「だから私ではありませんって言っているでしょう」
「嘘を付くな! アンタらしき人を見たって奴が、大勢おるんやぞ!」


「……人が寝ておるときは、静かにするものじゃぞぃ……」
すぐ近くで行われているのであろう喧嘩の声に、まろはゆっくりと身を捩った。
羅庵の腕で運動をし、疲れて眠ったのは未だ日が昇っていた頃だったが。
肌に柔らかな布団の感触を感じ、此処が空中ではないことを知る。
そして一拍置いた後、動くことが億劫だと訴える体をどうにか起した。

「お、まろ様。このまま朝まで寝てると思ってたんだがな」
ムクリと起き上がれば、直ぐにからかうような羅庵の声が届いた。
ちらりと視線を向ければ、まろが眠っていた布団の足元であぐらをかき、茶を啜っている。
「出来れば眠っていたかったのだがのぉ」
うるさくてかなわん、とむっとした表情を作り、ついでに片手だけを羅庵の方にと差し出す。
意味を理解してくれた羅庵が、苦笑しつつも近くのちゃぶ台に乗っていた新しい湯飲みに茶を注ぎ手渡してきた。
ありがとうと受け取り、ぐいっと一気のみをする。急須に入れっ放しにしてあったような、変な渋みを感じた。

「んで、アレはなんじゃ?」
取り合えず喉が潤ったところで、まろは先程から続いている桂嗣達の遣り取りを指さした。
開け放しの襖の向こう、つまりは隣の部屋で何やら桂嗣と初めて見る顔の少年とが言い争っている。
とは言っても流石にイイトシをした桂嗣が声を荒げることはないが……聞いている限り、機嫌は悪そうだ。
「ん〜、なんか桂嗣に似た人がこの街で暴れているんだってよ」
特に興味のなさそうな口調。桂嗣であるはずがないと、至極当然のように思っているからだろう。
まろとしても、知らない街で暴れる桂嗣は想像出来ない。寧ろ知っている仲間をネチネチと虐めるタイプだから。

「……あやつは?」
おでこをボリボリと掻いているまろが、桂嗣に食いついている少年を顎で示した。
少年とはいっても、多分12、3歳だろうか。まろよりは栗杷の年に近いと思われる。
身長も栗杷より少し大きいくらいで、真っ黒で短い髪と少し焼けた肌がなんとも言えず健康的だ。
確実に室内が大好きなまろとは一緒に遊べないタイプだろう。
「あぁ、この街……琉架の護者だってさ。栗杷様より1歳だけ上だっつってたかな?」
「ほぉぉ、若いのにもう働いておるのか。感心じゃのぉ」
更にもう一杯だけ茶を強請りつつ、少年を見ながら軽く頷く。まるで年寄りな感想に、羅庵は軽く噴出した。

「自分の方が若いって自覚はあんのか……?」
「一応はのぅ」
「そりゃ安心した」

喉でクツクツと笑いつづける羅庵。
一体何がそんなに可笑しいのか。尋ねる前に桂嗣達がまろが起きたことに気がついた。

「お! 眠り姫がようやく起きたみたいやな」
「おはようございます……とはいってももう夜ですけどね。何か夜食でも作りましょうか?」
隣の部屋にいた桂嗣達がまろの布団の側にまで来て、軽く膝を曲げて座った。
「眠り姫とはなんのことじゃ? ……軽く茶漬けが食いたいのぉ」
少年の言葉への疑問と、桂嗣には要望を伝える。鮭茶漬けか梅茶漬けなら更に良い。
「畏まりました。では今お持ちしますね」
梅くらいならあったと思います。と此処でもまた勝手に台所を使用するらしい桂嗣が、優しく微笑み立ち上がった。

「ってちょっと待ちや! 未だアンタの疑いは晴れてないんやって!!」
「疑いとは、桂嗣がこの街で暴れておるとかっていう話のじゃな?」
「そう!! まだ怪我人とかは出てないけど、幾つかの公的施設は壊されてんからな!!」
「だから、それは私ではないと先程から申しあげているでしょう」
「俺たちと一緒に行動してたわけだから、桂嗣がこの街で暴れるのは無理だと思うけどなぁ」

立ち上がった桂嗣に、直ぐに喰らいつく少年。それを冷静に見守る外野2名。
少年はまろや羅庵のぼやきは無視をして、ただ桂嗣にのみ攻撃を始めた。無論、言葉でのみだが。
ふと他の3名はどうしたのだろうと疑問が浮かんだが、後で羅庵にでも尋ねようとまろの脳内のみで決着をつける。

