白馬の微笑
03


――冬、といえばやはり鍋だろう。

そう日本人らしいことを考えるのは川西も吉浦も同じらしく、久し振りに会った吉浦はやけに楽しそうな面持ちだった。
「よぉ」
片手を挙げてみせる吉浦は、駅前の雑踏の中でも一際目立っていた。この間は気持ち悪かったからよく覚えていなかったが、やはり結構な長身だ。ただ背が高いだけじゃなく筋肉もついているのだろう、妙な存在感がある。
ぺこ、と小さく頭を下げて近づくと、吉浦はじいっと川西の顔を見詰めた後、
「よし、クマは消えてるな」と満足げに呟いた。
「し、仕事はまだ企画段階だから」
川西が言い訳のように返すと、吉浦は歩き出しながら、ふぅむ、と片眉をあげた。
「成る程、だから今日はスーツなのか」
「あ、ああ、まぁ…」
コートの下のシャツとネクタイを一瞥だけで気付かれてしまって、川西は今更のようにネクタイに手をかけた。

今日は会議があったのだ。技術屋は決定事項の枠組みの中でどれだけ成果をあげられるか、という事にだけ気を配ってればいいのだと思っている川西としては息が詰まるものでしかなかった。だが、他の連中にはそれぞれ言い分があったようで、それを聞きながらいかに寝ずに過ごすか、というのが川西の会議の論点だった。
川西が会議を嫌いなのは、自分から意見をいわなければならないという点のほかにも、服装という問題があった。普段のカジュアルコードではなく、一応でもスーツを着なくてはならないのが堅苦しくてたまらなかったのだ。

――ただ、な

今日ばかりは何の変哲もないグレースーツでも、着てきてよかったかもしれない、と少しだけ思った。スーツが普段着のように違和感なく似合っている吉浦の横で、変な私服を着ているのも妙だろうと思うからだ。
吉浦が川西のスーツ姿をどう見たのかは解らないが、彼は口の端だけをくいっとあげて笑った。その仕草がまた変に気障ったらしくて、川西は吉浦からは見えないように赤くなった顔を背けた。
元々、青白い肌をしているから、大したことじゃなくても顔色が変わるのを気付かれてしまうのだ。
「ここの8階にあってな」
幸いなことに今回は人ごみのおかげか気付かれなかったらしく、吉浦はなんら変わりないトーンで川西をエレベーターに乗せた。
いつもは大嫌いな人ごみに、川西は内心感謝した。



エレベーターが到着した階は、ビルの一角とは思えないほどきちんとしたつくりの店だった。漆のような濡れた黒を基調とした店内は静かに賑わっているようで、遠くから誰かの笑い声が聞こえてくる。
「…ぅわ…」
またもや自分とは違いすぎる世界を見てしまった気がして、思わず小声がもれた。
「どうした?」
流石にその声には気付いたようで、吉浦は心配そうに顔を向けてくる。
「…べ、別に」
「平気か?」
「ああ」
別に具合が悪いわけではなかったからそういって、川西は吉浦の後をついて一部屋一部屋が座敷になっている店内を歩き始めた。
通された部屋は広くはなかったが男2人には充分なスペースで、もうコースも頼んであるのか、店員が飲み物だけを聞いてきた。
ビールを頼む吉浦に続き、川西も同じものを頼む。吉浦が若干驚いたようにこっちを見てきたが、今日くらいは付き合ってやらないと駄目だろうと思ったのだ、一杯くらいなら問題ないだろう。
準備されていた鍋から湯気が立ち上ってきたあたりでビールが運ばれてくる。声を掛けてから障子を開けるシステムはなかなかいいな、と思った。普通の居酒屋とは違って、一寸込み入った話もできそうだ。

――今日は、頑張って楽しむか。

楽しむに頑張るも何もないはずなのだが、そう思って川西は重いジョッキで乾杯をした。



鍋は、地鶏の鍋とつみれ等の魚介の鍋との二種類があり、辛いものが苦手な川西にはとても嬉しいものだった。
実家に帰りでもしなければありつけないだろう沢山の具と格闘していると、不意に吉浦の視線がこっちを向いていることに気付く。
ふ、と顔をあげれば、バツが悪そうに片眉があげられた。
「…な、何か」
「いや。…あんた、髪切らないのか?」
珍しく――といっても会ってまだ二回目だが――歯切れ悪く言う吉浦に、は?と川西は首を傾げた。
「あ、あぁ、時間がなくて」
「そうか」
確かに川西の髪は普通の社会人としてはうざったい方かもしれない。後ろ髪は長くはないのだが、前髪はとてもじゃないがさわやかとは言いがたかった。
時間がない、と言い訳をしてみたものの、それ以前に川西は床屋や美容院というのが嫌いだった。人に頭を触れることが根本的に駄目なのである。だから最近は、なんとかして誤魔化そうと横にそれとなく流している。もう少し伸びれば、完全に一般論的なオタクになってしまうから、その前には切らなければ、とは思っているのだが。
「切った方が顔が明るく見えるだろ」
「そりゃ、そうだけど」
「顔色が余計悪く見えるぜ」
言いながら吉浦はつみれを豪快にとった。あっさりとしただし醤油にもみじおろしを入れて食べるその様は、服が服なら侍のようにも見えた。

