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「あったま痛ぇ」
「熱が39度もあるからな」

39度。聞いたらもっと頭が痛くなってきた。3枚も掛けられた羽毛布団が、俺の体温を吸って更に熱くなっている気がする。
診察の為に起こしていた上半身を、布団の中に戻す。これ以上熱を上げたら、桂嗣になんて言われるか判ったもんじゃない。

「真冬に公園で昼寝するなんて、一度頭の中も診察して貰ったら如何です」
頭の中で考えていた奴が、小さな土鍋を持って台所から出てきた。
「うるせぇよ。あの公園で寝るのが、一番気持ち良いんだ」
横へと寄せられた机に土鍋を置いた桂嗣に、唸るように反論する。脅すような低音を発したつもりが、熱の所為で擦れた声になった。
「昼寝をする暇があるなら、家事の一つでもして頂きたいものですね」
溜息交じりで吐き出される文句。それを間で聞いていた羅庵が、小さく笑った。

「……んだよ」
「いやいや、親子の会話だなぁと思ってよ」

どうにか真顔を作ろうとしているのだが、口の端がピクピクと動いてしまっている。
「俺をガキ扱いすんじゃねぇよっ。しかも桂嗣の子供なら、もっと捻くれてるっつーの」
「えぇ。私の子供なら、真冬に外で腹出して寝るようなバカな真似はしないでしょうしね」
厭味ったらしく言ってやったのに、桂嗣は堪える様子もなく呆れた顔で俺を見やがった。しかもしっかり嫌味は返して。

あぁ、もう。マジで頭痛ぇし体熱ぃし気持ち悪ぃし腹減ってるのに食欲でねぇし。
嫌味ついでに俺の口元まで布団を被せた桂嗣が、咳を連発した俺に溜息を吐く。

「そろそろ閉館時間なので、架愁を迎えに行ってきます。判っていると思いますけど、これ以上熱上げたら座薬打ちますからね」
あと食欲があるのなら、卵粥を作ったので食べておいてください。
眉の間に皺を寄せた桂嗣が、机に乗った土鍋と封の切られていない座薬を示す。だが。
「熱なんて勝手に上がっちまうんだから、仕方がねぇだろっ」
座薬だけは絶対嫌だ。擦れた声で怒鳴ると、そのまま咳が止まらなくなった。
「お〜い、大丈夫かぁ?」
桂嗣と俺の会話を笑いながら聞いていた羅庵が、やはり笑いながら布団をポンポンと叩く。
やばい、マジで苦しい。喉がヒリヒリしてきたのに、それでも咳が止まらない。
「帰りにアイスでも買ってきてますから、羅庵の迷惑にならないように良い子にしているんですよ」
枕で口元を覆いながら咳込んでいた俺の頭を、桂嗣が軽く撫でた。
だから子ども扱いするんじゃねぇよっ!! 怒鳴ってやりたいのに、言葉を発することもままならない。
「では、行ってきますね。……羅庵も、宜しくお願い致します」
「おぅ、気を付けてな〜」
桂嗣が軽く頭を下げ、羅庵が手を振る。そして厚手のコートを羽織った桂嗣は、部屋を出て行った。


「架愁は今日も図書館か?」
ようやく咳が止まった頃に、羅庵が白湯を差し出した。とは言っても、もう冷えてしまっているが。

「あ……あぁ。最近ようやく漢字が書けるようになったってさ」
上半身を起こし、白湯を一口だけ含む。喉は渇いているのに、痛くて一気に飲み干す事が出来ない。
「そっか。……大変だな」
チビチビと白湯を飲んでいる俺の横顔を見ながら、羅庵が小さく呟いた。
「……架愁の生い立ちのことがか?」
単純な哀れみの台詞に、横目でチラリとだけ視線を返す。架愁は自分のことを『大変だ』なんて口にシタコトはない。
「いや……」
視線の意味が判ったのだろう。羅庵は即座に否定の言葉を吐き出し。
「手のかかる子供を2人も抱えている桂嗣が、さ」
言い訳ついでに口の端にムカツク笑いまで含めやがった。

