遠くの方で誰かを応援する声が聞える。
大会4日ともなれば、相当な猛者達の決戦になるのであろう。
かんかんに照り付ける太陽を見上げ、まろは子供武道会会場を1人フラフラと歩いていた。

剣術武道会とは異なり子供武道会は3日で終了するため、屋台などは全て片付けられている。
興味がなかったので気がつかなかったが、昨晩の交換舞踏会では『子供武道会優勝者』のお披露目もあったらしい。
現在は殆どの人が武道会会場の方に足を運んでいるのか、大きな道を挟んで隣に或るこの場所には人の気配が全くしない。
本当ならまろもその戦いを見に行こうと思っていたのだが、昨晩聞いた話の所為でそんな気分も失せてしまったのだ。

観客席と決戦場を繋ぐ長い階段で、ふと足を止めて目を閉じる。

―― 海堵よ、聞えておるか。
いつも感じている存在に、頭の中だけで問いてみた。まろから声を掛けるのはコレが初めてだ。
<…………何だ>
頭のズット奥の方。もしくは己の背後とも取れそうな場所から、聞き覚えのある澄んだ低音が返って来た。
―― 一つ聞きたいことがあるのだが、答えて貰っても良いかのぅ。
<……あぁ>
目を閉じている所為か、瞼の裏側に海堵の姿が映し出される。空色の髪と朱色の翼を持つ、強い目をした青年。
―― お主は稜の時にもこうして話し掛けておったのか?
<いや、アイツは過去を見るくらいしか出来なかったからな。俺の声なんてたまにしか聞こえなかったさ>
軽く首を振った気がしたのは、まろが勝手に作り出したイメージか。まろ自身にはまだ判らないけれど。
―― 羅庵は、本当に幸せだったのらか。
少し間を置いてから尋ねてみた。昨晩から気になってしかたのなかったこと。誰かに聞いてみたいと思っていたこと。
だが周囲の人間では、羅庵にまで聞かれてしまうかもしれない。だから己以外とは話せないであろう海堵に尋ねたのだ。
<お前が心配するほど、不幸な奴だとは思わなかったけどな。地補も、羅庵も>
それくらい見てりゃ判るんじゃねぇのか。
あまりに軽く答えを貰い、まろはぐっと押し黙った。単純すぎる答えだけど、多分そうなのだと思う。
―― だが……

それでも浮かんでくる不安をぶつける言葉を吐き出す前に、子供の悲鳴が聞えた気がしてまろは直ぐに目を開けた。
瞼の奥から光は入り込んでいた筈なのに、何故かチカチカする程に眩しい。
それでも声のした方を探して、ぐるりと周囲を見回す。

階段を下りた先。ここから少し隠れた場所に、何人かの子供が溜まっているのが見えた。
上からの目線なので、その集団がなにをしているかいるかが直ぐに判る。子供達が誰かを囲んで殴っているのだ。

「おぬし等、其処で何をしておるか!」
例え殴られている側が悪いコトをしたのだとしても、集団で……というのは、まろの好みではない。
己より幾つか年上だと思われるその集団を大声で怒鳴りつけ、最近使い慣れた簡単な術をその集団に向かって放つ。
勿論脅し程度ではあったが、その効果は十分だったようだ。もしくは鴛の自宅に住んでいるまろを知っていたからかもしれない。
蜘蛛の子を散らすように、囲んでいた少年だけを残し子供達は走り去る。
老後の為にも今から体力を温存するコトを日課としているまろは、小さな溜息を吐き、ユッタリとした歩調で少年の元に向かった。


「おや、お主は……」
服についた砂を払っている少年の顔を見て、ぽつりと漏らした。見覚えの或る顔。それは鴛の道場に居た痣もちの子供だ。
「あ、ありがとうございましたっ」
まろがそれ以上話すより前に、少年が慌ててお辞儀をした。
頭一つ分低いまろにお辞儀している姿は少しだが怯えているようにも感じ、まろは変な違和感を感じた。
「いぁ、気にするでないぞ。まろは特に何もしておらん」
惚けた口調でそう言い、頭を上げてくれと頼む。少年は言われた通りに頭を上げ、しかしもう一度お礼を言った。

「ところで、主は何故やり返さぬか?」
金持ちの息子であることを主張すべく年下ながらに自販機のジュースを奢ったまろが、俯き加減の少年の顔を覗き込んだ。
観客席にまで一緒に戻り、近くのベンチに座る。帰るタイミングを失った少年も、促されるままにその隣にと座った。
「俺は、痣もちだから……」
奢られたジュースの蓋を空ける事もしない少年が、悲しげな表情で服の袖を捲くった。
手首にはっきりと浮き出た痣。それは勿論、他の街では歓迎されるほどに強い地の力を示している。
なるほど、コレを隠すためにこんな暑い時期にも長袖を着ていたのか。全然関係のないことで、思わず感心してしまった。

「だが痣持ちだからといって、無意味に殴られる必要はなかろぅ」
昨晩聞いた話で相模の痣持ちに対する仕打ちは判ったが、それを甘んじて受ける必要はないはずなのに。
そう思って言ったせりふに、少年は軽く首を振った。
「痣もちは此処に居るだけで皆を不安に陥れる。だからこれ位は仕方が無いんだよ」
全てを諦めたような、悲しい微笑み。
まろより1,2歳年上だろうか。華奢と言える細い身体の黒髪の少年。まだ子供。なのにこんな言葉を吐けるように育ってしまったのか。
まろは少年には気が付かれないように、軽く唇を噛んだ。

