「いいですよ」
「えっ!!!」

あまりにあっさりと承諾を得てしまったまろは、驚きの声をあげた。
『Angelus』なんて訳の判らないものを探しに行くなんて、絶対に反対されると思っていたのに。
「桂嗣、熱でもあるのらか……?」
思わず真顔で問い、桂嗣のおでこを触った。
うん、熱はなさそうなのらね。ならこの桂嗣が偽物だとか……?
そっと桂嗣の両頬に手を伸ばし、左右へと引っ張る。

「……まろ様」
偽物ならマスクが取れるはずだと考えたまろにより、両頬を目一杯つねられた桂嗣は、
山積みの洗濯を畳んでいる手を止めて、逆にまろの両頬をつねり左右にうぃにょんと伸ばした。
「脈絡もなく人の頬をつねるのは、良いことではありませんよ」
そしてニッコリ笑顔で、まろを窘める。けれどまろは手を離すことはせずに
「だってこの桂嗣は偽物なのら。だからこれは失礼なことではない!!」
と意味不明な解釈でもって、更に桂嗣の両頬を左右に強く引っ張った。


無言で互いの頬をつねりあって、早数分。


「あぁぁぁ!!まろ、何してるのぉ!!!」
洗濯物の横で正座している桂嗣と、その目の前で中腰をしているまろの間に一人の少年が割り込んできた。
「け、け、桂嗣の珠のお肌に何てことぉ〜っ!!」
未だに桂嗣の頬から手を離そうとしないまろの腕を掴み、その手をガブリと噛む。
「ったぁいのらっ」
容赦なく噛まれた所為でか、まろはすぐさま桂嗣の頬から手を離した。

「にょぉぉ。歯形が付いておるのだ〜」
半泣きの顔で、赤く歯形の付いた右手を擦る。しかしまろの手を噛んだ本人は、
「桂嗣の頬が赤くなっちゃってるぅぅっ。早く消毒しなきゃっ」
まろのことなどどうでも良いようで、桂嗣の赤くなっている頬を見て悲鳴をあげている。
とはいっても薄っすらと赤くなっているだけで、消毒なんて全く必要なさそうなのだが。

「……ちょっとした冗談だったのらに……」
恨めそうな表情で桂嗣の顔を見る。勿論桂嗣もそのつもりだったようで、小さな苦笑を零した。
「辰巳様。大丈夫ですから、心配なさらないで下さい」
そして抱きついて離れようとしない辰巳を、どうにか引き剥がす。


「それで、いつから行かれるんですか?」
又も山になった洗濯物を畳み始めた桂嗣が、サラリと話を元に戻した。
辰巳が滑り込むようにして来た時に、先に畳んでおいた洗濯物を崩してしまったようだ。
「ん、何がじゃ?」
小さなタオルを手に取り、手伝う振りをしながら、まろが呆けたように返す。
ちなみにまろより幼い辰巳は、せっせと桂嗣の隣で己が崩してしまった洗濯物の山を直しているが。
「Angelusを探しに行かれるんでしょう?私も付き添いますので、早めに予定を立てておいて下さいね」
「え!!桂嗣、まろと二人で遊びに良くの!???やだぁ、僕も行くぃ〜!!」
桂嗣の言葉に何か間違えたことを思ったらしい辰巳が、手に持っていた洗濯物をビリッと破いた。
「それ、まろのお気に入りの洋服っ……」
「あ、ゴメンっ…」
無残にも真っ二つになったシャツ。申し訳なさそうな顔の辰巳が、そっとまろの手に渡してくる。
「……うむ」
文句を言ったところで服が元通りになるわけでもないので、そこは大人しく受け取っておいた。
泣きそうな表情の辰巳。桂嗣は何も言わず、苦笑している。


「それなら、辰巳も一緒に来るのらか?」
少し考えてからの、まろの提案。辰巳の顔がパッと明るくなった。
「僕も行っていいの!?」
「まろは構わないのらよ。桂嗣も文句ないのらよね?」
「えぇ。私は付き添いですからね、まろ様に任せます」
「ありがとう、桂嗣!!!」
優し気に微笑む桂嗣に、抱きつく辰巳。
……てかソコはまろにお礼を言うべきではないのらか……?
軽く疑問に思いつつも、そこは口には出さずに終えておく。


「細かなコトは、また後で来た時に話すと遊汰が言っておった。予定を決めるのはその後にするのら」
破れた『お気に入りの洋服』をピリピリと細切れに切るように手元で遊ばせながら、まろがそう言った。
「遊汰……久々に聞いた名前ですね。良いですよ、判りました」
今度こそ抱きついて離れない辰巳の頭を撫でながら、桂嗣がニッコリと笑う。
洗濯物の山は、気がつけばもう綺麗な状態に畳まれている。
恐るべし、教育者桂嗣。又の名を家政扶桂嗣……!!
などと下らないことを考えながら、まろは一応手伝いしている風に見せるため、
綺麗に畳まれたタオルを脱衣所にまで持っていこうと、子供のクセに重たい腰をどうにか上げた。

で。
「そういえば、何でそう簡単にも了承したのら?」
高く積み上げられたタオルをよろけながらも全て持ち上げたまろが、ふと思いついたように桂嗣に尋ねた。
先ほどはあまりに驚いた所為で、桂嗣の頬を摘むという荒行に出てしまったが、此処は聞いておく必要がある。
そう思い、桂嗣の顔を見れば。
「私が反対しないのは可笑しいですか?」
はぐらかすような口調の桂嗣がニッコリと笑いながら答えた。
大人に囲まれて育った子供には気づいてしまう、大人の逃げようとする声色に。
「うむ。訳の判らない物を探しに行くなんて、いつもの桂嗣なら絶対に反対する。そうしないのは、何か理由があるからなのら」
残念ながら気づかない振りを出来るほど優しくないまろは、ドキッパリとそう言い切った。
桂嗣の眉が少しだけ寄る。困ったような笑顔。
話に付いていけない辰巳は、ただまろと桂嗣の顔を交互に見ている。

そして少し間を置いた後で、桂嗣が口を開いた。
「まろ様が生まれるずっと昔のことなんですが、私の友人に稜という青年がいましてね」
「知っておるぞ。稜は海堵の記憶保持者で、まろの先祖であろう」
「……知っていたんですか」
「うむ。今朝羅庵に聞いたのら」
「そう…ですか」

まろに判りやすく説明しようとしていたらしい桂嗣は、『それなら話は早いですね…』と続け。
「稜も、ナニかを探していたんですよ。海堵の記憶に纏わるナニかを。私はソレに興味があるんです」
まろと視線を合わせた状態で、そう答えた。
だがその視線は、まろというよりもまろを通して他の誰かを見ているような……。

「桂嗣は稜がナニを探していたのかは知らぬのか?」
「えぇ。何度か尋ねたことはあるんですがね、答えては貰えませんでしたし。手伝いたいと、思っていたんですけど……」
まろを見ながら、ニッコリ笑顔の桂嗣が答える。
だがの笑顔が少し自嘲のようにも感じたまろは、そっと桂嗣から目線を外した。

桂嗣の目線の先にいるのは己の筈なのに、全く無視されているような感覚。

不思議な違和感を覚え、だがこれ以上尋ねた所で理解できそうな気も起こらないまろは、
取り合えずその場を後にし、両腕に持ち上げたタオルを片付けるために脱衣所へと向かった。




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