえて無視したことに、何かを疑っているみたいだ。
先に視線を外して、小さく溜息を付く。

「天使と出かけた」
「翡翠か?」
「あぁ、他の天使も誘ってドッカでお勉強会だってよ」

地補との下らない会話で捨て去ったはずの苛立ちが、ゆっくりと蘇ってきた。
それと一緒に、天眠の悲しげな笑みも思い出す。

「へぇ。最近多いな、勉強会」
「地上でフラフラしている下級天使が多いんだってよ」
「なるほど。……ま、教育されていない天使は、地上では危険だからな」

其処まで話して、地補がようやく止めていた足を動かした。
台所に入り、ソノ奥でがちゃがちゃと音を立てている。
自分のコーヒーを持ってくるときには、コンナ音は立ててなかったはずだが……?
疑問が浮かんだが、取りあえず今は『優しいお兄様』とやらを信用して声は掛けないことにした。


『下級天使』

創造主が生み出した天使の中でも、生まれ持った力の大きさで階級が分けられる。
下級天使とは、その名の通り、力も地位も持たない一番弱い天使のことだ。
奴等には力の使い方などの教育が施されない。
どうせ直ぐに掻き消える存在だからと、天界に住む場所も与えられない。
今この瞬間にも創造主の吐き出した言葉は、何処かで天使として形を創るから。
アノ狭い世界には、弱い存在を受け入れられる余裕がないのだ。

そして生きる場所を持たずに生まれた奴等は、地上に降りてくる。
地上には、まだまだ余裕があるから。誰のものでもない場所が、多く存在するから。
天界で不必要とされた天使達は、地上に降り、己が掻き消える瞬間まで放浪し続けるのだ。

前にドコカの人間が、その天使の話を聞いて『死にたくはないか?』と聞いたことがあるらしい。
しかし言われた天使は軽く首を振り、また放浪を再開したと言っていた。

天使は同種の殺生を許されては居ない。
力を失う前でも、治療不可能なほどの怪我をすれば死ぬことができるのに。
奴等は自殺も許されては居ないのだ。
だから生きる場所も貰えぬまま、生れ落ちた場所を去り、己が掻き消える日まで只飛び続ける。
天眠はそんな奴等に、地上で生活する方法や力の制御方法などを教えているのだが。

……俺達に似た奴等だけは、接触しないと決めていたのに。


「ホイ、どーぞ」
ぼんやりと考えていると、いつの間にか隣に来ていた地補が、マグカップを差し出してきた。
受け取って中身を見れば……どろりと濃厚すぎるモカ。
酸味を楽しむモノが、どうも苦味を楽しむものに変えられている。

「……さんきゅ」
けど今の俺には丁度良く感じ、一気に飲み干した。


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