チャイルドバードの声
07



「登己ったらどうしたの?顔真っ赤じゃない」

迎えに来た母親と店を後にして直にそんな事を言われ、登己は耳まで真っ赤に染めた。



「………」
「もしかして飲み過ぎちゃった?いやねぇ、貴くんには飲ませすぎないでってお願いしてるのに」
貴くんとは言わずもがな冷清水のことだ。
登己は黙って首をぶんぶんと横に振った。

酒はあのカクテル一杯しか飲んでいない。
だが充分な酩酊感があった。ふわふわするが、心臓だけがその存在を誇張するかのように脈打っているのが解る。

そんな状態を気づかれたくなくて、登己は自分から口を開いた。
「迎えに来なくてもよかったのに」
「あらそう?だって心配じゃない」
「歩いて10分ないじゃん、ここまで」
「もう巣立ちの時期かしら…」
大げさに溜息をつく母親に、登己も重ねて更に大きな溜息をついた。
「ごめん、迎え有難う」
「いいえ〜」
母親はコロコロと笑うと、すぐそこに見えていた自宅の門を開けた。

正直な所、迎えに来てくれて良かったという気持ちと、もう少しあそこに居たかったという気持ちがあった。
それは紛れもなくあの男、歓人の所為で、登己は部屋に戻るなりパソコンの電源を入れて、楽曲検索を開始した。

登己の部屋は二階の半分近くを占める、2部屋が繋がったゲストルームを丸々使っている。一部屋は寝室と趣味用のパソコンや本の置き場になっていて、もう一部屋が仕事場だ。ちなみに廊下から入って直の方の部屋を仕事場にしている。業者が入ってくるときに自分のプライベートルームを見られないようにしよう、との計らいだ。更に奥には小さいシャワールームもあるのだが、そこはよっぽど切羽詰った時じゃなきゃ使わないようにしている。
多趣味な父親のおかげで、登己の仕事場は普通の住宅とは思えない程プロ仕様になっている。CDを出すようになってから入ってきた金で、機材を自由にカスタマイズできるようになったのも大きい。勿論ボーカルやコーラスを録る時は別のスタジオを借りるのだが、そういう場合は海外のスタジオでウェブカメラと国際電話、チャットを用いてチェックをするだけで、向うから登己の顔や声はチェックできない仕様になっている。

今登己が使っているパソコンは、そういった機能の一切入っていない、趣味専用の普通のものだった。

「えーと、Sober Dragon…」
オフィシャルウェブサイトと、ネットショップのウィンドウを同時に表示する。バンドについて調べながら、そのバンドの曲のダウンロードを開始させた。
間もなくダウンロードできた最新アルバムの曲を再生させながら、バンドのメンバーや簡単なプロフィール、ライブ情報等をスクロールして見ていく。
――歓人を連れてきたのは、この人か。
店を出る時に見かけたのと同じような髪型をしている人を発見して、その人にカーソルを合わせた。その人はボーカルのフウという名前で、バンド結成の中心人物とされている。その割に秘密が多そうな笑顔を浮かべるのが、何だか年齢不詳なイメージを抱かせて登己は好きになれなかった。
――まぁ貴文さんの知り合いだっつーから、ちょっとおかしい人だろうとは思うけどな。
そう片付けて、他のメンバーをパパっと見た後、最後に歓人のプロフィールを見る。

「げ」

思わず声が出てしまったのは、生年月日を見た瞬間だ。
――1つ下じゃんか。
生まれ年こそ同じものの、10ヶ月近くも誕生日が違っていて、やるせなさが体中を覆う。自分の身長について考えるのはもう諦めたはずなのだが、年下で自分よりはるかにガタイの良い人間を見るのはやはり気がひけた。
――まぁ、ちょっとはそれっぽい雰囲気もあったけどさ。
名前を褒めた時に見せたあの笑顔を思い出して、登己はふっと口元が緩む。
尚志とはまた違ったタイプの笑顔だ。自然な笑顔を自然に出せる。
そういう事が出来るのは、自分に自信のある人なのだと登己は知っていた。

自分に自信のある、それでいて、嫌味のない人間。
――そりゃ人気も出て当然だろ。

オフィシャルサイトからファンサイトをサーフしながら、登己はそんな事を思う。どうやら男女問わず人気を持っているのは譜生と歓人の2人で、どちらかというと譜生の方がコアなファンが多いらしかった。つまり、普遍的な人気、つまり好意をもたれやすいのは歓人、という事になる。
登己は溜息をついた。


