「ぬっほぉ……」
鴛の初戦を見学していたまろが、思わず小さな声を漏らした。
実は鴛も剣術武道会にエントリーをしていたらしい。
シード権を持っている羅庵は準決勝の日まで試合には出なくてもいいので、暇を持て余したまろはこうして鴛の試合を見ているのだが。

「格が違いすぎる」

試合開始5分を過ぎた時点で、結果なんて見えきっていた。
初戦相手は幼少時代から身体を鍛えていたとかいう、いわゆる体力自慢の筋肉隆々男なのだが。
鴛の流れるような剣捌き。筋肉隆々男から流れた血が、いっそ血糊にさえ見えるほどに優美であり。
桂嗣に剣術は習ってはいるがまだ真剣を持ったことのないまろでさえ、筋肉隆々男に勝ち目がないことくらいは判ってしまう。
「鴛ちゃんで決定なのらねぇ」
前方で筋肉隆々男を叱咤激励する罵声だか声援だかが飛んでいる中、まろがボソリと呟いた。

まろ達が相模に着いた日。やはり運が良いと言うのか。
剣術武道会へのエントリーは大会2日前までであり、それは丁度まろ達が相模についた当日であった。
面倒だとごねる羅庵をほぼ強制的に出場させることに成功し、大会終了日まで鴛の自宅にお世話になることにも決まり。
相模まで案内してくれた清瞑は、未明だけに白薙を任せるのは不安だからと早々に帰っていった。
準決勝まで試合のない羅庵は、未だ眠っている辰巳の看護に付きっきりであり。
鬱灯に連れて行かれた桂嗣からも、未だ連絡はない状況。
そして2日後の大会当日。

「鴛さん、強いでしょう?」
剣術武道会なんて血生臭いものには興味のない栗杷が、子供武道会の周囲で行われているお祭りに架愁を連れて行ってしまい
1人寂しく客席の後方の端側に座っていたまろに、誰かが声をかけてきた。
「初めまして。君が蔓貴君だよね」
まろのすぐ横の通路で立ち止まった声の主は、光を受ければ茶色にも見えそうな黒髪黒目の二十歳後半の青年。
その姿をもう少し細かく説明するとしたなら、身長180cm前後の笑顔爽やか系努力家風味、とでも言うところだろうか。
「え〜と……」
声をかけてきた相手が一体誰なのかが判らないまろが、少しだけ困惑した表情を作った。
まろと視線を合わせるために中腰で話し掛けてきた青年が、気がついたように笑い。
「あ、と。僕は如月流の門下で、安瀬塔亥(あぜとうい)です」
先に自己紹介をするべきだったね、と顔に似合った爽やかな口調で謝罪した。

「ほぉ、鴛ちゃんの生徒さんなのらね」
相手が判ったまろがポンと手を打ち、ついでに空いている隣席に座るように塔亥に勧めた。
如月流とは相模では特に名の知れた剣術の名家であり、現在は鴛が当主の名を受け継いでいる。
今現在まろ達がお世話になっている家の近くに道場があるので、まろも一度は見学に行きたいとも考えていた場所だ。
「でも何でまろを?」
「凄く強い力を持つ子が来るんだって、前に聞いていてね」
凄く強い子。少々期待され過ぎな気がして、まろは引き攣ったような笑顔を顔面に貼り付けた。
だが気が付かない塔亥は、そのまま続ける。
「生まれながらに強力な術を使い、けれども謙虚で優しくて素敵な子だってさ」
そう話す塔亥の目は、まるで漫画のヒーローに憧れる少年のような眼差しだ。
ソレは確実にまろではないのらよ。術が使えるようになったのも最近のコトで……。
喉まで出かかって、どうにか飲み込む。流石に此処まで期待されて訂正するのも恥かしいのだ。

「と、ところで。剣術武道会ではどうやって勝敗を決めるのら?」
二の腕辺りに鳥肌さえ立ち始めたまろが、そこでようやく話題を変えた。
「あれ、鴛さんに聞いていない?」
話の流れを無視されたことを気にした様子もない塔亥が、少しだけ不思議そうな表情を作る。
だがまろがコクリと頷くと、やはり爽やか系な笑みを浮かべて試合中の鴛の方を指さした。
「鴛さんの手首に蒼色のブレスレットが付いているよね?」
言われるままに、まろは其処まで悪くはない目を精一杯凝らして、鴛の剣を握っている方の手首を見る。
素早い動きのせいでどんな形かまでは判らないが、蒼色の何かを着けているのだけは見ることが出来た。

「単純に言うならアレの奪い合い。剣術で相手に認めさせて自ずと外させるのが一番だけど、無理なら腕を切っても良い」
「腕を切り落とすのらか!??」

衝撃の事実に思わず大声をだした。聞えてしまった前方の客達が、チラリとだけまろ達を睨む。
「とは言っても殺人はご法度だから、今ではそんな手荒なことは出来ないけどね」
前方の客達の嫌な視線には気が付いた塔亥が、少しだけ声を潜める。
そして内緒話でもするかのような声を作り、『でも以前までは出来たんだよ』と小さく微笑んだ。


***


「お、久しぶりなのらね」

鴛の初戦が終了し、ついでに塔亥も出場者ということで、その2回後にあった塔亥の試合も見学を終えて。
少し薄暗くなった路地をフラフラと歩き、お世話になっている鴛の自宅に戻ると、玄関で桂嗣に迎えられた。
まるで子泣きジジィの如く背に張付いた辰巳を、当たり前のように背負っている。
生まれる前から側にいた桂嗣と、5日も会わなかったのはコレが初めてのことであり。
ちと気恥ずかしさを覚えたまろは、桂嗣の『お帰りなさいませ』の言葉に、そう答えてしまっていた。

「お久しぶりです、まろ様。特に変わられた様子もなく、安心しましたよ」
たかが5日で変わるものでもないのだが。という突っ込みを入れる間もなく、桂嗣がまろの頭を撫でる。
すると直ぐに桂嗣の背中に張付いていた辰巳が、器用にもスルリと胸元まで移動し、まろを撫でる手を掴んだ。
「あ〜!!! まろズルイ!!! 桂嗣、僕も撫でて撫でてっ」
言うよりも早く、自分で桂嗣の手を己の頭にと乗せている。眠り続けていた時の可憐な姿は、今や姿形もない。
だが辰巳が元気な状態で目覚められて良かったと、本当は優秀な鶴亀家主治医を頭の隅だけで誉めてやる。

桂嗣達と共に広間に向かえば、先に帰ってきていた栗杷が屋台で購入した土産を広げていた。
その横ではどちらが高くスーパーボールを飛ばせるかと、羅庵と架愁が遊んでいる。
案内人である鴛と葉月はまだ帰宅していない模様。
けれども剣術武道会初日は夕方までだと聞いたし、葉月も昨日一昨日を考えればもう直ぐ帰ってくるだろう。
人様の家だなんて忘れそうな程に、くつろいだ空間。

こういう状況を、人は幸せと呼ぶのかも知れないのぅ。
意味もなく悟ったようなことを考え、まろは先ほどから腹の虫が鳴いていることを桂嗣に訴えた。




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