「空中散歩も、そろそろ飽きてきたのぅ」

白薙でAngelusを見つけ、次の街に向かう途中。羅庵に抱かかえられて移動していたまろが、こんな暴言を吐いた。
「それなら急降下してみるか」
「うにょぉっ」
飛べない子供達の所為でこんな移動方法だというのに、あんまりにもな発言をしたまろに、羅庵が持つ腕を緩めた。
もう少し力を抜けばスッポリと落ちてゆきそうな感覚に、慌ててまろから羅庵の両腕にしがみ付く。
「アレ? 空中散歩は飽きたんじゃなかったか?」
「急降下は飽きる以前の問題なのら!!」
あえて揺らしながら飛んでいる羅庵。挙句に急下降ではなく一気に上昇中。ここで落ちれば、永遠の空中散歩が出来るだろう。


「仲良いのですねぇ」
まろ達の直ぐ近くに浮遊していた清瞑が、くすくすと笑った。こちらは抱えている人物に震動を与えまいと、一定の速度で移動中。
これは仲が良いのではなく、玩具にされているだけなのら!! コトの発端である己の発言を無視したまろが、視線だけで訴えようとする。
「……け、ぃしぃ……」
だがまろの思いが清瞑に伝わる前に、その腕に抱かかえられていた人物が小さな声を出した。
起きたのかと思って覗いてみれば、瞼は閉じられ規則正しい寝息が聞こえる。単なる、寝言のようだ。
「夢の中まで桂嗣一色とは……恐るべし、辰巳の愛!!」
羅庵から落とされないようにしているため、両手の空いていないまろが口だけで拍手の音を出した。


桂嗣が連れ去られてから3日目。鬱灯により傷を負った辰巳は、羅庵に治して貰っても目覚めようとはしなかった。
精神錯乱というよりも、単純に眠っているだけだからと、取りあえずそのままで次の街に向かうことに決めた。
ただ桂嗣が居ないため、辰巳は次の街までの案内人でもある清瞑に抱きかかえられている。
桂嗣一色の夢なんて、まろには悪夢以外のなにものでもないのらよ。思わず口にしかけて、どうにか飲み込む。
何故ならまろは、辰巳がどれほどに桂嗣を慕っているか知らない。


「……これで私の可愛い辰巳が起きなかったら、羅庵と桂嗣は一生許さないから」
少し離れて飛んでいた架愁が、何時の間にかすぐ横にまで来ていた。これがもし歩道なら、確実に嫌がられる並び方だ。
架愁に抱かかえられた栗杷が、子供とは思えない程に恐ろしい顔で羅庵を睨んでいる。
「え、俺の所為なの?」
すっ呆けた声の羅庵が、まろの頭の上に顎を乗せた。この姿勢が一番楽なようで、先ほどから何度もこの体勢を繰り返している。
「当ったり前でしょ!! 惚れ薬は兎も角として、相手が桂嗣だなんて一生涯不幸決定じゃない!!」
架愁の腕から身を乗り出し、ガルルルルルゥと栗杷が唸った。此処まで言われる桂嗣に、いっそ同情。

「惚れ薬、ねぇ」
そんなもん、作ったことねェけど。手を伸ばせば届きそうな位置にある雲を見つめながら、羅庵がボソリと呟いた。
「……辰巳が羅庵に治療を受けたときに飲んだ薬には、初めて見た相手に惚れる……とかっていう副作用があると聞いたのらよ?」
「確かに似てるけど、アレは一種の精神安定剤。刷り込みみたいなモンで、初めて見た相手を『自分を護る存在』に感じるんだよ」
ホラ、攻撃しに行った家に養子として迎えられるなんて、気まずくて仕方ないだろ? だから安心できる相手が必要だと思ってよ。
なんとも男前なことを言ってのけた羅庵に、まろと架愁が目を丸くした。
「なら辰巳は薬の力も借りずに、桂嗣に惚れたっていうの!? ……羅庵、腕の良い眼科を紹介して」
だがそんな男前な羅庵よりも、通常の状態で桂嗣に惚れたらしい辰巳を心配した栗杷が、今度は切羽詰った表情で羅庵を見つめた。


「俺は全てにおいて優秀な医者だけど?」
「ヤブ医者は信用しないことにしてるの」
羅庵の立候補を、瞬時に切り捨てる栗杷。なんとも将来有望なお子様である。


「……あー、所で清瞑や。まろ達はどの街に向かっておるのじゃ?」
栗杷と羅庵のじゃれ合い。どちらが勝ったとしても八つ当たりを受ける自信のあるまろは、即効で話を変えた。
思えば清瞑が案内してくれるからと着いてきただけで、何処に行くのかさえ聞いていなかった。
白薙では運良く……といえるかは判らないが、ある意味であっさりとAngelusを見つけることが出来た。
けれども又あんな大まかな場所指定では、今度も上手く探し出せるとは思えない。
どうせ到着時刻はまだまだ先だろう。聞きながら移動しても、問題はないはずだ。


