梅昆布茶で味を付けられた梅鮭茶漬けで腹を満たしたまろは、旅の汚れを落とすことにした。
月が差し込む廊下を、独りでポテポテと歩く。
廊下に出てから気がついたのだが、この場所はどうも公的機関になるらしい。
全室和室で廊下も無駄に凝っているくせに、廊下側の窓からは広すぎるグラウンドが見られた。
通りすがりの人に尋ねてみれば、『琉架』の護者には護殊庁の新人がなるのだと言う。
なにか問題が起きても、護殊庁の本部がある『尭螺』(たから)とは隣街なので直ぐに対処が出来るから。
つまり此処は護者のヒヨコが一番初めの任務場所としてくるところであり、
早く一人前になりたい童輔は、琉架の問題は琉架の護者である自分が解決したいと願っているのだ。
「若いって良いのぉ」
まろが茶漬けをかっ込む最中も、桂嗣から目を離そうとはしなかった童輔の様子を思い出す。
教育者の機嫌が悪くなるのは嬉しくないが、あぁいう少年を見ているのは嫌いではない。
***
「うむ、良い湯加減じゃ」
全面を白い靄が覆っている。大人でも5人位は楽に入ることが出来そうな浴槽に浸り、幸福な溜息を吐き出した。
相模の鴛宅で借りた風呂も狭くは無かったが、鶴亀家のご子息としてはこの位の広さは欲しい。
「このまま眠っても気持ちよさそうなのらねぇ……」
一人で呟きながら、滑るようにしてそのまま口元まで湯に浸かる。
両手両足をびろんと伸ばし、首を反らせて目を閉じれば本気で夢の世界に導かれてしまいそうだ。
「お邪魔するよ〜」
タオルに空気を詰めてタコ……などの独り遊びを満喫していると、カラカラと音を立てて風呂場の扉が開いた。
「おや、もう寝たのかと思っておったぞ」
「僕もまさかまろ様が起きたとは思わなかったよ」
肩よりは長い髪をゴムで纏めた架愁が、腰にタオルを巻きながらも入って来た。
桶で湯を掬い、軽く身体を流す。そしてゆっくりと湯に浸かり、まろと同様に両足を気持ち良さそうに伸ばした。
「久々に歩いたから疲れたよ〜」
「ほぅ、何処かに行っておったのか?」
「桂嗣達から聞いていないの? 辰巳様たってのご要望で、真犯人探しに行っていたんだけど」
「……なるほど」
首をコキコキと廻している架愁の言葉で、まろは全てを理解した。
先程目覚めた時に架愁。栗杷、辰巳がいなかったのは琉架を荒らしている犯人を探しに行っていたのだ。
きっと桂嗣が疑われていることに腹をたてた辰巳が、『桂嗣の名誉は僕が護る!!』などと宣誓したのだろう。
そして可愛い従姉弟に甘い栗杷が架愁も誘って街にと出かけていた……といった感じか。
我が弟ながら、献身的すぎる愛だと思う。あれで見返りがあるならば救われるのだが。
「それで、何か成果はあったかのぉ?」
「残念ながら何も出なかったよ。取り合えず巡回をしてきたんだけど、途中で2人とも寝ちゃったから」
つまり帰りは二人の子供を背負って歩いたということ。優しげな表情の架愁が、雫を垂らす前髪を掻き揚げた。
キラキラと輝く金髪。
そこでふと、相模で初めて会った人物のコトを思い出した。
否。まろとしては初めての出会い。しかし稜としては何度となくあった人物。
金色の長い前髪。穏やかで優しい口調と笑顔。護殊庁のトップで、ついさっき見ていた夢でも桂嗣と話した内容……巽
「一つ、聞きたいことがあるのだが……」
特に意味も無く無言の間を続けた後、まろが架愁の方を向いた。
気にはなっていたが、何故か聞いてはいけない気がして、本人にも周囲にもきちんとは尋ねなかった事柄がある。
誰に何かを言われたわけではなく、まろ自身が勝手にそう感じていただけなのだけれども。
架愁の隣にはいつも栗杷がいるために、こうして二人きりになることは珍しい。
一呼吸置いてから、まろは言葉を続けた。
「架愁と巽は兄弟と言っておったが、それに血の繋がりはあったか……?」
架愁とかち合った視線を、出来る限り反らさないようにして尋ねる。
こんなことを他人のまろが聞くべきことではないとは思う。
しかし稜の夢を見たときに、何故か稜が知っていたのだ。巽と、架愁の関係を。
ただ起きるとどうしても夢は虚ろになり、記憶する間もなくぼやけてしまう。
だから、今現在の情報として記憶したくて。
「……血は繋がってはいないよ。戸籍上で言うなら、僕はお兄ちゃんの養子になっている」
誤魔化されるかと思いきや、架愁は呆気ないくらいにあっさりと答えた。
勿論、その表情は見慣れない程度には硬いが、それでも口元には優しげな笑みが浮かんでいる。
「そうか……」
寧ろその笑顔が悲しく見えて、まろは小さく答えて軽く俯いた。
戸籍上は義父。しかし呼び名は兄。
架愁の様子を見ていると、相当のブラコンであることが判る。
稜の記憶では、稜と初めて会った頃には文字を書くことも出来なかった。
巽は孤児院を建てる位の地位も名誉もあった頃に、架愁は教育を一切受けていなかった。
どんな理由で巽がそうしていたのかはわからない。
桂嗣は知っているようだったが、稜は其処まで踏み込んでよいのかが判らなかった。
何故なら架愁は『ツライ』なんて言わなかった。だが決して『楽しい』生い立ちではなかったはずだ。
初めて会った時に遡れば、それくらいは判る。アレは、あの時は異常だったから。
そのことを、稜はいつも考えていたように思う。実際はわからないが、まろが見た夢ではそう感じていて。
夢を見るたびに気になって。しかし時間が経つに連れ、見た夢もボンヤリとし始めて。
それは、そう。ちょうどこの風呂場全体を包む靄のように。
「まろ様には、未だよく判らないかもね」
俯いたままでいたまろの頭を、暖かな架愁の手が置かれた。
手櫛で梳くようにして、濡れた髪を撫でてくれる。優しく、何度も何度も。
確かに思考の淵に追い込まれていたまろとしては、とても心地の良いその手と声。
「ん〜、やはり風呂は良いのぉ……」
惚けた声で返答にならない返答をして、まろは再度両足両足を湯の中でぐっと伸ばした。
今晩もまた、誰かの記憶を覗いてしまいそうな気がした。
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