「あ? 何か言いやがったか?」
どうにか白湯を半分まで飲み、いらなくなった湯飲みを羅庵にとつき返す。
未だに1人で買い物も出来ない架愁が『手の掛かる子供』と言われるのは仕方がないが、俺まで同じ扱いをするとは。
冗談だとしても許せねぇ。ギロリと睨みつける俺に、羅庵が片眉を上げた。
「熱の所為で幻聴が聞えたんじゃないか?」
おどけた表情で、白々しい嘘を付く。これが将来有望と謳われる医者だとは、全く持って信じがたい。



「さて、そんじゃぁ治療でも致しますかね」
よし、と気合を入れた羅庵が、何故だか腕捲りを始めた。
診察なら先程終えたばかりだ。寝てりゃ治る風邪に、治療もクソもないだろう。
閉じたり開いたりしている羅庵の両手が、特に怪しい。

「術を使って、お前の熱を下げる」
一体ナニを始める気なのかと訝しげに見ていると、羅庵が高らかに宣言した。
それはまるで、手品師が今からコインを消します、とでも言っているかのような口調。
「あ?」
これこそ熱での幻聴かと、思わず聞き返す。だが羅庵は本気で行おうとしているらしく、軽く目を伏せて瞑想を始めた。

手馴れた術者ならば、熱を下げる如きで瞑想なんてしない。だが羅庵は力を使い始めたのは、半年ほど前のこと。
それまでは己自身で使うことを禁じてきたとかで、まともな使い方も覚えていなかった。
どうしても使いこなせるようになりたいからと、サド桂嗣のサド講習を受けていたのは俺も知っている。
けれども。

「力は、使わないんじゃなかったのかよ」
それは先々月の話。羅庵の嫁さんが亡くなる、約一ヶ月前。
『俺は術を使ってアイツを治すことは、ヤメタ』
出来すぎた雨の夜。びしょ濡れの羅庵がこのアパートに訪れ、桂嗣に言っていた。
「……それは、嫁さん相手の話だよ」
少しの間は瞑想を続けていた羅庵だが、何かを思い出したのか、小さな溜息を付き術を練り上げることを諦めた。

現代の医学では、延命さえ難しいと言われた羅庵の嫁さんは、名高い術者を雇っても治せるとは言い切れない状態まで来ていた。
だが天子の記憶保持者である羅庵なら、もしかすれば。そう初めに言い出したのは、俺か桂嗣のどちらかだろう。
力の使い方も知らない羅庵だったが、持っている力がどれほど強力であるかなんて、頬に浮かんだ刻印を見れば判ってしまうから。

「流石は俺を選んだ人、ってなだけあってさ。私を想うならば、治さないで欲しいって言ったんだよな」
大きな息を吐いて、俺の布団の端に顔面から突っ伏した。長い昔話でも始めそうな雰囲気だ。

「力の使い方を覚えた羅庵は、きっと他の術者と同じように、若い姿で長く生き続けるでしょう。でも私は力もなく老いてゆく。
羅庵は優しいから、皺々の私でも愛していると言ってくれる。それが私には辛く、どうしようもなく苦しいの」
多分嫁さんに言われた言葉なのだろう。
布団に突っ伏したままの羅庵が、ツラツラと言葉を吐き出した。
障害物に阻まれた声は、それでも部屋に響くほどに大きく、無理に明るくさせていることが判る。
「でも貴方に治して貰った私は、身勝手に貴方の側を離れることが出来なくなり、ただ遠い日を想像し怯えて暮すの。
私が寿命で亡くなった後で、羅庵は他の女性と恋愛をする。私のようなお婆さんではなく、若く綺麗な人と。そんな下らない想像」
羅庵の声が少しだけ擦れた。俺は何もいう事が出来なくて、ただ耳を羅庵の方に向けている。
頭は痛いままだが、咳が出てこないのは幸いだ。羅庵の話が終えるまでは、咳き込むなんてしたくはない。

