「ぅえぁあああんっ!!!」
鼓膜を破りそうな程の大声量。
寮に着いた途端に飛び出してきた辰巳に、まろと桂嗣は顔を見合わせた。
「な、で、2人だけ、何処ったの!??」
折角の美人が台無しなくらいに歪んだその表情。泪だけではなく鼻水もあふれているようだ。
しかも泣きじゃくっている所為で、まろたちへの文句も上手く言えていない。
だが辰巳の言いたいことなんて、想像することは容易い。まろは軽く頭を下げた。
「すまぬ。お主があまりに気持ちよさそうに寝ておったから、ちょいと散歩に付き合って貰ったのじゃよ」
実際は『見つからないように置いて来い』と無言の重圧を掛けたのだが、その部分はすっきり頭の端に追いやる。
もし本当のことを言えば、辰巳の泣き声は更に大きくなるだろうから。
「……僕のこと、邪魔に思ったわけじゃないんだね?」
即座に謝ったおかげなのか。辰巳がどうにか泣くの止め、しかし疑うような上目使いでまろを見てきた。
まるで子犬を連想させる潤んだ瞳には、嘘は許さないよ……という黒いオーラが隠されていて。
「も、勿論じゃっ!!」
思わず『嘘です』と口が滑りそうになり、どうにか押しとどめたまろが返答ついでに張り付いた笑みを浮かべた。
「……本当?」
「本当じゃ」
可愛い可愛い弟を見ているはずなのに、冷や汗が出るのは何故だろう。
毎度毎度コレにつき合わされている桂嗣は、よくも逃げ出さずにいられるものだ。まろなら三日目で逃げる。
そんなことを考えている内に、ようやく納得してくれたらしい辰巳がにっこりと笑った。
見ている者を蕩かせる微笑。これだからブラコンは止められない。
そして両手を大きく広げて
「まろ大好き!!!」
という辰巳に。今まさに可愛い弟が我が胸に飛び込んでくるだろうとまろも両手を広げ。
「……何故に桂嗣に抱きつく?」
普通はまろに抱きつくものであろう?
いつものごとく素通りされてしまい、しくしくと悲しげに両腕を下ろした。
***
「入るぞぃ」
風呂場に続く擦りガラスの扉を開けながら、まろは先客に声を掛けた。
「昨日と逆だね」
中に入れば、肩までじっくりと浸かっている架愁がにこりと微笑んだ。
「そうだのぉ」
取り合えず気の無い返事だけを返し、そそくさと体を流して浴槽に向かう。
そしてわざわざ架愁の直ぐ横まで行き、腰を下ろした。
「……どうかした?」
いつもならば多少離れて座るまろが、敢えて横に座った。その理由を、架愁は直ぐに察したようだ。
タオルを巻きつけた頭を、軽く横に傾げる。少し出ている金髪が、水滴を零した。
「うむ、ちょっと話があってのぉ」
どうせ其のとおりなので、素直に答える。このお風呂タイムだって、わざわざ架愁が入っていることを確かめてから来たのだ。
まぁ其処まで教える必要も無い。まろはじっと架愁の顔を見た。
「お主の幼少時の話が聞きたいのじゃが」
かち合った視線。
微かに、架愁の目に影が掛かって見えた。
多分聞かれたくは無いことなのだろう。
誰しもそんな過去を持っているものだ……と前に何かの本で読んだことがある。
そして其れは無理に追求してはいけないとも、書いてあった。
そんなことは、重々承知している。
例え前世とやらでは知っていた内容だとしても、今更触れてはいけないのだろうと。
判っていても、何かが引っかかるのだ。
「聞いても、面白くは無いよ?」
本気で聞くつもりなのかと、まるで念を押しているかのような口調。
一瞬だけ首を横に振りそうになり、しかし留めてこくりと頷く。
「……仕方ないなぁ」
真剣そのものなまろの表情に、架愁がほぅと溜息を付いた。
***
あぁ、もう思い出すことさ億劫なんだけど。
僕はね、地図に名前も載っていないような小さな村で生まれたんだ。
しかも三桁ほど昔だからね。いわゆる村の掟とか言い伝えとか、そんな黴臭いものが強く息づいていて。
『力を持たない両親から、力を持つ子供が生まれた』
なんていうのは、村全体がパニックになるほどの大問題だったんだよ。
今なら隔世遺伝だ……とか言えるのだけど。当時はそんな言葉も無かったから。
両親は僕を見なかった。
僕は言葉を発する場所も貰えなかった。
だって誰に話しかけても、誰も答えてくれなかったんだ。
村には、多分100人とか200人とか、その程度の人数しかいなかったと思う。
でも幼い頃の僕には其処だけが世界だったから、どうにか好かれたくて。嫌われたくなくて。
毎日笑っていた。
人に会えば声をかけた。返事が無くても、必ず話しかけた。
殴られることも、怒鳴られることも無い。単純に、其処にいるという存在を無視されて。
自分は此処に存在しているのだろうか。実は死んでいて、皆には見えていないんじゃないか。
時々そんなことを考えて、でも、食事や部屋は用意されていたからやっぱり僕は此処にいるんだって思い知らされて。
寧ろ本当に誰にも見えないのなら諦めも付くのに……なんて思っていた。
それから……話せなくなったのはいつだったかな。
途中までは諦められないって、毎日必死で話かけていたんだけど。
幾つの時にか、笑えない自分に気がついて。言葉が喉に詰まって出てこなくて。
泣き方とかも誰も教えてくれなかったから、ただ口をパクパクさせていた。
誰か。誰か。
誰でもいい。僕を見て。
誰でもいいから、僕を愛してください。
声にならずに、それでも祈り続けた。祈る先もなかったのに。
でも、祈りが通じたんだ。
天使が舞い降りた。……兄ちゃんに会ったときに、本気でそう思ったんだ。
後から聞いたら、仕事で村の護者に会いに来たらしいのだけど。
始めて見る人だから、もしかしたら……。そう思って挨拶をしようとして、でも声が出なくてさ。
初めて僕と視線を合わせてくれた人だったから、絶対話をしたいって思って、何度も口を開いて閉じて。
「……どうかしたかい?」
「っ……ぁ……」
「喉が痛いのか?」
「ち……がっ……」
結局、まともには話せなかった。
まぁそのお陰で、僕は兄ちゃんに引き取られることになったんだけどね。
こんな風になってしまったのは、村の責任だって。此処にはおいて置けないから、自分が育てるってさ。
……嬉しかったよ。
生まれて初めて僕を認めてくれる人が居た。
声をかければ返事をしてくれる。視線を合わせてくれる。笑い返してくれる。
両親にさえ無視されていたからね。ただ、それだけで嬉しくて。
白桜院の最上階。
兄ちゃん以外の人に会えない場所。
例え閉じ込められているのだとしても、僕は幸せだと思っていたよ。
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