「今向かっているんは、相模(さがみ)という街ですぇ」
細い釣り目が、なくなったかのような微笑み。まろの周囲にいる大人たちとは、全く異なる笑い方だ。
「……相模だと?」
一瞬だけ間を置いてから、羅庵がピタリと止まった。
「えぇ。多くの武人が育った街、相模ですぇ。今でも街の長は、武道会で決めるそうですよ」
人の良さそうな笑みの清瞑が、羅庵に合わせてその場で止まる。
「あっれぇ〜。羅庵ってば、どうかしたのぉ?」
清瞑とは全く異なる笑顔……つまりは子供が何かを企んでいる時の表情をした架愁が、すぐに羅庵の横にまで来た。
「あぁ、そういえば相模って、羅庵の出身地だったよね〜」
どうかしたの? と聞いておきながら、理由を知っているらしい架愁が、さも楽しそうに羅庵の顔を覗き込む。
なんとも大人気ない。少しは清瞑を見習って欲しいのらね。
などと考えながらも、滅多にない羅庵の弱点を探れそうな状況に、まろも口元を歪ませる。是非とも清瞑を見習うべきだろう。


「……出身地とは言っても、ちっちぇ頃にしか住んでねぇけどな」
動揺してしまったことを隠すためか、羅庵の声は何時もより少し低い。
その表情を見ようと、まろが羅庵の顎を退かして首を反らし上を見上げた。しかし見えたのは羅庵の顎だけ。
「ま、今更知り合いもいねぇだろうけど」
吐き捨てるように言って、羅庵がゆったりと動き出した。周りがからかうより先に、一人で決着をつけてしまったようだ。


「おや? 相模担当の2人は、羅庵さん等の知り合いやとお聞きしましたぇ?」
羅庵に合わせて進み出す一行。穏やかな表情のまま、清瞑が意味深なことを言った。
「確か桂嗣さんの元彼女と、羅庵さんの幼馴染やとか……」
「「桂嗣に彼女!!!???」」
「俺の幼馴染!!??」
羅庵が己のことについて叫ぶより前に、子供2人が『桂嗣さんの元彼女』の部分に絶叫した。
「け、桂嗣に彼女がいたなんて……辰巳以外にも物好きがいたのらね……」
思わず呟けば、横で架愁に抱かかえられた栗杷も頷く。
「きっとファザコンの女の子ね。だから桂嗣なんかに騙されちゃって……あぁ、もしかしたらマザコンかしら?」
可愛らしく首を傾げながら架愁に問うている目は、さり気なく本気だ。
今まで一度足りとも桂嗣に彼女がいるという話を、2人は聞いたことがなかったのだから仕方がないのかもしれないが。
流石に同情を禁じえない羅庵が、話を変えるついでに気になったことを清瞑に質問した。単なる心の準備の為かもしれないけれど。


「相模担当者の名前はなんていうんだ?」
「葉月(はづき)と如月鴛(きさらぎ えん)と言いますぅ。聞き覚えがあるでしょぅ?」
辰巳に一切の震動を与えまいとする清瞑の動きが、まろにはとても優雅に見える。
その全く逆に、敢えて揺らしているとしか思えない動きで、羅庵が急停止をした。
「如月、鴛……だと?」
「えぇ。以前全体研修でお会いしたときに、自分は記憶保持者の一人と幼馴染みたいだ。と仰ってました」
特に大したことを話してはいないような口調。まろとしては、あの大きな組織で全体研修なんてものがあったコトに驚いていたりする。


「まぁまぁ、そんな落ちこむことないって〜。久々の幼馴染とは言っても、桂嗣と比較すればマシじゃん」
本気で嫌そうな溜息をついた羅庵に、少々楽しげな様子の架愁がすぐ横にまで来た。
久々の幼馴染と元彼女。確かに桂嗣の方が面倒臭そうではあるが。
「そりゃぁ……桂嗣に比べればなぁ〜」
「ねぇ〜」
突如元気になった羅庵と元から元気な架愁が顔をくっつけてニヤニヤ笑っている所を見ると、もっと別の理由があるように思える。
しかも周囲の人間としては、気まずいよりもいっそからかって遊びたくなる感じの。


「ぬふぅ?」
話に付いて行けないまろが、首を傾げた。架愁に抱かかえられている栗杷が、肩をすくめてみせる。
取りあえず、相模に着く前に桂嗣が追いついてくれなければ遊ぶことも出来ないのに。

「あと3時間もすれば、相模には着きますぇ」
子供2人の考えを読み取ったかのように、清瞑が穏やかに微笑んだ。




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