史上最高のバツゲーム−7




ドクドクッ…ドクドクッ…ドクドクッ…


妙に高鳴る自分の鼓動。

緊張してるワケじゃない。ときめいているワケでもない。

そう、これは私の動物的勘が危険信号を発してるに違いない。


この体勢はカナリ危険よ、早く逃げなさい。…と。


じゃなきゃ説明がつかないでしょう?…そうでしょう??

相手は、あの!暗ダサキモ男なのよ。

他に心臓が高鳴る説明がつかないっての。

どうしよう、どうしよう!


――――ちょっと、近づいてこないでよ!さっさと離れて!!


殴るモノが近くに何もない今、そう大声を張り上げて睨みつけてみようか。

いや、でもちょっと待って。

この体勢で、ヤツを触発するような事を言うのは逆効果なんじゃないだろうか。

相手は暗ダサキモ男とて男だ。

このまま押し倒されてしまったら、力では敵うはずがない。

力ずくで暗ダサキモ男に…なんて考えるだけで全身に鳥肌が立ってしまう。

まだコイツが何か仕掛けてきたワケじゃないんだし、暫くこのまま大人しくしていたほうがいいだろうか。

いやいや、何か仕掛けてきてからでは遅いんじゃないのか?

だとすればその前に…でも、どうやって?私の体、ギターとコイツとで挟まれちゃってんのに。

やっぱり変に騒いでこの男を刺激するより、隙を狙って逃げた方が得策なのだろうか。

あーでもない、こーでもないと必死に頭の中で策を練っていると、優哉は突然私の左手の人差し指を摘んできた。

驚いた私は、素っ頓狂な声と共に、体がビクッと飛び跳ねる。


「ぬあぁぁっ!なっ…なにっ!!」


ひょっ、ひょえぇぇぇっ!?

てっ…手が…暗ダサキモ男の手が、私の手に触ってるぅぅぅっ!!

ありえねぇぇっ


「…ド」

「はっ?」

「ここの場所がド、ね?」

優哉はたじろぐ私に構う様子も無く、私の左手の人差し指を自分の指と重ねるようにその「ド」の位置らしい場所に持って行って軽く絃を押さえさせると、そう言いながら自らの右手で絃を弾(はじ)く。

すると言われた通り、ギターのスピーカーから機械的なドの音が耳に届いた。

「あ、あぁ…ド…ドの音ね」

落ち着け…落ち着くんだ、私。

「クスクス。うん、ド。で、次にここが…」


なにクスクス笑ってんだ、コノヤロウ。

こんなにもテンパっている私に対し、余裕をぶっこいていそうな優哉の態度に幾分かムカツキを覚える。



お願いしたワケでもないのに、何故かギターのレクチャーを受けている私。

相変わらずの私と優哉の距離に、ふと、また異なる不安が湧き上がってくる。

こんなに近づいたら暗ダサキモ男の体臭が私にうつっちゃうんじゃないのか。

想像するに、コイツはお風呂にも滅多に入らず、脂っぽい体臭を漂わせてるイメージで。

ついつい眉間にシワを寄せながら、鼻をクンクンと動かしてしまう。

だけど、ここでもコイツは私の意表をついてきた。

押さえる絃を確認するために、体を動かすたびにその風に乗って漂ってくるほのかな香り。

それは私が前々から欲しかった、男女兼用の所謂ユニセックスものの香水の香りで。

清涼感のある、優しい香りが微かに私の鼻を擽る。


暗ダサキモ男如きが生意気に、香水なんてつけてるのかっ!!

私が欲しいって思ってた香水なのに、真似するんじゃないわよ。


なんとも身勝手な言い分だ。


「うん、そうそう。そこが、レの音ね…で、次はね…ミ」

そう言いもって、優哉は次に私の中指を指先で摘むと、次の場所へと誘導する。

私がその指に気を取られていると、不意に小さくて囁くような声が耳元から聞こえてきた。


『ねぇ…捺って指がすっごく細いんだね。綺麗な指』


「はっ?!」

「ん?ココは、ミの場所だよ?…で、次は…ファ」


いやいや…ソコを聞き返したんと違うがな。

心の中でツッコミを入れていると、指を移動してる合間に、更に耳元から囁き声が聞こえてくる。


『ねえ、捺ってさ。身体も華奢だね…僕が抱きしめたら折れちゃいそう』


「え、はっ!?なにっ…」

「クスクス。ここが、ファの場所ね…で、ここに移動して…」


ちょっ…ちょっと?

誰が誰を抱きしめるって??