「えっと、あの、君は鴛さんのご自宅のお客様だよね? もしかして凄く強いって言う子なのかな?」
無言になってしまったまろを気遣ったのだろう。空元気を思わせる口調の少年が、それでもまろに話し掛けた。
「兄さんが言ってた。生まれながらに強い力を持つ子が相模に来たって。きっと君のことだよね?」
少しだけテンションの高い声を出し、『凄い』と連呼する。
「いや、まろは別に強くはないぞ」
気を使いつつも憧れを含んだ少年の声に、軽く照れを感じたまろが頭をボリボリと掻いた。
一体ドコでドンナ話が出ているのか判らないが、この街ではまろはそこそこ高い評価を得ているらしい。
「主こそ、素晴らしい剣捌きだったではないか。道場を見学したとき、それはもう驚いてしまったぞ」
照れを隠すために、少年のことにと話題を変える。勿論本心でそう思ったのだが。
「うん、俺には剣術しかないからね。毎日稽古も積んでるし……君にそう言って貰えて嬉しいよ」
誉められることが珍しいのか。頬を赤く染めた少年が、嬉しそうに微笑んだ。

「はて」
だが其処でまろは一つの疑問を頭の端に作ってしまった。
「主の剣術は素晴らしいが、この痣を見る限り地の術者としての才能はそれ以上にあると思うのだが……」
己には剣術しかない、という言葉に思わず反応して出来た疑問が、思ったと同時に口から出ていた。
「……相模では、地の術者はいないからね」
そういえば力の使い方も教えてはもらえないと、昨晩聞いたばかりのはず。
愁いの顔を見せた少年に、まろは失言したことに気が付いた。
しかし一度口にしてしまった以上、それを取り消すことは出来ない。まろはそのまま疑問を続けた。
「ではその才能を捨てるつもりか?」
折角生まれ持った、他の人から見れば喉から手が出るほど欲しい力なのに。

少年が、何かを言おうとしてその口の形をつくり、しかし其処で止まった。
視線の先を地面に移し、何かを考えているようだ。眉の間に刻まれた皺。悲しげな表情。

「相模では地の力の使い方なんて誰も教えてくれない」
決心したように、少年がポツロポツリと話し出した。横に座るまろは、無言でその横顔を見詰めている。
「多分勝手に練習をしたら、俺以外の家族にまで迷惑が掛かると思う」
両手で強く握り締めた缶ジュース。周りには沢山の汗をかいている。少年が、すっと息を飲んだ。

「でも俺は、出来るなら術者になりたい。せっかく持って生まれたこの力を、使ってみたい」
こんなことを言うのは初めてなのだろう。風に吹き飛ばされそうな声で、それでもきっぱりと言い切った。


「史鵠(しこく)!! こんな所に居たのかっ」
他愛も無い会話を続けながら生ぬるくなった缶ジュースを飲んでいると、大きな足音を立てて塔亥が走ってきた。
史鵠……とは誰のことじゃ?
疑問に思うより早く、隣にいた少年が即座に立ち上がった。
「兄さんっ、……今日は試合じゃなかったの?」
何故だか震えた声の少年が、もう目の前にまで来ていた塔亥に訪ねる。
兄さんと呼んでいるということは、塔亥とこの少年……史鵠は兄弟なのか。のんびりとジュースを口に運び、二人の様子を観察する。

「俺の試合は終わったよ。それよりも史鵠、今日は家にいるって約束したじゃないかっ。それなのに何で……」
史鵠の首襟を掴み問い詰める塔亥。痣持ちの弟を心配するあまり、厳しすぎる兄になっている気がしないでもないが。
兄弟喧嘩に他人が首を突っ込むべきではないだろうと、そこは無言で留まる。

「ご、めんなさい。ちょっとだけ、外に出たくて……」
「昨日だって1人で家を抜け出しただろうっ」
「う、ん。ごめんなさい……」
「お前が家に帰って来るまで、俺がドレ位心配したと思ってるんだ! 鴛さんたちにも沢山迷惑を掛けたんだぞっ」

20代後半の兄と10代前半の弟の兄弟げんかは、それはもう一方的なものだ。
流石に見ていられなくなったまろは、のんびりとした口調で口を挟んだ。
「のぅ塔亥よ。主の心配も判らないでもないが、其処まで束縛するのも如何かと思うぞ?」
真夜中に子供が出歩くのは危険だが、昼間から家に篭っていろというのは、流石に辛い。
そのことを伝えようとしたのだが、それを言う前に塔亥が大きく首を振った。
「痣持ちが1人で往来を歩くなんて、この街では相当危険なんだよ。史鵠自身も、それは判っている筈だ」
一言目はまろに向け、続く言葉を史鵠へと向けて言った。
兄の迫力に押された少年は俯き、ただ『ごめんなさい』を繰り返している。


まろには、史鵠を見つめる塔亥の目が尋常ではない気がした。
相模で痣持ちの家族を持つものなら、誰もがそうなってしまうのかもしれないが。
しかしこれ以上口を挟めなくなったまろは、仕方なく缶ジュースの最後の一口を喉に流し込んだ。




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