チャイルドバードの声
06
――間違いなく可愛い、 ――こんな、こんな可愛い男が居ていいはずが無い。いや、女だってそうはいない。 パっと目が合った瞬間から、歓人はその人から目を離せなくなってしまった。 目は口ほどに物を言うとは聞くけれど、こんな印象的な強い瞳を見たことがない。 眉毛ですら染めているのか薄い色をしているその人は、切れ長の綺麗な瞳で歓人を見つめながら、名前を教えてくれた。 トキ、と聞いて初めに浮かんだのは天然記念物の鴇の方だった。 ――確かに天然記念物レベルだ そう思った。今まで色んな人に会ってきたが、見ただけでこんなにも惹かれた人は初めてだった。 初め、肌があまりに白いから本当に具合でも悪いのかと思った。 だがそれが杞憂だとわかったのは、ほんのり目尻を赤くして笑ったその瞬間。 歓人の笑顔に、微かな笑顔で返してくれたその瞬間。 じいっと見つめたら途端に気づかれて眉をひそめられてしまったが、もしその笑顔がずっと続いていたらきっと言ってしまっていたかもしれない。 ――ん? ――言うって、何をだ、俺。 忙しなく動く心臓を落ち着かせる余裕も無く、さっきの偶然の出逢いを思い出していたら、不意に自分でも言葉に出来ないような感情――いや、言葉にするとしたら普通じゃない感情かもしれない――が、あることに気づいた。 「――歓人君?」 声を掛けてくれたのは、登己を見送ってきたらしい冷清水だ。言われて、自分がまだ中庭にいたということを思い出す。 「…冷清水さん」 絞り出すような声が出てしまい、それを聞いて冷清水は肩を竦めた。 その後ろから、譜生がひょっこりと顔を出す。 「おーい、帰っちゃったよあの子。可愛い子だったなぁ」 「…譜生さん、見たんですか」 止まっていた時間が動き出すようだった。ゆっくりと歩きながら店内へ戻る。 「見たよ、だって彼この道通って出てったんだから」 「やっぱり、可愛かったですよね」 「?…ああ、あんなナリはしてるけど純朴そうな子だったなあ」 譜生の審美眼というか、人を見る目は定評がある。バンドのメンバーを招集したのも譜生で、『人を見る』という点で歓人は譜生を絶対的に信用していた。 歓人は譜生の答えに満足したように頷いて、それから席に戻った。カクテルはもう結構温くなってしまっていて、それが歓人と登己の2人だけの時間の長さを教えてくれるようだった。 一気に飲み干して、それを自分だけのものにした。 「――さっきの人、よくここ来るんですか?」 席に戻った冷清水に訊ねてみると、彼は肩眉を上げて溜息をついた。 「やれやれ、どうにもご執心だね」 「聞いちゃ、駄目なんですか」 「彼の名前、聞けた?」 試すような相手の口調に、歓人はむっとする。だが、それも一瞬、直にその時の登己の顔が浮かんできて、若干誇らしい気持ちにもなってきた。自信を持って口を開く。 「登己だって。漢字も教えて貰いました」 「なら…ああ、でもな」 自信満々な歓人とは対照的に、冷清水は随分渋っていた。その煮え切らない態度に歓人はらしくなく苛々する。今まで人の言葉を待つだなんて器用なことはしてこなかったのだ。 「そんなに秘密を持ってるんですか、あの人」 「あー、うん、本人が秘密にしたがってる事なら幾つかあるんだがね」 「ま、自分で1つずつ秘密を明らかにしていくってことも、楽しいとは思うけど」 最後の言葉は譜生だ。頭上からした声はあからさまに揶揄の色を含んでいて、冷清水と歓人の間に座ると、ニヤっと笑って歓人を見た。 「で、どうなんだ。恋しちゃった?」 「はあ?!」 『恋』という単語に異様に反応を示してしまった歓人に対して、大人2人はまた顔を見合わせた。そしてまた笑い出す。 歓人は憮然とした表情を作った。 だってそれはあまりにも、 ――余りにも図星な単語だったからだ。 男同士の恋愛は、ついさっきみたセラと鉄慈のキスシーンを見ても驚きはしたが嫌悪感が無かった事から見ても差別意識と言うものはないようだ。 だが、それと自分が『そう』なってしまうのは話が違いすぎる。 空になったグラスを握って、その底を睨みつけて考え込む歓人の肩に、譜生の手が乗せられた。 「大丈夫、一目惚れは惚れ方としては正しい範囲に入る」 「………ぜってぇ楽しんでる。そんな笑顔初めて見ました」 憎しみの篭ったジト目で譜生を睨んでみても、彼はそんなもの屁でもないというように笑みを深くした。 しかし、その脇で頭を抱えているのは冷清水だった。さっきまで笑っていたのに、掴めない人だ。 