「だから羅庵。私を本当に想ってくれているなら、貴方のチカラで私を治そうとするのは止めて頂戴」
そこまで言い終えた羅庵が、長い息を付きながら突っ伏していた顔を上げた。

「嫁さんは俺が術者になることを選んだ時点で、別れる事を決めたんだってよ」
遠い目をする羅庵。
確かに術者とチカラを持たない人との結婚が、その問題の所為で周囲から反対を受ける話は良く耳にする。
チカラを持っているだけなら問題はないのだが、ソレを扱う術を知ってしまうと、その人間の体は勝手に老化現象を止めてしまうから。
夫婦の内で片方だけが老化していくことは、どちらにせよ辛いものがある……ということなのだ。
それは、判る。
だが自分の病気を治すために術者になることを選んだ夫に対して、その台詞はどうだろうか。
酷い女だ。思わず罵りの言葉を出そうとして、羅庵が笑っていることに気がついた。

「嫁さんの言う通り。嫁さんがどんなに皺々になっても、俺は愛し続けただろうな」
訪れなかった遠い未来でも夢見ているように、視線の先は遥か彼方を向いている。
言葉の意図が掴めず、羅庵の顔をまじまじと見つめた。

「ところで稜。嫁さんが亡くなる少し前に、一つお願いコトをされたんだ」
「は、はぁ」
遠い視線を急に俺の方に向けた羅庵が、人差し指を立ててニッコリと笑った。
「大切な人が病気に掛かったなら、羅庵の術で治してあげて。貴方が治せなかったのは、私だけにしておいて欲しいの。
貴方にとって唯一の人である限り、私は忘れられずに済むから」
恋人や妻という位置には、次の人が現れてしまうだろうから。
貴方にとって初めての妻で、術者の貴方が唯一助けられなかった、忘れることの出来ない存在に。
何とも残酷な嫁さんのお願い事を、小児科に行っても問題なさそうな笑顔の羅庵が言い切った。

そしてもう一度、よし、と気合を入れた羅庵が、俺の顔面すれすれに拳を突きつけた。
「ということで稜。俺にとってお前は大切な友人だ。治させて貰うぞ」
「意味判んねぇよ」
思わず目の前に突き出された拳を叩きつける。
「ぁんだよ。俺と嫁さんとの約束を破らせる気か?」
なんて酷い奴だ、と冗談混じりの声の羅庵が、叩かれた拳を振る。
「てかそれなら何でもっと早くに治さねぇんだよっ」
裏がありそうで、また咳き込み始めてしまった己の喉を抑えながら怒鳴った。
羅庵が来たのは、今日の昼過ぎ。もし本当に約束を守りたいなら、さっさと治せばよかったのに。

「さっきまでは桂嗣がいたから出来なかったんだって」
「いちゃマズイのかよ」
「桂嗣がいると、絶対に補助しようとするからさぁ」
「補助?」
「あぁ。俺、未だ自分の力を上手くコントロール出来ないんだよな」
でも一度1人でやってみたくてさぁ、などと言いながら天井を仰ぐ羅庵。
つまり。
「てめぇっ、俺を練習台にする気か!??」
「うん。大切な大切な稜君。俺の独り立ち大作戦に付き合って」
咳き込みながらも、どうにか大声で怒鳴りつけた俺に、羅庵があっさりと肯定した。しかも満面の笑み。

「絶対イヤだ。俺は自力で熱を下げるから、テメェは他の奴で練習して来い」
慌てて布団に潜り込み、寝返りを打って羅庵に背を向ける。
「他の人でやって失敗したら困るじゃねぇか」
しかし背中の方から聞える羅庵の声は、諦めていない。
俺なら失敗しても良いのかよ!! 文句を言ってやりたくもなったが、此処で叫んでも又羅庵に言い返されるだろう。
この際無視することが一番だ。
さっさと寝てしまえば、羅庵も諦めるだろう。流石に了承も得ずに勝手なことをする奴だとは思えない。
俺は羅庵の台詞に応えず、瞼を閉じた。


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