――義理人情に厚くて、気風も良い、眼光鋭い侍。

言いえて妙だ、と一人川西は頷いた。ん?と怪訝そうな顔をする吉浦に、愛想笑いを浮かべるようにしながら頷いたのを誤魔化すように眼鏡を拭いた。
「…眼鏡も、なあ」
「…なんだよ」
一応パソコン用と外出用とで分けている眼鏡をじぃっと見られるといたたまれなくなる。川西は吉浦から視線を外すと、白身魚を軽く鍋に梳いてからレモン醤油で食べた。
「あんた、素材は悪くないのにもったいなさ過ぎると思ってな」
「は…?」

――そ、素材だって?

全く何て意外なことをいってのけるのだろう、と思わずまじまじ見詰めてしまう。しかし目の前の男はいたって真面目だったらしく、逆に川西のその態度に驚いていた。
「な、何だよそんなに驚きやがって」
「…だ、だって…」
そんなこと生まれてこのかた言われたことがなかった。冗談交じりに職場で『新年会で女装するなら川西ちゃんじゃない?』とか女子社員に言われたことがあったが、それは単純に川西が若かったからだろうと推測している。
「髪型変えて、眼鏡変えて、服も変えればもてるだろ」
「そんな…」
「なんだ、そんなにもてたくないのか、あんた。珍しいな」
「い、いや…」
言いよどむ川西をしばらく見ていた吉浦だが、これ以上聞き出すのは流石に遠慮してくれたのか、ふぅん、と首を鳴らしてその話はそこで終わりになってしまった。

こんなデキる男に、素材はいい、と言われて。
――嬉しくないわけがない、が
手放しで喜べるほど、川西は素直じゃない。
素材はいい、ということは、すなわちその素材を今の自分は全て壊しているということになる。別に自分の外見をアピールするような服装なんて今の今まで一度だってしてこなかったが、かといって自分の服のセンスとかが駄目だ、と言われると流石に堪えるものがあった。

「ま、なんだ。俺は別に今のあんたのままで充分いいとは思うがな」
「え…」
いつの間にか手に持っているものがビールから日本酒へ変わっていた吉浦は、透明な液体をぐっと飲み干してからそんなことを口にした。
外見の話なんて本当に免疫のない川西にしては、そこで話が終わってくれるならばそれ以上のことはない、とばかりに「ありがとう」といって小さく頭を下げた。
「俺は、思ってること言ってるだけだぜ。そんな改まられても肩が凝るな」
「あ、ああ」
「謝罪文句とかは仕事でうんざりするほど聞いてるからな。なるべくそういうのはナシにしよう」
「…そう、だな」
謝罪文句ならば川西だって仕事で聞いている。この営業だってなんだってこなせそうな男にも、そういうのを聞かなければならない時があるのかと思うと、少し浮上できた気がした。

そして、鍋の後の雑炊も美味しく頂いて、二人は店を後にした。





「また一緒に飯食おうぜ。あんたとだと結構楽しく食える」
沢山の人が行きかう駅前で、吉浦はそう言って川西の肩を叩いた。
特別何を話すでもなく鍋を囲んでいたのに、また随分といい言葉をくれて、川西は言葉に詰まった。
確かに吉浦となら、今まで行ったこともない店に行って美味いものにありつけるだろう、と思う。
だが、それだけの為にこの男と友好関係を築き上げるというのも嫌だった。
自分とあまりにも違うタイプの人間と一緒に行動するのは、今回は平気だったが次回からはストレスになりそうな気がする。
自分が変わればいいのかもしれない、ということは重々解っているのだが、臆病な自分には何もできない。
「…川西?」
「あ、ああ。でも、忙しいだろう」
「何いってんだ、別に時間外ならそんな忙しいって訳でもない」
あっけらかんと言って笑ってみせる吉浦を、川西は軽く見上げる。そんな風にいうと本当に大丈夫な気がしてくるのだから不思議だ。
「また連絡する。駄目ならきっちり断ってくれや、今日はいきなりですまなかった」
「い、いや…こちらこそ、ごちそうさま」
割り勘にしようと思ったのだが、結局吉浦の方が多く食べたからとか言われて3分の1くらいしか払っていない。収入に見合った支出といえば聞こえはいいのかもしれないが、それでも何となくしこりは残る。女ではないのだから、きちんと割り勘で何も問題はないのだ、と思ってしまう。

――ていうか、こいつくらいだったら女だって選り取りみどりってもんだろ。

何が楽しくて川西と一緒に食事をしてくれるのか、その真意をわかりかねながら、ややきついが端正な顔を眺めつつ別れの挨拶を述べる。酷く感情がこもっていなかったのは向うにはお見通しだろうが、そんな程度で言い直しするほど川西の口は臨機応変ではない。

――今度、会うときがあったら聞いてみるか。


自分から問う初めの質問が、女関係だなんて俗っぽすぎると思いながら、白い息を吐く。
駅前でぼんやりと立ちながら、川西は人ごみの中でも中々姿の消えない吉浦の後姿を、ずっと眺めていた。