「ちなみにお主は犯人を見たのか?」
それから又どの位か桂嗣と少年の間で遣り取りが行われ。そろそろ本気で茶漬けが食べたくなったまろがぽつりと尋ねた。
「いや、俺は見てない。けど現場を目撃した人から聞いた犯人像が、桂嗣サンに当てはまるんや」
「髪型や身長とかなら、桂嗣に似た人物なぞ沢山いると思うのだが……似顔絵でも書いたかのぉ」
「現れるのはいつも夜だから、顔はあまり見えないらしい。けど片翼で空を飛んでいたって言ってたしな」

そして少年はぎろりと桂嗣を睨んだ。睨まれた桂嗣も不本意な疑惑を掛けられているだけあり、眉間に軽く皺を寄せている。
だがまろが一番気になったことと言えば。

「片翼? ……桂嗣、お主の背中には羽が生えておったのか。一緒に風呂に入った時にも、まろは全然気がつかなかったぞ」
驚きのあまり、少し呆けた声になってしまった。いや、いつものことだろうと言われたなら反論も出来ないが。
なにせまろは何度となく桂嗣と共に風呂に入ったことがある。まろが未だ己の名前も言えない年のころからだから、それはもう何度となく。
しかし桂嗣の背中に翼があったとは、しかも片方だけなんて。まろは一度も気がつかなかった。
背中に収納袋でもついているのかと、視線だけで尋ねる。桂嗣が小さく溜息を付いた。
「今の私には翼なんてありませんよ。片翼っていうのは、天眠だった頃に言われていた言葉です」
何故だか言いづらそうに、それでも答えてくれた。天眠の頃を思い出すことが好きではないのか。
まろが桂嗣を思いやるより前に、少年が理由を教えてくれた。
「あぁ。巽様から聞いたで。片翼の麗人って呼ばれとったんやろ? 実は今も背中に隠してるんじゃないか?」
「残念ながら羽なんて持っていませんよ。寧ろ隠すなら、その呼び名を隠したかったです……」
軽く目を伏せる桂嗣。言い辛そうにしていたのは、このあだ名を思い出したことが恥かしかったからなのか。

「確かに格好悪いのぉ……」
「まろ様?」

思わず呟いたまろに、自覚はあるものの人に言われることはむかつくらしい桂嗣が、少々強めの声でまろを呼んだ。
「……なんでもないのらよ」
即座に視線を布団に落とし、この雰囲気を変える台詞をどうにか探す。そしてポンと手を打った。
「そうだ、少年よ。Angelusはこの街の何処にあるんじゃ?」
この街を訪れた一番の目的を忘れてはならない。などと渇いた笑いを貼り付ける。
「少年、じゃなくて俺の名は童輔(どうほ)だ。……Angelusの細かい場所は未だ確定されてない」
巽から指示を受けているだけあり、そこは即座に答えてくれた。……全く役に立たない情報だが。
「ではAngelusを探すついでに、犯人探しを手伝おう。桂嗣が疑われているのは、まろも気に食わんからのぉ」
ぽけぽけといって見せれば、桂嗣が微笑んだのが目の端に映った。……良かった、これで美味しい茶漬けが食べられそうだ。
そんなことを考えていると、少年……童輔が軽く舌打ちをし、しかし軽く頷いた。
「良いぜ。それで本当の犯人が見つかれば俺も有り難いし、逆に桂嗣サンが犯人でも見張っていられるしな」
大人顔負けの舌打ちと、その後の笑み。なるほど、若くして働くと、こんな表情が作られるのか。意味もなく感心してしまった。

「さて、それでは夜食を作ってきますね」
「なら俺も手伝う。未だ何処に何があるか判らんやろ」

桂嗣達が部屋から出て行くのを見送った後で、まろはもぞもぞと布団から這い出した。
羅庵が不思議そうな顔で見ていることも無視をして、部屋に一つしかついていなかった窓の側にまでよる。
そしてからからと音を立てて窓を開け、深呼吸をした。
「……どうかしたか?」
「うんにゃ。何でもないのらよ」
不審な行動を心配してくれたらしい。軽く首を横身振って見せると、それ以上はなにも言わなかった。

最近はどうも眠るたびに過去の夢を見ている気がする。
海堵の記憶も、稜の記憶も。あまりに鮮明に映されるものだから、その内どれが現実か判らなくなりそうだ。
……さっき目覚めた時も、桂嗣の敬語口調が聞きなれないように感じた。それは多分、稜の記憶を見たばかりだろうけれども。

「まろはまろが一番良いのだがのぉ」
誰にも聞えない程の声で呟いた後、まろはもう一度だけ深呼吸をした




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