この街を治める人間を決める大切な剣術武道会の決勝は、観客が野次を飛ばすことを忘れる程に呆気なく終了した。
というのも剣術を全く披露しない羅庵に、鴛が 『剣で勝負しなさい!』 と喝を入れたのだ。
実は術を覚えて以来、全く剣に触らなかったという羅庵には厳しすぎることであり。
結果。一時間も掛からないうちに羅庵が降参の意を示した。
「さて、コレは蔓貴君にお渡しするわね」
表彰式が終わり、祝勝会の始まる少し手前。
史鵠達に別れを告げて鴛宅に戻ると、ドレスアップを済ませた鴛から漆黒のイシを手渡された。
「……剣から外したのらか?」
勿論初めから貰うつもりだったので遠慮せずに受け取ったまろだが、鞘に出来た空洞に申し訳ない気がして訊ねる。
キラキラと輝く宝石に装飾された剣。なのに中央だけがポッカリと穴を開いているのは、少々不恰好だ。
だが鴛自体は気にした様子もなく優しく笑い。
「気にしなくてもいいわよ。この部分には何か別の宝石でも埋めておくから」
請求書は羅庵か桂嗣に廻しておくわね、と恐ろしげな言葉を吐いた。
「おぉ、そういえば巽から伝言を頼まれたのじゃが」
「巽様と会ったの!?」
塔亥が眠り、無言となった医務室から出て行く時のこと。
まだ史鵠と話したいことがあるから……とその場に残った巽から、鴛宛てに伝言を頼まれたことを思い出した。
「うむ。会場で会ってしまってのぅ。本当は直接言うために来たらしいが……急に野暮用が出来たからと」
野暮用とはつまり、史鵠たちのことだが。ここで言う必要もないので、それは流しておく。
「そう。それで伝言って?」
珍しく声を荒げた鴛が、まろの両肩に手を置いた。こちらが驚いてしまうくらいに、真剣な顔。
巽様至上主義と言い切ったエセ関西弁男に似た雰囲気を感じ、まろは思わず息を飲み、それから口を開いた。
『君のことだから間違いなく優勝するだろう。心から祝福するよ、本当におめでとう。それで……
以前話したコトだが、君は充分に組織への恩は返した。気に病む必要もない、今後は君の望む人生を送って欲しい』
恐ろしく真剣な顔の鴛に、長めの伝言を間違えることなく伝えられたまろは、軽く息を付いた。
「巽様がそんなコトを……。伝えてくれて、ありがとう」
まろにはその伝言の意味は判らないが、鴛にとっては相当大切な内容だったのだろう。
肩を掴んでいた手を離し、そのまま己の目尻に溜まった泪を拭った。嬉しそうなのに、何故か哀しげな笑み。
「でも酷いわ、巽様ってば。私は願いが叶ったからって、仕事を放棄するような無責任な人間ではないのに」
風に吹き飛ばされそうなほど小さな囁き。だがその言葉で、まろは巽の伝言を理解した。
相模の長になるという夢が叶ったのだから、組織を抜けても構わないんだよ。多分そんなところだろう。
組織への恩、気に病む必要……のところは未だ判らないけれども。
ソレを聞けば鴛の傷を抉るとことは判ってしまったので、まろは無言で頷くだけにしておいた。
***
相模では立食パーティが主流なのか。
今回も会場内のテーブルには様々な料理が並んでおり、その周りでスーツを着た男性達やドレスを着た女性達が談笑している。
祝勝会はまともな服装で良く、交換舞踏会のように女装を強要されるかと怯えていたまろは、それが何よりも嬉しかった。
「桂嗣よ、明日の朝には相模を出られるのらね?」
特に理由もなく今回も壁の花になっていたまろが、前回に懲りて今回は壁の花に勤めている桂嗣に訊ねた。
「えぇ。今晩には案内人もこの街に来るそうなので、朝食を取り次第出ましょうか」
珍しく隣におんぶお化け……もとい辰巳をとりつかせていない桂嗣が、優しげに微笑んだ。
ちなみに辰巳はちょこまかと会場内を動き回り、桂嗣の為に沢山の料理を皿に盛っていたりする。
「次の街は一体何処かのぉ」
「素敵な場所だと良いですね」
