大会5日目では午前に準決勝が、午後に決勝戦が行われる。
そして子供大会優勝者である羅庵は、此処でようやく試合をすることになるのだが。
「……あれは反則ではないのか?」
痣もちの戦いなどは見たくないのか、観客席は殆どが空席になっている。その最前列で観戦していたまろが、ぽつりと呟いた。
「う〜ん……。多少なら力を使っても良いことにはなっているんだけどね」
隣に座っている史鵠が、困ったように答える。それはもう、どうフォローしたら良いか判らないとでも言うかのように。

昨日は結局、塔亥が史鵠を無理矢理家にと連れて帰ってしまった。
その様子はもう、ずっと家から出るなといわれてしまいそうな感じで。
だが剣術を極めたいと願う者なら、この大会は観戦したい筈。ならばまろが連れ出したことにしたら良い。
そう考えて今朝早くから鴛に住所を聞き、取り合えず塔亥が出かけたことを確認してから史鵠の家を訪ねて……今に至る。

「ぅあっちゃぁ……」
あまりにもの羅庵の戦い振りに、まろは思わず目をそらした。何故なら試合開始から、羅庵は何度となく術者としての力を使っていたのだ。
例えば相手の剣をかわす為に少しだが浮いてみたり、羅庵の攻撃から逃げられないように急に地形を変えてみたり。
単なる腕試し的な大会でならば許せるが、これは剣術を競う大会。はっきり言えば、ルール違反にほど近い状況。
「……史鵠よ。塔亥と鴛ちゃんの試合を見には行かぬか?」
もうこれ以上見ていられなくなり、まろはすくりと立ち上がった。
此処には試合会場がニヶ所設けられており、もう片方の場所では鴛と塔亥との試合が組まれているのだ。
こちらの試合は直ぐにでも結果が出るだろうから、見ている必要はない。なにせ相手側の腰が引けているのだ。
それには羅庵がルール無視の攻撃のをしたからだけではなく、相模では見られない地の術者の力に無自覚で怯えている所為もあるが。

「ごめん、蔓貴君だけで行って貰っても良いかな。俺はもう少し羅庵さんの試合を見たいから」
先程から困ったような表情を作りながらも、真剣な目で羅庵達の試合を見ていた史鵠が丁寧に謝った。
「史鵠がそうしたいなら構わないが……この試合、面白いのらか?」
頭を下げられて、別にそこまで謝ることはないのにと思いつつも、まろは出てきた疑問を口にする。
こんな一方的な試合は、見ていても特に楽しくはないと思うのだが。そう言うまろに、史鵠が穏やかに微笑んだ。
「地の術者の試合を見ることなんて、もうないかもしれないから。俺の目に、焼き付けておきたくて」
穏やかなのに、物悲しい決意を感じさせる口調。それはやはり、地の力を封印して生きていくコトを決めたということなのか。
「……この街を出てしまおうとは思わぬのか? さすれば、地の力を使うことが出来るぞ」
当てがないのであれば、まろと一緒に来ても構わない。
史鵠のその力を捨てるのは惜しく感じたまろが、なんなら講師にエセ医者もつけてやろうと偉そうに提案する。

一瞬だけ、史鵠の目に星屑のようなモノが輝いた気がした。
けれども輝いて見えたのは一瞬のみのことで、その光は風に流された史鵠の前髪により隠されてしまった。

「凄く嬉しい話だけど、気持ちだけ受け取らせて貰うよ。俺は多分、成人してもこの街で生きていくから」
前髪の奥から見える目は、穏やかな決意と絶望を隠している。
史鵠と会って未だ間もないのだが、まろにはそんな風に感じてしまうのは何故だろうか。
「しかし相模で生を受けた痣もちは、成人したと同時に此処を出てゆくのであろう?」
この街に居る必要はないはずだが。最後までは言わずにまろが問うと、少し間を置いてから史鵠が首を横に振った。
「うん、確かにその通りだね。逆に出て行かないことは、他の人から非難されてしまうかもしれない」
己の将来を語っているはずなのに、どうして史鵠はそんなに遠い目をするのか。まろには理解できないけれども。
また少し間をおき、史鵠がゆっくりと口を開いた。

「でも俺は……守られている分際で言うのもおかしいけど、兄さんが心配なんだ。」
「……塔亥が、か?」
「うん。俺が生まれてから、兄さんは俺を守るためだけに生きてきたから。」
「……と、言うと?」
「俺には俺が生まれる前に亡くなった痣持ちの兄がいてね。病気で亡くなったんだけど、兄さんは街の人に殺されたんだと思っている。
だから次に生まれた俺を、俺だけは守ろうとして……きっと必死なんだ。だから、俺は此処を出ては行かないよ」

兄さんと、一緒に居たいから。そう言って、視線の先をまろから決戦場へと移す史鵠。
成る程。だから塔亥はアレほどまでに1人で出歩いた史鵠を叱りつけたのか。
異常にさえ見えたのだけれども、それも全ては大切な弟を守りたいが為のこと。まろは軽く頷いた。


