Let go. -5




「今からでも、逃がした方が……!」
「夏目くん!」

 尚も言い募ろうとする夏目にタキが叫んだ。声に合わせるように田沼が腕を引く。ふらついた足が耐え切れず、夏目はまた地面に引き戻された。

「夏目、もういいだろ! この人が言ってる通りじゃないか!」
「何言ってるんだよ! こんな危ない事させられないだろ、逃げてくれれば……」

 夏目の言葉は途中で止まった。ぱしん、とタキが夏目の頬を打ったからだ。
 軽い力とは言え、一瞬虚を突かれた夏目が黙る。一呼吸の間だけ三人は黙りこくり、お互いの顔を見た。
 揃って悲痛な顔をしている。何かに追い詰められて、怒ったり泣いたり怖がったりしている。
 夏目はそれは妖のせいだと思っていた。だけど、そうじゃない。今、二人の怒りは夏目に向いている。それが解って息を呑んだ。
 ぎゅっと手を握り締めたタキが口を開く。

「何で夏目くんはそうなの! 危ないのは夏目くんだって一緒じゃない! 私たちだって、役に立たない訳じゃない!」
「そうだよ! 何で夏目は自分だけで全部片付けようとするんだよ!」

 半分泣いてるかのようなタキの声と、普段は柔らかな田沼の声がひどい怒気を帯びている事に夏目はやっと理解した。
 ああそうか、と思い至る。いつだって夏目は誰かの役に立ちたくて走っている。大事な人たちに怖い思いなんてさせたくない。平穏な日常を歩いていって欲しい。
 夏目が強くそう思うのと同じように、二人もまたそう願ってる。大事な人を守りたがっている。
 彼らの大事な人の一人に、夏目が居る。確かに、大事な人として存在している。どうしてかそれが伝わって来ていた。

「夏目、わかった?」

 名取の穏やかな声が掛かった。
 呆然としていた夏目が顔を上げると、泣くのを我慢しているタキの顔と怒っているような田沼の顔、それから柔らかに笑う名取の顔が見えた。転がる猫は夏目を見上げて何も言わない。
 涙が出そうな気がした。

「ごめん……」
「……うん」
「うん……」

 短い謝罪の言葉が空気に溶けた。子どもたちは揃って息をつく。泥だらけになった顔が少しだけ綻んだ。

「仲直りした所で、夏目、これよろしく」

 笑った子どもたちを見てから名取も少し笑って、壷を放り投げてきた。見覚えのある魔封じの壷だ。

「えっ?! 名取さんは?!」
「私は陣に入れるだけで手一杯だよ」
「お、おれ一人でやるんですか?!」
「手伝ってもらえばいいじゃないか」

 ほら、と隣に座る二人を指差す。一瞬全員がぽかんと口を開け、それから息を呑んだ。

「そこまでは……無茶ですよ、名取さん!」
「大丈夫、陣にさえ入れば陣の文様が勝手に引っ張って行ってくれる。衝撃があるだろうから押さえつけて封をすれば終わりだ」
「でも……」
「それはね、それなりに力のある人間じゃないと操れないんだよ。二人だって普通の人よりはよっぽど力があるんだから、夏目一人じゃ難しいなら最適だ。それに」

 名取は猫に眼を移して口の端でにやりと笑った。
 ふんっとそれまで黙っていた猫が鼻を鳴らす。偉そうに短い足で立ち上がってタキと田沼の真ん中に入った。

「仕方ない、危なくなったら助けてやるわい」
「よろしく、猫ちゃん」

 中年と青年の流れるような会話だけで答えが決まる。
 置いてきぼりの子どもたちはおろおろと顔を見合わせながら全員でわたわたと壷を押さえ付けた。

「が、がんばろ!」
「お、おう!」

 決死の表情で拳を振り上げるタキと田沼に夏目は一瞬眩暈がした。
 だが今更引き返しようもない。夏目もまた腹を括るしかなかった。



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2009/03/18