整頓された執務室。机に並ぶ書類も高き山を作り上げつつも綺麗に並んでいる。
終業時間はとうに過ぎている其の部屋で、巽は付属されているソファーに腰を掛けた。

「……巽様」

一息をつく間もなく、扉がノックをされる。
勿論その気配に気がついていた巽は、ごく当然そうに扉の向こう側の人物に声を掛けた。

「入れ」
「失礼致します」
「琉架で問題でも起きたのか」

緊張気味の訪問者に、視線を向けることもなく訊ねる。
深夜の訪問者……別名エセ関西人、遊汰が驚いたように目を見開き、直ぐに嬉しそうに笑った。
本当ならば、さすがは巽様!! とでも叫び出したかったのだろう。
ちろりとだけ視線を向けると、己が不意に笑みを零したことに気がついたのか誤魔化すように咳払いをした。

「天使が現れました」

重々しく、吐き出された言葉。そして遊汰は先程までいた場所……琉架の現状を語り出した。
それとはつまり。

特に大きな被害は出ていないが、市民は『片翼の天使』とやらに脅えていること。
護者だけでは不安だからと自衛団を設置し、毎夜見回りをしていること。
童輔は護者として優秀だが、経験不足なのでそろそろ応援を送る必要があること。

まろ達が見たなら驚くほどに訛りの無い言葉で報告を続けている。
巽が面白いと言った所為で始まったエセ関西弁は、しかし巽の前では使わないのだ。

「当初は天眠の記憶保持者である桂嗣が疑われていたのですが……」

「……であることを童輔も認め……」

「しかし今回は……」

無言で視線も向けない状態で聞いている巽に、気にした様子もない遊汰。
隣に仕えるだけで、御仕え出来るだけで最上級の幸福であると豪語しているだけある。



「以上で終了いたします」

膝をつき頭を垂れる……という忠誠心を示す姿勢で報告を続け。
其の終わりを告げた遊汰は一度頭を上げ、そしてもう一度頭を下げた。
瞼さえも閉ざした、巽の回答待ちの姿勢。


数十秒。もしくは数分。


「騒ぎは直に静まる。援護は必要ないだろう」
たっぷりと思考を廻らせた巽が、溜息と共に吐き出した。

……どうして巽には判るのか。

通常ならば疑問に思うことも、遊汰には訊ねる権利さえもない。
否。巽の言葉を疑うような思考は、元来持ち合わせていない。

「了解致しました」

恭しく礼をして、音も立てずに立ち上がる。
ようやく直に視線を向けてやれば、琉架から高速で飛んできたのか。
先程報告していた際の落ち着いた口調とは異なり、遊汰の前髪は汗に濡れていた。

「深夜にわざわざ済まなかった。もとの仕事に戻ってくれ」

報告をする前に……巽が知らない内に何か問題が起こっては大変と思っての行動だったのだろう。
巽様至上主義的な行動を即座に悟り、優しい声を掛けてやる。
遊汰の顔が一気に紅に染まり、深夜でも此処に来た甲斐があった……という顔をした。

「畏まりました。……失礼致します」

もう一度礼をし、来たとき以上に浮かれた足取りで部屋から出ていく。
扉が閉じたと同時に、楽しくて堪らないと言うような遊汰の歌声が巽の耳にも届いた。



そして音の無い足音が、遠く離れ。誰の気配も感じなくなった頃。



「片翼の天使とは……なかなか懐かしい呼び名だな」
誰に伝えるわけでもなく、巽が呟いた。





NEXT ⇔ BACK ⇔  Angelus TOP