瞼の向こうから、光が差し込む。
暗い場所に慣れていた目を、思わず腕で隠す。

「あ、まろが起きたわよ!」
すぐ側で、栗杷の声がした。遠くからダレカの走って来る足音。
今までいた場所とは違うコトに気がつき、まろはゆっくりと目を開けた。

「……よぉ、やっとお目覚めかい?」
まろの顔を覗き込んでいたらしい羅庵が、クシャリとまろの前髪を撫でた。
その奥に見えるのは、何度か見た天井。
「……まろ、宿に戻ったのらか……?」
半分閉じかけた眼で辺りを見回す。そっと上半身を起こすと、少しだけ背中が痛んだ。
「あぁ、まろ様ってば森で寝こけてただろ?だから宿のベットにまで移してやったんだよ」
有り難く思えよ。という羅庵は少しほっとしたような表情を作っている。

「まろ、水持ってきてやったわよ」
突然まろの前に、冷えた硝子グラスが差し出された。見れば栗杷が口元を強く結び、まろの方を睨んでいる。
目を閉じている時は近くで声がしたのに、目覚めたらいなかった理由は水を取りに行っていたからのようだ。
まろ、別に二日酔いなのではないのらよ。
頭の中で考えて、自分で小さく笑い、ありがとうと栗杷に言う。
そして硝子グラスを受け取ろうとした所で、自分の右手がナニかを掴んでいるコトに気がついた。
「……ぬ?」
そっと右手を開く。すると中には、真っ黒に輝く石があった。
「はて、これは一体……」



<―――― 俺のイシ……Angelus >



これは何なのら? と疑問を出す前に、まろの頭の奥から不思議な声が響いた。
不思議? いや違う。今では聞き覚えのある声。海堵の、声だ。
一瞬にして先ほどまで見ていた、目が覚める前の場所で見ていた映像を思い出す。
あの、朱色に染まった惨劇。


「まろ、水いらないの?」
一度は受け取ろうとしたくせに、何故かその前で不審な行動を起こしたまろを栗杷が呼んだ。
その口元はやはり強く結ばれており、力を込めすぎた目はまろを睨みつけている。まるで、今にも泣きそうな表情。
「も、勿論頂くのらよっ」
栗杷の思わぬ顔に、一瞬にして意識を取り戻したまろ。
右手にあったイシをポケットに片付け、慌てて硝子グラスを受け取った。
口に含むと、思っていた以上に喉が渇いていたのか、水は直ぐにまろの体内に消えていく。
頭全体を覆った『竜の記憶』から、少しだけ離れられたような。
そんな風に感じたまろは、水を全て飲み干し、少しだけ目を閉じた。

「のぅ、梨亜ちゃんはどうしたのら……?」
溜息というべきか、それとも嗚咽か。ゆっくりとまろは目を開けた。
虚ろな表情の己が、空のグラスに映る。水滴が、ソレを歪ませた。

「昨日、僕達が森に着いた時には亡くなっていたよ」
栗杷の後ろにいたらしい架愁が、ベットの淵にと座った。
「まろ様が宿を抜け出したなんて、あの爆発音がなければ気が付かなかった」
また凄い大技を出したんだねぇ、と惚けた表情で微笑む。
誰もまろを問い詰め様とはしない。聞かなくとも、判っているのかもしれない。
白薙の竜が梨亜を殺し、その白薙の竜をまろが壊したこと位は。

「竜は、きっと梨亜ちゃんのお友達だったのら」
少しの沈黙の後で、まろは少しずつ話を始めた。

梨亜は竜の夢を見ていた。その夢が終わった時に白薙の竜が目覚め、街の子供達を襲った。
梨亜は己を責めていた。昨晩一人で出掛けたのは、夢の竜が白薙の竜かを確かめるためだったのだろう。
そして確信した。白薙の竜が、遠い昔の友人であることを。だから死ぬ間際に言った。『竜を傷付けないで』と。
なのにまろの身体は勝手に凶器を作り出し、竜を壊してしまった。壊したくは、なかったのに。
壊れた竜から黒い靄が溢れ出し、まろを包むと意識が飛んだ。次に目覚めると不思議な場所に居た。
突然全面に広がった映像には、梨亜に良く似た少女と、白薙の竜を幼くしたような竜が延々と映し出され。
戦いが始まり、天が赤く染まり、少女が傷つき。ダレか、に少女が殺された瞬間に、竜が堕ちた。

まろの長い話が終わると、栗杷はもう一杯水を入れてくるわ、と立ち上がった。
目が潤んでいることに気がつき、架愁がその後について行く。
どうも鶴亀家で働く大人達は、子供の涙に弱いらしい。
まろも泣いてはいないのだが、羅庵に三分ほど頭を撫でられ続けた。


***


ドルゥン!!


羅庵に頭を撫でられながらウトウトとし始めていたまろの耳に、突如大きな爆発音が聞こえた。
「ぬぉ!?」
思わず間抜けな声を出す。直ぐに羅庵がまろを小脇に抱えて立ち上がり、隣の部屋へと向かった。


「どうし……っ」
部屋の扉を開けた羅庵は、最後『た』の言葉を飲み込んで驚きの表情を作った。
羅庵の脇の下で暴れていたまろも、同様に驚きの表情を作る。
「あぁ、ちょうど良かったですよ。すいませんが、このゴミを退かしてくれません?」
「……鬱灯。何してるんだ?」
そう、まろの隣室で爆音を立てたのは鬱灯だった。しかも何故か肩に桂嗣を抱え、窓から出て行こうとする姿。
「桂嗣が竜の意識に飲まれそうだったので、巽の所に連れて行こうと思いまして」
まだ闇に堕ちて貰うわけにはいかないですからね。と、さも当然のように話す鬱灯。
一言皆に知らせていく、という考えはないようだ。

「嫌だよ、桂嗣を連れて行かないでよぉ!!!」
急に鬱灯の足元にくっつき、先ほど『ゴミ』扱いされた黒ずみが動いた。
「煩いんですよ」
ちらりと黒ずみを一瞥した鬱灯が、またも爆音を立ててソレを攻撃する。鬱灯の表情は、特には見えない。

「辰巳!!」
どうにか羅庵の腕から逃れたまろが、その黒ずみに走り寄った。
パタパタと黒いススを払ってやると、見覚えのある少年が意識を失って倒れている。
「なんで、こんなコトを……」
最後までは言わずに、鬱灯と視線を合わせる。
「出来そこないのクセに、桂嗣に触るなぁ!……なんて言うからですよ」
口元だけを歪ませた、嫌な笑み。背筋がぞっとする、向けられた己が思わず停止してしまうような。

「そんな顔をしなくても、意識さえ戻れば返してあげますよ。意識さえ戻れば、ねぇ」
蛇に睨まれたかえるの如く、動けなくなっていたまろに、鬱灯が意味深な言葉を吐いた。
そして桂嗣を肩に抱えたまま、窓から飛び降りる。
「待つのら!!」
慌てて窓の下を覗くが、もうソコには誰の姿もなく。扉の方を振り返れば、羅庵がヤレヤレ、という顔をしていた。

連れて行かれたものは仕方がない。
それに鬱灯は桂嗣を攻撃する為に連れて行ったわけではなさそうだし。

「まずは、辰巳の手当てをするのら……」
現実逃避も軽く混ぜた声で、まろがそう言った。




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