――…圧倒的だもんな、こいつ。


彼のバックグラウンドを、非常に熱狂的なファンのサイトで知る。これが全部本当だとは信じないが、隠し事をしなさそうな歓人のことだ、大体の事は当たっているのだろう。
固有名詞こそ出ていないものの、名門大学に幼稚舎から入学、現在大学2年在籍。父親は化粧品会社の重役(その繋がりでCMに出ているらしい。という事は自然とその化粧品会社はわかるという事か)、母親はあの歌手の百瀬真朝。

完全に恵まれた環境の中、当然に生まれ出たスター。

サイトにはそんな事が書かれていた。
あながち間違いでもないと思う。完全に、というフレーズはどういう意味での完全なのか計りかねたが、恵まれた環境だからこそ生まれる自信やオーラ、というのが初対面のあの短い間でも感じられた。大体自らを隠そうとせず、それでいて輝きばかりが見える人間と言うのは普通じゃないのだ。
そんな凄い人物が来るだなんて、冷清水の人脈は一体どこまで広がっているのだろう、と不思議でならない。

ギシっと椅子の背に強く凭れて、天井を見上げてついさっきの事を思い出す。
「―――…あ゛〜〜…」
普段なら、ちょっと酔った程度で曲の飾り付けをするのがいつもの登己の夜の過ごし方だ。そっちの方が染込むような音を作れるという事に、最近気が付いた。
それなのに、今日は一向に作業へと意識が向かない。
両膝を椅子の上で立てて、ぐるりと一回転する。酷く子供っぽい行動だったが、自分以外誰一人いない空間ではこんな事をしても誰も咎める人はいない。
「…駄目だな、今日は」
口にすると、余計駄目な気がする。
言霊の力か、とさっきSober Dragonのサイトを見ていて目に入ってきた言葉を思い出したら、何だか笑えてきた。


本当に、なんて奴と出会ってしまったのだろう。


あんな人種に会ったのは初めてだった。
冷清水とはまた違う、生まれながらに備わった輝きを持つ人間。
心臓を掴まれてジンジンしたのに、それ以上踏み込みたくなってしまった初めての人間。



――来週にはデモ版をアルバートに送りたかったのに。

小学校からの付き合いで今ではマネージャーのイギリス人に申し訳なく思いながら、今日は何もしない事を決めて、登己はシャワーを浴びようとパソコンの電源を切った。












「え、来週の火曜?特に用事は無いけど…講義もないし」
登己の、火曜日は空いているか、という唐突な質問に、尚志はそう答えた。
いつもの昼。いつもの大学で、いつも通り人のまばらなラウンジで昼食をとっている。
「そうか……」
「何、どっか行こうとか?」
「行くには行く、んだけどな。迷ってて、凄く」
言いながらサンドウィッチを頬張る登己に、尚志は首を傾げた。
「珍しい、登己がそんな歯切れ悪く物を言うなんて」
「俺だって迷いがある時位はそうなるっつの。あー…」
「火曜、何かあるの?」

「………………レコード会社」
「へ?」
「に、行こうかどうしようか、迷ってる」

アイスティーの入ったペットボトルを一気に数口飲んでから、登己は思いっきり視線を尚志から外して言った。
「…………え」
「……………何だよ」
「え、え、登己そういう所に顔とか出さないって言ってたよね、こないだ」
「いや…驚きは…ごもっともで…」
どんどん歯切れの悪くなる登己の言葉に何かを読み取ったらしい尚志は、うーん、と唸るような声を小さく出した。
「えぇと、そんなに大事な用がある訳?それって」
「…全っ然」

今までありとあらゆる方法で顔を出す事を交渉された登己だったが、それに応じた事は一度も無い。アルバムでも、少しでも自分を彷彿とさせるイメージは出した事がなかった。
だからこそ登己は今までどこかで囲まれたり、人からの歓声を浴びなくても済む人生を送ることができたのだ。
――だが、今回は。

