「……んん?」
高く遠い空は闇に澄んでいるのに、周囲のライトに邪魔をされ星も見つけられない。
街灯の殆どない白薙では、数えることが無謀な位に輝いていたのに。
あんな空を見られる場所は、きっと少ないのであろうな。
どうやら仰向けで寝ていたらしいまろは、目覚めと同時に飛び込んできた光景にそんなことを思った。

「あ、目が覚めたのね」
状況の掴めないまろが呆けていると、すぐ横から声が聞えた。
ゆったりと起き上がれば、鴛が掛けてくれたのだろう、真っ白なスーツの上着が滑り落ちる。
「大丈夫? まだ頭クラクラしてる?」
自分がどうして寝ていたのかが判らないまろの顔を、鴛が覗き込んだ。
「いや、特に問題はないが……」
はてさて、一体此処は何処なのら? 小さく首を動かして周囲を見回す。だがやはり見覚えのない場所。
「あら、記憶が飛んじゃってるのね」
寝ぼけ眼で首を左右に振っているまろに、鴛が穏やかに微笑んだ。

記憶が飛んだ? 今まさに稜の記憶を見たというのに?
未だ頭が上手く働いていないまろが、意味の繋がらないことを考えて首を傾げた。

「蔓貴君、自分がお酒飲んだって知っていた? 多分ウエイターさん辺りから貰ったんだと思うけど」
結構強めのカクテル。だから踊っている最中に酔いが廻って、倒れちゃったのよ。
まるで手の掛かる子供を窘めるように、優しげな口調で今後は気をつけてね、と言う。
成る程。そこでようやくまろは、己が倒れる前までの記憶を取り戻した。
今日は交換舞踏会の日で、鴛と踊っていたのだが、途中で体が急に熱くなり足元がおぼつか無くなったコトを。
きっとその直ぐ後に倒れてしまったのだろう。まだ子供とはいえ情けない。

「ところで鴛ちゃん、桂嗣は何処に……?」
こういう時、必ず側にいる相手なのに。そう思ってくるくると首を左右に動かし、答えを突き止めてしまった。
「ほら、あそこに見えるかしら。桂嗣が脂ぎっしゅなおじ様方に囲まれているの」
まろが見ている先を、鴛も指で示す。
ちなみに此処は、交換舞踏会会場の二階席に付属している小さなバルコニーの一角。
酔いを覚ますためにと、夜風のあたる場所に連れて来てくれたのだろう。
そして此処から遠くに見える一階席の中央で、桂嗣とおぼしき人物が、数人の男性に囲まれているのが判った。もちろん、女装中の。
「スリット好きのおじ様って多いのよね〜。しかも整った顔してるものだから、危ない方々が群がっちゃって」
桂嗣にとっては不幸そのものだが、見ている方には楽しいだけ。口の端を震わせた鴛が、それでも教えてくれた。
哀れ。その趣味もないのに迫られている桂嗣の直ぐ横で、辰巳がドレスの裾を振り回している姿が見える。
己の大切な人に群がる虫を排除しようと、必死なのだろう。
「……桂嗣、達者でな……」
意味もなく、まろは桂嗣の方に向かって両手を合わせた。

「鴛さん、此処に居たのですねっ」
鴛とまろが他愛もない会話を続けていると、2人しかいなかったバルコニーに一人の男性が入ってきた。
「おや、塔亥ではないか」
見知った顔に、まろが先に声を掛ける。塔亥の方も覚えていたようで、片手を上げて挨拶をして見せた。
「どうかしたの?」
直ぐ側にまで来た塔亥に、鴛が少し低めの声で尋ねる。多分これが弟子に対する口調なのだろう。
その口調のせいでもないが、塔亥が少しだけ眉を寄せた。
「実は……」

鴛の耳元に口を寄せて、小さな声で話す。きっとまろには聞かせたくない話なのだろう。
『弟が、また居なくなったんです』
微かながら聞えてしまったが、ソコは知らない振りをしてみせる。凄く、興味深い話ではあるが。

「私が探しに行くわ。塔亥は此処で待っていて頂戴」
周囲には聞えぬよう……実際は聞えてしまったが……小声で会話を続けた後、鴛がすくりと立ち上がった。
弟の失踪で師範の鴛が出てくるのが不思議だが、そこは塔亥達の間で何か決まり事があるのだろう。
はっきり言えば野次馬根性丸出しで問いただしたい所だが、取りあえずこの場は我慢する。
そして『じゃあ悪いんだけど……』と謝る鴛を笑顔で送り出し、走って何処かに向かう姿を見ていた。


「隣に座っても良いかい?」
鴛の背中が見えなくなった頃、塔亥が遠慮がちに聞いてきた。
男女が2人で話していたところを……とは言っても子供と大人だが、邪魔をしたと考えているのだろう。
「うむ、夜風が心地よいぞ」
先程まで鴛が座っていた所をポンポンと叩き、気にしてないぞと笑う。
タイトなロングスカートの裾に皺が付かないよう座り、塔亥がありがとうと言った。

