酔いが醒め始めた頃、会場内は子供に見せられない状態になっていた。
至る所でアルコールを入れ過ぎた人々が、ストリップショーを始めていたのだ。
これが綺麗なお姉さんなら見ていたいものだが、なにせ脱いでいるのは筋肉ムキムキなおじ様方。
しかも用意周到なことに、鍛え上げた上半身にオイルを塗りたくっている。
ジャンデリアの輝かしい光を浴びて、キラキラと照る厚き胸板。はっきり言って気持ちが悪いだけの光景に。
「まろは先に帰るぞぅ」
とだけ辰巳に伝え、中央でおじ様方に囲まれる桂嗣には気が付かない振りをして、さっさと独り会場を後にした。

酔いが醒め始まると、夏の夜風さえも少々寒く感じる。
まだ9時頃ではあるが、10歳児のまろがお供をつけずに歩くことは珍しい。きっと大人陣に声を掛ければ、誰かが着いて来ただろう。
だが舗装された路地は街灯や看板が照らしており、危険な人物が居れば直ぐに見つかってしまいそうだ。
それに会場から鴛宅まではそう遠くはない。頭の隅で考えことをしながらも、まろは鼻歌交じりに夜道を歩いていた。



鴛の自宅は鶴亀家程広くは無いが部屋数は多い。道場に通う人々が下宿することもできるように……ということらしい。
その為、現在もまろたちは各々に一部屋ずつ割り当てられている。

「羅庵よ、入るぞ」

鴛の家に戻ったまろは即座に風呂を浴びて寝間着に着替え、先に帰宅していた羅庵の部屋を訪れた。
返事も待たずに襖を開けると、早々に寝床に潜り込んでいたようで布団の端からもぞもぞと顔を出す。
「ん〜、どうかしたか?」
一応は意識があったらしく、寝ぼけ眼を擦りながらも布団から這い出ようとしている。
その羅庵に『寝ていて構わんぞ』と言い、まろは左手にぶら下げていた子供用枕を羅庵の布団の上に放った。
「……怖い夢でも見たってか?」
断りもなくさも当然の顔で自分の布団に潜り込むまろに、欠伸混じりの声で羅庵が尋ねる。
「うんにゃ。羅庵が会場で虐められていたと聞いてのぅ」
「……へぇ」
あまりに直接的な言葉に、欠伸を途中で止めた羅庵がそれでもどうにか苦笑いを作って見せた。

それは大人たちのストリップショウに呆れ果てたまろが、先に帰宅することを辰巳に伝えた時に聞いたことだ。
酒に飲まれた人達が『シード権を持つ痣持ち』に絡み始め、桂嗣達が仲裁に入り収まったものの羅庵が先に帰ってしまった……と。
相模では珍しい痣持ちの大人。素面では流石に侮蔑の目を向けることはなかったけれど、アルコールが入ればそう言うわけにもいかず。

「んで、お優しいまろ様が慰めに来てくれたってわけかぃ?」
もともと大きめな布団では、子供が1人位入ったところで問題はない。枕に肘を乗せた羅庵が、口の端だけを上げて笑った。
慰めなんていらないのだと言いたげな表情に。
「折角なので一気に傷を抉っておこうかと思ってな」
仰向けの状態になり目線だけで羅庵を見ていたまろが、率直に言い切った。
「そいつは手厳しいな」
予想とは反した言葉に、少々驚きを隠せないのであろう。羅庵が一瞬だけ息を飲んで、それでも笑った。
「俺のドコの傷を抉りたいって?」
「幼少の、相模にいた頃の話が聞きたい。どうして稜達に会うまで力の使い方を知らなかったのか……など含めてのぅ」
人の過去を詮索するのはあまり良い趣味ではないが、気になるものは仕方がない。
天井に目線を移して、まるで親に絵本を読んでくれと強請る子供のような軽い口調のまろに、羅庵が苦笑を漏らす。
「まぁ良いけどよ。そんな面白い話じゃないぜ?」
「寝物語程度に聞くつもりじゃから、その位の気持ちで話せば良いぞ」
傷を抉りに来たくせに、多少は気を使っているらしいまろが、大きなあくびをしてみせる。
もう10年もエセ医者を近くで見て来たまろは、羅庵が真剣な顔で話を聞かれるのが得意ではないことを知っているのだ。
まろの考えに気がついているのか、羅庵が小さく笑い、やはり寝物語でもするかのように話し始めた。



それは記憶の中でさえ虚ろな昔のコト。



俺は他の街から相模の大学病院に転勤してきた父と、この街で生まれ育った母の間に生まれた。
父方の血に『地の力』が混ざっていたんだ。そして生まれた子供……俺には左頬に鮮やかな刻印が浮かんでいた。
母方の親戚や知り合いからは、焼き鏝でその痣を消せ、切り刻んでしまえと言われつづけていたらしい。
だが両親は俺の痣を消すことはなかった。
周囲にどんな目で見られても、俺を『大切な子供だ』と言って育ててくれた。
俺は幸せな子供だったよ。その当時、俺以外にも痣もちの子供が1人いたんだが、それは見るも無残な状態だった。
1人で道を歩くなんて、自殺行為だとさえ思えるほどに。

しかし俺を大切にする父を相模の人間が許すはずがない。大半の患者が、父に診て貰う事を拒んだ。
それでも耐えて……丁度俺が10歳になった時に、移動の話が舞い込んだんだ。
勿論断るはずがない。俺たち家族は、その数ヵ月後にはこの街を出ることが決定した。
両親はこれで俺が侮蔑の目で見られることも、意味もなく嫌悪されることもないと喜んでいたよ。