「…ああ、やっぱり君を中庭にやるんじゃなかった」 「冷清水さん?」 大げさにカウンターへ頭を沈める冷清水に、歓人は驚いたように声を掛けた。 「あの子は芸能人との恋愛には不向きだよ…」 「どういう事です?」 すっかり歓人が登己に惚れこんでいると信じ応援し始めようとしているらしい譜生は、その言葉に怪訝そうに首を傾げた。そんな表情も様になっているな、と歓人は呑気に考えた。 譜生の質問に答えたのは、バーテンダーの常だった。 「貴文さんは、彼の事が一等お気に入りなんですよ」 「へえ…」 常はそれ以上話に加わる気がないのか、失礼、と短い言葉で歓人の手からやんわりとグラスを取り返し、それとは違うグラスにまた何かカクテルを作り始めた。 ふむ、と譜生は顎を人差し指でさすった。そういう仕草は結構年がいった人間がするもので、もしかしたら譜生は歓人の倍近く生きているのかもしれない、と歓人は眉根を寄せる。 譜生はポン、と手を叩いた。 「むしろそれは、冷清水さんのお墨付きって訳だ。鑑定書付きなら反対する理由はもうないな」 「ふ〜〜〜う〜〜〜〜、君は俺より歓人君の方につくっていうのかい」 「当然です。大体、息子でもない子をそんなに甘やかして、箱入り息子を育てるのがそんなに楽しいんですか」 「うん、楽しい」 悪びれないその言葉に、譜生はがっくりと肩を落とした。 「あのねえ冷清水さん、」 そのまま説教モードに入りそうになった譜生の肩を掴んで、歓人はその先を自らが喋る事で止めた。 「でも感謝します、冷清水さん。そのおかげで、あんなに可愛い人に逢えた」 「……………………」 「………歓人。お前ちょっと、それは、変わり過ぎ」 開いた口が塞がらない、といった風な冷清水の横で、譜生も少しの間目を見開いていたが、やがて溜息混じりに突っ込んだ。 歓人は訳がわからない、と首を傾げる。 「恋をして変われ、みたいなことを散々俺に言ってた癖して。いざ俺がその気になったら注意するんですか?」 「いや、そういうわけじゃないけどさ。…ていうか、認めるんだ?恋したって」 「はい」 張りのある返事に、帰ってきたのは冷清水からの長い長い溜息と、譜生からの短い口笛。 「まさか好みのタイプを聞こうと思って連れてきたのが、恋そのものまで発展するだなんて思わなかったよ」 「俺も、セラと鉄慈の修羅場からここまで色々経験するだなんて思いませんでした」 「…君ら、俺を差し置いて勝手に話を進めないでくれないか」 バーテンダーにシングルモルトを頼んで、冷清水は力なく言った。眉間を二本の指で押さえているということは、相当立腹してるか困っているかしているようだ。 歓人はほんの少しだけ申し訳ないと思ったが、かといって自分の気持ちが抑えられるという訳でもないから黙って堂々としていた。 「冷清水さん、人の恋路を邪魔するものはなんとやら、だよ」 譜生がそんな事を言って笑った。どうやら今日は譜生の一人勝ちらしい。 「でも当分は来ないほうがいいかも知れないな。トッキーはああ見えて全身で感情を表現するほうだから」 店を出る時に、ドアの脇に凭れ掛かって冷清水は言った。 中庭には来るな、という登己の言葉を聞かれていたらしい。 2人だけの会話だったのに、と内心歯をギリギリさせながら、努めて冷静そうに歓人は聞く。 「全身って?」 「言葉の通り。殴るとか、はたくとか、蹴るとか」 「ああ……」 登己に殴られるんだったら軽いものだ、と歓人は思う。腕が伸びてきた瞬間に引き寄せて抱きしめたら、すっぽりと胸の中に納まるのだろうな、と不埒な考えが頭をよぎる。 「望むところです。何にせよ彼に会えるんだったら」 「…本気なんだな…」 「何を今更。見くびらないで下さい」 「初恋は実らない、って言うよ」 意地悪そうな笑顔を浮かべる冷清水に、歓人も同じような笑顔で答える。 「今までこの時の為に力を温存してたんで。そちらこそ、無粋なことはしないでくださいね」 こういうときだけやけに大人びる歓人の横顔に溜息をついたのは譜生だったが、歓人はそんな事は全く気にしなかった。 待っていたのか、それとも譜生の連絡があって来てくれたのか、ワカが運転する車の中で歓人はぼんやり考える。 ――これが、恋か。 出来すぎた、あまりにも出来すぎた出逢いのような気がした。男同士の恋愛を見せ付けられて、自分の恋愛経験値の低さを譜生に指摘されて、恋をしろと促された途端に恋をした。 だがそれを疑う一方で、その成り行きも全ては運命なのではないか、必然の出来事なのではないかという感じもした。 