ストン。
小さな音を立てて竜が堕ちた。


「これで7回目ですね……」
竜の記憶が映し出される場所で、桂嗣が小さく呟いた。
まろと交代してから、一体どの位の時間が経ったであろうか。コンナ記憶に負ける気なんてなかったけれど。
「このままで行くと、危険かもしれませんね」
冷静に判断するその口調は、少々震えている。
繰り返される記憶に、白薙の竜から流れ出した闇の意識に、飲まれている証拠だ。

昨晩、突然の爆音に桂嗣は目を覚ました。というよりも、懐かしい気配に気がついたから。
そして向かった森の中。倒れていたまろには、闇の意識が入り込んでいて。
『私の中に取り込みます』
宿の部屋。まろをこのままにしておけないという話の中で、桂嗣はベットに眠るまろの夢を弄り、闇の意識を自分の中に入れた。
無理に追い出されたソレは、すぐに一番弱い者を探してソコに入る。脆い記憶を探れば、己を餌に見立てるのは簡単だったから。


***


『天眠〜っ!!!』

8度目の映像の始まり。
リグル、ではない呼び名に、桂嗣はビクリと震えた。
前方に広がった映像には、見慣れた3人の顔が映し出されている。


穏やかな時の、大切な人々との記憶。その中にあった影が広がり、世界を朱に染めた。


『……き、ぼく』
突如全面に広がったのは、血に染まった洞窟の中。
足の踏み場もないほどに敷き詰まっているのは、天使の骸。

あれは天と地に亀裂が入り、海堵達とも逸れて一人彷徨い歩いた日のコト。
痛いほどの祈朴の気を感じ、久々に会える仲間に心躍らせたのに。

『やぁ、久しぶりだね。天眠』
虚ろに微笑む祈朴。その姿は、まるで似合わない朱色に染まっている。
頭も、頬も、手も、洋服も、真っ白だった翼さえもがアカクアカク。
『秋花がね、死んじゃったんだ。僕を庇って、天使の攻撃を受けて』
なんの感情も読み取れない声で、祈朴が呟いた。
祈朴の足元に横たわる女性は、右半身が抉り取られ永遠の眠りについている。
『僕は、少しでも生きていて欲しかったのに。護ってもらいたかった訳じゃないのに』
祈朴の独白。そう、これは天眠に話しているのではなく、単なる独り言。

アノ痛いほどの祈朴の気は、秋花を殺した天使達を惨殺した時のものだろう。
ふいに、天眠がそう思った……コトを桂嗣は思い出した。

『ふはっ……』
祈朴が、壊れたように笑い出した。嬌声にさえ聴こえる甲高い音が、洞窟内に響く。
祈朴が秋花の横に落ちていたナイフ……多分、秋花が護身用に持っていたものだろう、を手に取った。
その間も、耳鳴りに変わりそうな祈朴の笑い声が洞窟内を覆っている。
ナイフをじっと見つめる祈朴が、その視線を天眠の方へと変えた。柔らかな、微笑み。そして。

『最後に会えて良かった。……バイバイ』
映像の全面に血飛沫が舞った。
上手く動脈を切れたのだろう。祈朴の首から、鮮やかに溢れ出す朱。

立ち尽くす己。そして映像が崩れ、新たな映像が広がる。



『天眠、悪ぃ』
アイツとの約束を護るには、闇に堕ちれねぇから。ちょっと、コロシテくれないか?
映し出された海堵の口から漏れたのは、あまりに残酷な願い事。

『……貴方をコロシタことで、私が闇に堕ちるとは考えないのデスカ?』
『お前は大丈夫だよ。そんなに弱くねぇもん』

あっけらかんとした口調。

せっかく見つけたのに、貴方も逝ってしまうのですか?
死んで欲しくない。殺したくないというのに。
……なんて、言えるはずもなくて。

天眠にコロサレタ海堵の笑顔は、あまりに綺麗だった。
……また、置いていかれたのだ。



『優しい、祖父でした』
天と地の亀裂が、ようやく塞がり始めた頃。
やっと見つけた地補は、墓の中だった。
『人間の祖母と年を取りたいと、自分で翼を引きちぎったそうです』
穏やかな目で墓を見ている青年は、地補の面影を薄っすらと残している。

翼を切ったからといって、本当に人間になれたとは思わない。
それでも、愛する人と同じスピードで老いて死んでいったのは事実。
きっと、地補らしく幸せに生きたのだろう。孫である青年の顔を見れば判る。



あぁ、マタだ。また取り残されてしまった。
皆が皆、大切な者とその想いの為に逝ってしまったというのに。
……自分がどうやって死んだかなんて、覚えてもいない。



例え生まれ変わったとしても、過去に強い執念を残した者は、過去の傷を現在にまで残すから。
天眠の記憶は、途切れ途切れに桂嗣の記憶に入り込んでいく。



「……っ」
桂嗣が、小さな嗚咽を漏らした。
直視したくない記憶を見せ付けられたその目は、ゆっくりとイロをなくし始めている。
おいていかれた。
ただそれだけの恐怖が、悲しみが、桂嗣の唇をカタカタと震わせている。

「さ、すがに……困りましたね」
上手く動かない口をどうにか動かし、桂嗣が声を作った。
そうしなければ、今にも堕ちてゆきそうで。

実のところ、桂嗣はこんな状況にまで来たことはなかった。
だから見ている映像が、コロシタ相手の記憶だけを映すのではない、ということを知らなかったのだ。


地補の孫との会話から、また映像が変わる。


「……まだまだ、続きがあるというコトですが……」
気がつかないうちに、口元だけで笑みを作る桂嗣。

そして感覚を無くし始めた両手で、顔全体を覆い隠そうとして、その手前でどうにか止めた。
流れ出す映像から目を背ければ、一気に堕ちてしまうことは知っていたから。

「……あぁ、次の記憶が始まりましたね」
微かに呟き、自分を苦しめるであろう新たなる映像を、じっと見つめた。




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