「別のブースで盗み聞きしようかなーっと企んでて。普通の会議とか交渉だったら全部チャットか電話…つってもマネージャー通してだけどな…でやってたから、いきなり本人ですっつーのも信憑性ないだろうし」
「いや、登己だったらバッチリある気もするけど」
「そうかぁ?ま、どっちにしたって会社見学の振りして潜り込もうと思ってるんだけど……」
そこで一旦言葉を区切った登己に、尚志は「ん?」と怪訝そうな顔をする。
「一緒に行ってもらえないかと思って」
「あ〜…………」
ラウンジの天井を仰いだ尚志は、しばらく考えている様だった。
当然だ、中々ない平日の休みに、予定が無いほうが珍しい。
駄目だったら一人で行こう、そう思って溜息をつこうとした瞬間。
「じゃ、付いて行ってあげよっか」
と、あっけらかんな声が聞えて登己は顔をあげた。尚志はちょっと笑ってすらいる。
「その代わり、理由をもっと明確にいう事」
「……お前、その態度岩住に似てきた」
「えぇ?!嘘」
「嘘じゃない。妙な病気でももらったんじゃないのか」
「酷いな。大体、どういう知り合いなの、登己と岩住さん」
友人の恋人と知り合いである登己は、それが冷清水経由の全く持って面白みのない出逢いだったことを告げると、尚志は笑いながら「それなら」と言った。なにが「それなら」なのか登己には全く見当がつかなかったが、とりあえず尚志が付いてきてくれるということで、一応の安心はできた。

――もしこれがSober Dragonのギタリスト見たさに、なんてことがバレたらからかわれるに決まってるからな。
何としてもこの、最近富にイイ性格になってきた友人にはバレないように行かなければ、と登己は決心を新たにした。








かくして週末は曲作りであっという間に過ぎ、約束の火曜日がやってきた。
日曜日には心配したアルバートまでがやってきて、レコード会社に行くだなんて危険な行動だ、という彼と口論もしたが、結局は全てのアレンジメントを彼が手配してくれていたのだと知り、最終的には大きな感謝をすることになった。代償はアルバートの母親をイメージした曲を作ることで決まり、そのモチーフについての喧嘩の方が激しかった位だ。

前々からお互いには話してあった事だったが、尚志とアルバートの出会いは中々見ものだった。
流暢な日本語で挨拶と事務手続きを済ます金髪碧眼のアルバートに、尚志が告げた「この人絶対芸能人になれるよ」という言葉には、思わず登己も大爆笑してしまった程だ。


「へえ、随分静かなんだね」
「まあレコード会社だからな。レコーディングスタジオとはまた違う役割をするから、事務的だけどこれ位綺麗じゃないと」
「あ、成程」
会社のロビーを抜けながら、尚志と登己は小声でそんな話を交わした。
初めて入った日本のレコード会社は、あまり規模は大きくないものの最新のインテリアで広々とした空間を仕切っていて、見ただけではここが音楽関連の会社だとは到底思えなかった。
会社の人間とアルバートの後ろを歩きながら、尚志は小説のネタになりそうなアイテムを見つけているらしく、途中途中ボソリと言葉が聞えた。

登己はといえば、どこかに歓人の姿がないか、さりげなくレンズの奥から視界を探っていた。
本当の会議室とは違うフロアの違う場所から見物をしようと思っていたから、偶然出会う可能性というのはまずない。そのはずだったが、それでも探してしまうのはちょっと意識のしすぎかなと自分でも思った。
「登己と尚志さんにはこっちで見ててもらう事にしてある。」
アルバートの日本語を聞きながら――基本的に登己とアルバートは英語で会話するのだが――通された部屋は、こじんまりとしたインタビュールームのような所で、白いソファと、その向かいには小さなテレビモニターが置いてあった。
「わかった。終わったら迎えにきてくれるんだよな」
「ああ。不用意に出たら何を訊かれるか解らないだろう。尚志さんは結構嘘がつけそうだけど、登己は顔に出やすいから」
「余計な一言はいいから、さっさと行って来いって…俺の曲がどうライブに使われるか、ちょっとは気になってるから」
案内役の会社員は廊下で待っていてくれているらしく、アルバートはその人と共に会議室へ向かうらしい。会社員にはちょっとだけVIPな見学者、とだけ伝えてある。多分上層部のほんの一部しか今日TOKIが来ていることを知らないのだろう。アルバートと彼の会社の手腕に頭が下がる思いだった。

「…気になってるのはそれだけじゃないのにな」
「…!」

小声の英語でアルバートが言うのが聞え、登己はその背中を叩きながら部屋から追い出した。尚志も英語は多少なりともできるようだったが、流石に今の小声は聞かれなくて済んだらしい。頭の上にクエスチョンマークを乗せる彼を無視して、登己はモニターのスイッチを入れた。



そして間もなく映りだされた会議室に入ってきた、背の高い黒髪の青年の姿を見つけて、
登己は自分の心臓が一際高く鳴ったのを感じた。