「なぜ腕を切り落とすのは禁止になったのら?」
「え?」
並んで座ったものの、特に会話も見つけられなかったまろは、それでも無言の間を気まずく感じてどうにか口を開いた。
「ほら、前会った時に教えてくれたではないか。以前は勝敗を決めるのに手首を切り落とすこともあったと」
何か問題があったから、其の方法は禁止になったのであろう? と軽く首を傾げる。
そこで思い出したらしく、塔亥はあぁと頷いた。

「それは今から約60年位前の話になるのだけど……。其の前に、蔓貴君は相模の言い伝えは知っているかな?」
「言い伝えとは……地の力を持つ者の話なのらか?」
地の力を持って生まれた子供は、相模に厄をもたらすだろう、などというフザケタ言い伝え。
「そう、知っていたんだね。でもそれなら、話は早いかな」
少しだけ嫌悪の色を見せたまろに対し、塔亥は何故か悲しげに瞼を伏せる。
何かツライ記憶でもあるのだろうか。長めの睫毛が、頬に影を落としていた。

輝く月のヒカリ。
ライトに邪魔をされてもなお、地上に差し込んでいる。

それは、もう60年以上も昔の話。
痣持ちが今以上に差別を受けていた時代。珍しいことに痣持ちの兄弟が居た。
力の属性は親の血で受け継がれるが、相模の痣持ちは成人する頃には町を出て行くので『痣を持つ親』はいない。
だから血の力を持つ子供は、曽祖父母などからの隔世遺伝によって生まれる。隔世遺伝というのは、当たり前だが珍しい。
その中で生れ落ちた痣持ちの兄弟。しかも家庭の事情か何かで、成人しても2人は相模に住んでいた。
だから兄弟……いや、弟の方は特に周囲から非難され嫌悪されていた。

そして武道会の日。運悪く……もしくは痣持ちを嫌う誰かかの仕業やもしれないが、兄と弟で試合が組まれた。
弟を殺せ、痣もちを消せ、という会場からの罵声。兄は、弟の手首を切り落としてしまう。
だが兄は殺す気はなかった。実は弟の手首を切り落とせたことを、幸運だとさえ思っていた。
何故なら弟は痣を手首に持っていたから。兄はその場で己の手首も切り落とし、己の力を全て使い、弟にその手首を接合した。
初めからソレが狙いだったのだろう。弟は助かり、兄は死んだ。弟を助けるためだけに、力を使い果たしてしまったのだ。

それは膿んだ場所を捨てるように。
忌み嫌われる部分だけを、亡くす事が出来たなら。

「それで、腕を切り落とすことが禁止になったのらか?」
御伽噺でも聞かせるように語った塔亥に、隣でおとなしく聞いていたまろが小さな声で疑問をぶつけた。
「あぁ、そういう風に聞いているよ」
普通のときならば、人の腕を切るコトは重罪だ。それに相模では痣持ちの治療も、非難の対象になる。
その上神聖なる武道会に痣もちが出場することさえおこがましいのに、規約を弟を助けるために利用するなんて……と。
苦しげな口調の塔亥の視線は、遥か遠くを見ている。自分の中にある記憶でも辿っているような、虚ろな目だ。

弟を想い起こした行動を、全否定した周囲の人間に、まろは苛立ちを感じた。
しかし幾つかの疑問を持ってしまったまろは、子供特有の図太さでどうにか無視をして次の質問に移った。

「では何故弟の方が兄よりも迫害を受けておった? 同じ地の力を持つものであろう」
「兄の痣は背中にあり、赤ん坊の時に焼き鏝で消されていたんだ」
「焼き……鏝だと?」
家畜に押すものを、赤ん坊に押しつけたというのか。信じられないという目で、まろは塔亥を見た。
「相模の名家では良くある話だよ。……けど弟の痣は手首全体を覆い、しかも焼き鏝では消えないほどに鮮明に浮き出ていた」
他の街では将来有望な子供が生まれたと、持てはやされただろうに。相模では、迫害を受ける原因でしかない。
「熱湯を掛け、剣でズタズタに裂き、それでも再生する痣。焼き鏝も、何度となく押されたらしい」
眉を寄せて話す塔亥は、相模の人間のクセにその弟を想い悲しんでいるようだ。

だがそれを聞いていたまろは、怒りの余り背筋がぞくりとした。

火で炙り、赤くなるまでに熱を持たせた鉄を、赤ん坊の皮膚に押し付ける。
理由の判らないその子は、きっと泣き叫ぶだろう。それでも逃がさないようにと、大人たちが幼い四肢を掴む。
考えるだけで吐き気がした。昔からの言い伝えを守ることが、一体どれだけの恩恵をもたらすと言うのか。
そう言って相模の人々を大声で罵りたくなって、まろは唇をぐっと噛み締めた。

生暖かな風が纏わりつくのに、何故か寒い。

鶴亀家専属医も、こんな扱いを受けていたのだろうか。
子供とは思えない悪態を頭の中で並べつつ、まろは羅庵の顔を思い出していた。




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