***


「……おや、向こうの勝敗がついてしまったようだのう」

コチラとは異なり、向こうの会場には沢山の観客が詰まっていたのであろう。
地を揺るがすほどの大声援が、まろたちの居る客席にまで届いた。
師である鴛と、塔亥との試合。結果は多分……考える必要もないのだろうけれど。
「さて、どちらが羅庵と戦うことになるのかのぅ」
弟を目の前にしてそんなことを言える訳もないので、さり気なくを装ってそう呟く。
丁度こちらの試合も終了した所なのだが、わざわざ羅庵に声を掛ける必要もなかろうと、まろはもう片方の会場へと足を向かわせた。
もちろん史鵠も付いて来る。ちらりとその顔を盗み見れば、まるで兄になんて慰めの言葉を掛けたらよいか考えているようだ。

二つの会場は、綺麗なタイル張りの長い廊下で行き来できるようになっている。
子供の足では少し時間が掛かるが、しかし疲れるほどでもない。
まろたちがついた頃には、試合の終わった会場から興奮を抑えきれない様子の人々がぞろぞろと出てきていた。
その波の間をすり抜けて、会場の中に入り……

背筋の辺りからゾクリと寒気を感じた。

何かが、おかしい。
周囲をぐるりと見渡しても、全ての客が出ていったらしく客席にはまろと史鵠しかいない。
試合をしていた鴛も、もう出場者用の部屋に戻ったのだろう、姿が見えない。
ただ試合を終えたばかりの塔亥だけが、未だに決戦場の真ん中で立ち尽くしているくらいで。
違和感を感じるべきところなんて一つも……。

「っ兄さん!?」
負けたショックで呆然としているのだと思ったのだろう。急に走り出した史鵠が、塔亥のいる決戦場の方にと降りてゆく。
長い階段を下りた先にいる、優しい兄へと向かう弟。
ぼんやりと宙を見つめていた塔亥の視線が、ゆったりと史鵠を捕らえた。

「……史鵠! 其処で止まるのじゃっ!!!」

考える間もなく、まろは口を開いていた。その怒鳴り声に、史鵠がびくりと震え、足を止めてからまろの方を向いた。
どうして呼び止められたのか判らない、といった顔。まろ自身も、どうして己が史鵠の名を叫んでいたのか判ってはいない。
ただ、口が勝手に動いたのだ。これ以上、塔亥に近づけてはいけないと、どうしてだか感じたから。

「……なんで此処にいるんだ?」

虚ろな目で史鵠を捕らえた塔亥が、やはり虚ろな口調で問い掛けた。
異様な威圧感が会場内を漂い、まろでさえも圧倒されて声が出せなくなる。
しかし塔亥の声には感情が見えず、一定のリズムで口内から繰り出されているだけのよう。

「今日は、家にいるって約束しただろう?」

足音の一つもならない歩調で、塔亥が史鵠の方にと歩き始めた。
視線は史鵠から動かない。同じ会場内にいるまろにも気付いていないのではないだろうか、とさえ疑いたくなる位に。
何処かで触れたモノ。それが今まさに史鵠を襲おうとしている気がして、まろは必死にその正体を思い出そうとした。

「どうしてお前は俺の言うことが聞けない? 1人でいたら、誰かに殺されてしまうかもしれないのに」

虚ろな目が、薄っすらと細められる。
何時の間にか塔亥は、史鵠の肩を掴める位に近い場所まできていた。
塔亥の片手がほんの少しづつ上がり、史鵠の頭へと辿り付く。撫でるように持っていかれた手。しかし。

「史鵠に触るでないっ!!!」

ようやく正体を掴んだまろは、すぐさま氷の刃を塔亥へと放った。
まろのことなど視界には入ってはいなかったのだろう。避けられずに、刃が塔亥の腕に突き刺さる。
しかし痛がることもなく、ただちらりとだけ腕に突き刺さった刃を見て。

「……俺の弟を殺す気かぁぁっ!!!!」

全く違う意味と捕らえたらしく、虚ろだった目が、急に正気を取り戻した。
いや、正気などではない。大きく開かれた目は、先程よりもまろに違和感を感じさせる。
だがまろに戸惑っている時間などは無い。
こういう時の対処法など皆目検討もつかないが、史鵠に触れさせることは危険だと、まろの頭の中では警告音が出ている。
なにせ塔亥は、闇に堕ちかけているのだ。
何処で闇の意識など拾ってきたのか。はたまた元々持っていたのか。
そんなこと10歳児のまろに想像できるはずも無いが、ただ、今できることは……………。


「上手いコントロールだが、それでは殺してしまうな」

先程より大粒の氷の刃を放とうとした瞬間、背後からその手を止められた。
聞いたことは無いのに、なにか懐かしさを感じてしまう声。
否。まろとしては聞いたことが無くとも、夢の中で海堵として聞いたことのある声にほど近い音。

「あの人間を助けるのなら、奥に根付いた芽を摘み取ってしまう必要がある」
優しげに囁いて、ソノヒトはまろから手を離す。そして今まさに堕ちて証明の如き悲鳴を挙げる塔亥へと向かった。
目で追うのがやっとのスピードで塔亥の所まで行き、怯えて動けない史鵠を引き離す。
『大切なモノ』を取られた塔亥が、更に大きな悲鳴を挙げる。
それはもう、聞いている方が痛くなるような声で。

「……発芽したばかりだ。直ぐに元に戻れるぞ」
離れた場所のまろには微かにしか聞こえない声で囁き、ソノヒトはグっと塔亥の腕を掴んだ。
掴まれた腕から逃れようと、塔亥が必死で両腕を振り廻している。
だが離れることは無く、塔亥自身も動かなくなった。


時が止まったかと錯覚してしまうような光景。
塔亥が倒れると同時に、会場内を漂っていた圧迫感が消え失せた。




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