優哉のその続けざまの囁き声に、私の脳内が突然プチパニックを引き起こす。

あからさまに出ている私の動揺っぷり。

それでも尚も、クスクス。と小さく笑いながら囁いてくるこいつは確信犯に違いない。


『あ、髪もサラサラ…すっごく触り心地が良さそう。僕、こういうサラサラの髪の毛の子って好きだなぁ』


「なっ!?」

「で、ここが…ソ。ねえ、捺、ここまで覚えられた?」


ワケねーだろ。


ギターの音以外なんのBGMも流れていないシーンとした部屋の中、あの電話で、あの歌声で聞かされた綺麗で耳障りの良い色っぽい声が耳元からダイレクトに聞こえてくる。

そうやって優哉が小声で囁いてくるたびに、私の心臓は痛いくらいに高鳴っていた。


なによ、ちょっと!おかしいってば、私!!

なんでこんなに心臓がドクドク言ってんの?

部屋に男の子と2人きりなんて場面は幾度となく経験してるけど、一度だってこんなに緊張したことなんてなかった。

なのに、なんで?

この私が暗ダサキモ男如きに翻弄されてる?

まさか、そんな事…

絶対あり得な〜〜〜いっ!!

も…やだっ。こんな体勢でいるなんて耐えられない。

この声聞いてるとおかしくなる。


「おっ、覚えられるワケないでしょうがっ!もーっ!!ゴチャゴチャ耳元でうるさいってばっ…」


――――離れてよ!


そう言って優哉の体を突き放そうと振り向いた瞬間、優哉とバッチリ視線が合ってしまった。

いつもより少しだけ広く隙間から覗けるその瞳。

なぜか吸い込まれるように見入ってしまう。


な、なに…なんか…視線が逸らせないんですけど。


不覚にも、私はこの暗ダサキモ男と、「見つめあう」と言うような考えられない行為を暫しの間やってのけてしまっていた。

ゆっくりと流れる沈黙の時間。

見つめあう互いの瞳。

こういう流れだと当然…

そう。当然、ゆっくり近づいてくる優哉の顔。

私は、その近づいてくる優哉の瞳を直視しながら、死後硬直のように固まった。


くっ…来る…来る…来るってば


暗ダサキモ男の顔が近づいてくるというのにも関わらず、私は暴れる事も避ける事も思い浮かばなかった。

もうあと数センチで重なる…その手前で優哉はフッとした笑みを鼻から漏らすと、スッと顔を引いて、ボソッと聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で呟く。


――――…なーんちゃって。


…………は?

なーんちゃって?…なんちゃって…って、あんたそれ。

おちょくったのかこの私を!!

くっ…くく暗ダサキモ男のクセにこの私をおちょくったと言うのか!?

信じられない。

ここまで人をドキドキとさせといて、なーんちゃってはないんじゃないのか。

……いや、え?違うがな…ドキドキなんてしていないっての。何を私は言ってるんだ。

これじゃまるで、暗ダサキモ男とのキスを受け入れようとしてたみたいではないか。

いや、あり得ないから。


「ねえ、捺?今日は手を出さないって約束、ちゃんと守ったから、この次はキスするからね」


絶対ヤダ。


そう心の中で呟き、体は未だ死後硬直のまま。

カナリ衝撃だったらしい。

自分の胸元をギュッと掴み、深呼吸して気分を落ち着かせてから気付いた事。


――――この次はキスするからね。


断言的な言葉。

すると言ったからには確実にしてくるこの男。

バツゲームの第二段階は、私の意に反して近いうちに訪れる事が確定したような気がした。

背中に変な汗が流れた瞬間。


それにしても、何故あの時私はコイツとの視線を逸らすことができなかったんだろう。

前髪の隙間から覗けたその瞳に、吸い込まれるように見入ってしまった私。

特に変わったところはなかったように思うけれど。

ただ、いつもより広く開いた前髪の隙間から片方だけしっかりと見えたその目は、くっきりとした二重で意外に大きかったという事は分かった。

いつも眠そうに半分目を閉じて地面ばかりを向いているから気付かなかったことだ。

なんだろう…ハッキリとしたことは分からないけど、意外とコイツ…


チラッと流し見た先に、寝癖の髪をワシャワシャっと掻き毟り、再び鬱陶しく前髪が目を覆った優哉の姿。

そして先ほど妙な雰囲気になったとは思えないほど、大きなあくびを一つかましやがった。


やっぱりあり得ない…。

暗ダサキモ男は暗ダサキモ男だ。




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