ただ一つ。俺には気に掛かることがあった。
それは俺より1歳年下の痣持ち。俺が通っていた道場の息子で、鴛の弟だ。
とは言っても首もとにあった痣は焼印で消され、外に出かけることさえ殆ど許されてはいない子供だったんだが。
友達の居ない俺は、いつも道場の裏庭で鴛とその弟……靭(じん)の3人で遊んでいた。
俺がいなくなれば靭は相模では唯1人の痣持ちとなる。周囲からの攻撃が、靭に集中してしまうだろう。
幼い頃の俺は、それがとても怖かったよ。ボロボロの靭は、少しでも目を離せば誰かに殺されてしまいそうだったから。
そして俺は子供武道会に出場することを決めた。
当時の子供武道会優勝者には、シード権の他に『一つだけ願い事』を叶えて貰えることになっていたからな。
道場でも大人としか対戦しない程強さを認められていた俺は、優勝して靭を攻撃させないコトを約束させようと思ったんだ。

そして知ってのとおり、俺は最年少初出場で優勝して見せた。
凄いブーイングだったけどな、勝っちまったんだから仕方がない。俺は優勝者として『願い事』を言った。
「今後痣持ちである靭を虐めないで」
渋々ながらも、周囲は了承した。俺は純粋に喜び、これで全てが解決したと思い込んでいたよ。
だが。
子供武道会が終了し、俺が他の街に引っ越す当日までの数週間。俺は靭の顔を見ることが出来なかった。
引越し用意で忙しくて道場に通えなかった所為もあるが、何より靭に避けられていたからな。
理由は判らなかった。単純に別れが寂しいからだ、とさえ思っていた。
それでも最後の挨拶くらいはしようと思い、鴛に無理を言って靭の部屋に入れてもらった。

「……じ…ん…っ?」
部屋の隅で布団に包まって俺から顔を背けていた靭は、何故か以前以上にズタボロだったよ。
赤、青、紫の痣が身体全体に付けられていた。
子供武道会終了後、靭には虐めではなく『痣もちへの妥当な躾』が俺に隠れて行われていたんだ。
靭は俺を想ってそのコトを話そうとはせず、鴛は俺を気遣って黙っていた。
何も知らない俺が、何の心配もなくこの街を出て行けるように……だってさ。

「なんでコンナコトにっ」
俺は悲しかったよ。でもそれ以上に恨んだ。浅はかな俺自身と、靭を傷付けたこの街の人間を。
だから俺はこの街の人間が密かに怯える俺の力……地の力を使い復讐をしようとした。
相模では地の力の使い方なんて誰も教えてはくれないから、どうやったら力が発動するかも判らなかったけれど。
それでも、その瞬間は怒り任せにこの街を壊すくらいは出来そうな気がした。
事実、あの時の俺がそのまま力を使おうとしていたら、その状態になっていただろう。根拠なんてナイケド。

「……羅庵にぃ、やめて? 羅庵にぃが怒ったら皆が怖がってしまうよっ」
でもその俺を止めたのは、誰よりも怒っていいはずの靭だった。
やせっぽっちの体で、部屋を飛び出そうとしていた俺の足元に縋り付いて来たんだ。
「羅庵にぃ、僕は大丈夫だから、だから皆を怒らないであげてっ?」
1歳下とは思えない程の未発達な身体で、それでも懇親の力を込めて俺の怒りを抑えようとしていた。
どうして靭は他の奴の味方をするのか、俺には全く判らなかった。そんなに傷付けられて、大丈夫なはずがないのに。

「羅庵にぃが力を使って皆を傷つけたら、この街の人はもっと地の力を持つ人間を怖がってしまうもの。
羅庵にぃが力で皆を服従させたら、僕は守られるけどその次に生まれた痣持ちの子は、もっと酷いコトをされてしまうよっ」
「なら靭以外の痣持ちも虐めないように約束させるさ!」
「ダメだよっ! ここの街の人は皆、痣もちが嫌いなんじゃなくて怖いと思っているんだっ。それなのに攻撃したら……」
「痣もちは無抵抗でも傷付けられてるんだぞっ。何でやり返すことがいけないんだよっ」

もう怒鳴りあいだった。部屋の前で俺たちの様子を見に来た鴛でさえ真っ青になるくらいにな。
特に靭の怒鳴り声なんてめったに聞けないし、少し長めの黒髪を振り乱して泣いてる姿を見たのは初めてだった。

「……羅庵にぃが力を使って皆を服従させても、僕ではない誰かが身代りになって傷つくだけだっ」
「でも、それじゃぁ靭が……」
「僕は大丈夫だよっ。力なんて使わなくても立派に育ってみせる」
「でも、でも……」
「優しい大人になって、この街に貢献して、痣もちは怖くないんだって皆が思えるような人になりたいんだよ」

俺の足元に縋りつきながらも、きっぱりと言い切った靭。
奇麗事だ。そんなに上手くいくはずがない。
けど一番傷ついてきた靭がそう言うんだから、俺には何も出来ないんだと、怒りを爆発させることはやめたんだ。
俺が見てきた中で誰よりも優しい少年の願いが叶って欲しいと、心の底から願ったよ。


そして俺と靭は約束をした。
忌まわしき地の力を使わないで、それでも立派に成長してみせようと。
次に生まれたあざ持ちが、ただそれだけの理由で周囲の人間から忌み嫌われることのないように……と。




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