不思議だ。彼に対しては全てがポジティブな思考へと変わっていく。これが恋なのだろうか。 自分の心に、こんな感情があっただなんて歓人は今まで知らなかった。人から告白されたことは何度もあったのだが、告白する側はこんなにも複雑な感情を持って自分に好きと告げてくれていたのかと思うと、笑顔で一蹴していた自分を恥ずかしく思う。もっと真摯に向き合うべきだったのに、と。 登己に告白したとして、自分が昔したように笑顔ではぐらかされたら気が狂ってしまうかもしれない、と歓人は思う。 逢っていた時間は多分10分にも満たない。なのに、これだけ動揺する。心が動かされてしまってどうしようもない。 譜生が言うようなオーラを感じる力は自分にはないのだけれど、もし自分と引き合う運命のオーラであればいい、と願わずにいられない。 ――乙女過ぎるか、ちょっと。 今まで色恋沙汰にキャーキャー言う女子に対して理解不能の体だった歓人だが、これでやっと占い雑誌に一喜一憂する彼女達の気持ちが解ってきた。好きな人とは、何の結果であっても相性がよければいいと願ってしまうのだ。特に片思いなら、尚更。 あんなに短い時間で、登己に惚れてもらってるだなんてそこまで自惚れてはいなかった。もし少しでも望みがあるのだったら、帰り際に避けられるということはなかったはずだ。掴まらない所にも惹かれたのだけど、と痘痕も笑窪といった状態で歓人は笑った。 「一人でわらっちゃって。気持ち悪いな、歓人は」 「自嘲だ、自嘲」 譜生が茶々を入れてきたから、歓人は慌てていつもの澄ました顔に戻る。譜生の残念そうな表情には無視を決め込むことにした。 「まあいいけどね、どっちでも。…あ、ちょっと仕事の話していい?」 「OK、そういや今日エイジャックスと話があったって聞いたけど」 エイジャックス。登己があのコンピレーションアルバムの内容を知っていたのには驚きだったが、知る人は知っているだろうから別段問いただしはしなかった。 譜生は知ってたのか、と小さく言うと、それから苦い顔をした。 「そう、その件で。ちょっとコンセプトが俺らとあわなさそうだから降りようと思ってて」 珍しいな、と歓人は思う。今まで話し合いまで進んだ企画で、譜生が降りようとするのは片手で数えて充分余るくらいだった。 「なんだったっけ、コンセプト」 「春」 「…ああ、既出の曲でって話で?確かに俺たちの曲で春っぽい可愛い曲なんてないよな」 「そう。別に新曲でもいいんだけどな、お前が忙しいしセラと鉄慈も修復までにちょっと掛かりそうだし」 「あいつらキスしたのに仲直りはしてねぇの?」 「歓人はもうちょっと勉強したほうがいいね」 すげない一言を返されてむっとしたが、歓人は仕事の話に戻ろう、と新しく言葉を捜した。 「――俺、新しく一曲かけるよ」 「おや、片思いのラブソング?」 「が、お望みなら。ばっちり春だろ、それなら。…あとさ、俺楽曲提供者の中ですげー好きな人居るんだよ。これを逃したら、多分一生同じアルバムの中には入れない」 その言葉を聞いて、譜生はおや、と目を見開いた。結構驚きらしい。 「ジャンルが違うってこと?歌謡曲の百瀬真朝さんだったら、お前が望めば一緒にアルバムくらいポンポンだしてくれそうだけどな」 「母親の話しじゃなくて。…テクノの人」 「ああ、TOKI?」 ――そうなんだよな、その人もトキって名前なんだ。 自分の心の琴線に触れる名前なのだろうか。Talky Bird――『おしゃべりな鳥』――と後ろに付くくらいだから、多分鳥の鴇の方なのだろうけど。 メディアには一切顔をださない、男か女かもわからないその日本人のテクノ・アーティストの曲を、歓人はいつも起きてすぐに聞く曲にしている。 優しさに包まれて、そのまま爽やかに脳を刺激されるのだ。 包容力のある愛に溢れたその人に、いつか会ってみたいと思っている。 アルバムが発売された暁には、どこかの大きなアリーナか何かで記念ライブか何かが開かれるらしい。そこでTOKIに会うことはまずないとは思うが、会場全体がその音楽に酔う瞬間を見てみたかった。 「頼むから、降りないでください。何だったら俺、次の交渉引き受けるんで」 「ノリ気だなあ。じゃ、今度の火曜に話し合いがあるらしいから、その時にでも付いてきてもらうよ」 多分話し合う内容はそのライブについてか、もしくは金銭のことだろう。 聞いてるだけでも大丈夫だろう、と思いながら、歓人は知らず知らずのうちに、 脳裏にTOKIと登己を重ね合わせていた。 |