ぼんやりと呟いた独り言にも、律儀にも桂嗣は答えてくれた。
白薙は自然に囲まれて道も舗装されていない街だったが、相模はその逆。さて、次は一体何処なのだろうか。
そんなコトを考えていると、会場の入口付近で不安そうに歩いている少年が視界の中に入って来た。
このパーティでは上位4名までの表彰式もあるため、強制参加の塔亥の付き添いとしてきたのかもしれない。
その割には、心配性の兄の姿が見えないけれども。
「史鵠、どうしたのら?」
桂嗣に 『友人と話して来る』 とだけ伝え、まろは居心地の悪そうにしていた史鵠に声を掛けた。
「あ、蔓貴君。君も来ていたんだね」
「うむ。鴛ちゃんが優勝者だし、羅庵もアレで準優勝だったからのぉ。一応お祝いをせねばと思ってついてきたのじゃ」
「そっか。俺は……兄さんの付き添い。未だ体調が良くないみたいだったから」
哀しげに微笑み、ほんの少しだけ俯く史鵠。数時間前に起こったことだから、史鵠の心も晴れてはいないのだろう。
「しかし塔亥の姿が見えないようだが?」
会場内を見回していないことを確認した後で、まろは質問した。
芽が摘まれたからといって、急に態度が変わるとは思えない。史鵠を護るためにとビッタリ張付いていても可笑しくはないのに。
「今はバルコニーに行っているんだ。僕が嫌なことを言ったから……」
「喧嘩したのか?」
「ううん。少し考えたいからって」
眉尻を下げて、バルコニーの方へと視線を向ける史鵠。長い前髪の隙間から見えるその目は、一体何を思っているのか。
塔亥に言った台詞が気になり、だが失言になるのではないかと思ったまろは少しの間だけ頭を巡らせ、けれども結局聞くことにした。
「嫌なこと……とは、どんな言葉だったのじゃ?」
歩いている最中に渡されたオレンジジュースを口に含み、さり気ない様子を装う。
史鵠も同様にして渡されたリンゴジュースを一口だけのみ、更に一度だけ深呼吸をした。
「白桜院に入れて貰うことにしたんだ」
「……はぁ!?」
家を出る、くらいは予想していたのだが。
まさか白桜院の名前が出てくるとは考えていなかったまろは、思わずジュースを噴き出しそうになってどうにか耐えた。
「白桜院とは、チカラを持つ子供しか入れぬという孤児院のことじゃよな?」
もしかしたら他にも同じ名前の何かがあるのかもしれないと、注意深く訊ねる。
なにせ家も家族も居場所もあるのに、わざわざ孤児院に入るなんて。
まさか……という表情のまろに、史鵠が困ったように笑い、そして軽く俯いた。
「巽さんが誘ってくれたんだ。孤児院に入れば、チカラの使い方を教わることも出来るからって。
なにより、制御方法も判らずに相模に居たのでは、また大切な誰かを闇に堕としてしまうかもしれないからね」
自分が離れたなら壊れてしまうかもしれない兄。
だが自分が近くに居ても、傷つけてしまう可能性があるのなら。
俯き加減の史鵠が、囁くように呟く。
ドチラを選んでも単純な幸福を得られないなら、己の望む方へ進みたいのだと。
前髪の隙間から見えた目は、キラキラと言う可愛らしい表現では足りない程に、獰猛な決意を示す光があった。
それは兄を闇にと堕とした己への怒りか。
己を助けられなかったヒトの身代りにしていた兄への悲しみか。
それとも護られるだけの存在ではなく、せめて己を護れる程度には強くなりたいという願いか。
まろと視線を合わせずに床を、その先を見つめている史鵠の瞳を見つめ、その深層を覗こうと試みる。
しかし其処にある光は、絶えず違う感情を映し出しているようにも見えて。
小さく溜息を付いたまろは、グラスに半分ほど残っていたジュースを一気に飲み干し。
「……御主にとって、良い選択であることを願おう」
未だまろの方を見ない史鵠に、ゆっくりと祝福のコトバを創った。
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