史上最高のバツゲーム−16




私の家の近所にあって、存在は知っていたけれど、初めて訪れる『METORON』という名の
CLUB。

モダンな造りの8階建てのビルの5階にそれはあった。

天井まで届きそうな大きな洋風の重厚感漂う扉。

その扉をくぐった瞬間、湿ったような空気がスゥッと肌を撫でていく。

入ってすぐの場所に小さめのバーカウンターが設置され、それを横切って更に奥に進むと広いダンスホールのような場所に辿り着く。

天井には大きなミラーボールや数々の照明器具が設置され、フロア脇には入り口付近に設置されたカウンターよりも大きめのバーが存在していた。

以前、テレビで見たときには自分が立っている場所にお立ち台と呼ばれる高い台が中央を囲むように幾つかあったように思うけど、今はそれは排除されて、代わりに一番奥に今日のライブの為のステージが設置されていた。

入り口もこのホールも、今日のこのライブを見に来たであろうファン達でごった返している。

ざっと千人近くはいるだろうか。

熱気ムンムン、お色気ムンムンで、複雑に交じり合った香水の香りが私の眉間にシワを寄せさせる。


…帰りたい。


人の山にゲンナリしながら、そんな事を思いつつ、ライブが始まるまでの間に真紀からこのバンドに関する情報を聞かされていた。

洋楽オンリーのロック系バンドで、メンバーは4人。

ボーカル兼ギターのYU、サイドギターのKEN(20歳)、真紀お気に入りのベースのRYU(19歳)に、ドラムのDAI(23歳)だとか。

みんなそれぞれにカナリの美形らしいけど、中でも特にボーカル兼ギターのYUが一番の人気を誇っているらしい。

真紀によると、このYUと呼ばれる彼は年齢不詳、出身地も不明と謎の多いヤツらしく。

わかっているのは彼はどうやらクオーターらしく、祖父か祖母から受け継いだ遺伝子により、光の当たり具合によっては瞳が藍色に見えるそうだ。

彼の並外れた歌唱力と、その謎めいた彼の出生と、その魅惑的な瞳と精悍さ漂う容姿に殆どのファンが魅了されるらしい。

ふーん、とそれを話半分で聞き流し、残りの半分…いや殆ど頭の中では優哉のことばかりを考えてた私。

真紀がお気に入りのRYUに関する情報を話し出した頃には完全に耳に入ってこなかった。


優哉、今頃どこで何をしてるんだろう。

家の用事って言っていたから、両親が海外から帰ってきたりしたんだろうか。

このライブが終わったら、電話かメールしてみようかな…。


そんな事を思った時だった。

不意に辺りが暗くなり、突然周りから黄色い悲鳴のような声が沸きあがる。

それにつられるように、つと飛ばした視線の先。

本日の主役であるバンドメンバー4人がゆっくりとステージに上がる姿が視界に映った。

その一人一人に視線を飛ばし、納得。という感じで、へぇ。という声が私の口から漏れる。


「ね、ね?すごくカッコイイでしょ。もー、RYUさいこ〜〜〜っ!カッコイイ〜〜っ!!!」


………うるさい。


メンバーがステージに立つや否や、まだ何もはじまっていないのに、真紀は興奮したように飛び跳ねながら黄色い声を響かせる。

周りの子にしたってそうだ。

RYUだのKENだのと四方八方から女の子の絶叫じみた声が響いてくる。

中でも真紀が言ったように、YUと叫ばれてるのが一番多い気がするけど。

私は周りから湧き上がる黄色い声援に眉を寄せて顔を顰めながら、中央に立つそのYUと呼ばれる人物へと視線を改めて向けた。

180くらいありそうな身長、私たち世代に人気のブランド物のTシャツに、ヴィンテージものらしきクラッシュジーンズで身を包み、黒くて太そうな髪は無造作に立たせるように毛先を遊ばせている姿は、カナリ私の中でのポイントが高い。

形のよい凛とした眉、くっきり二重の大きめの瞳。

スッと筋の通った高くて大きめの鼻に血色のよい厚めの唇。

パーツパーツがはっきりしている彼の顔は…なるほど。カナリの美形に間違いない。

優哉も前髪を上げれば、こんな姿だったりするんだろうか。

以前に少しだけ見れた眠ってる横顔を思い浮かべながら、彼を優哉に置き換えて見ている私は相当重症なのだろうか。


『えっと、今日はボクたちのライブに来てくれてどうもありがとう。みんなが楽しんで帰ってもらえるように最高のステージにするから、盛り上がってこうゼ!』


湧き上がる歓声に引き攣られるように、一瞬、ドクン!と私の心臓が高鳴った。

マイクを通して聞こえるYUの声。

その声があまりにも聞きなれた声に似ていたから。


え…優哉?!


そう名前が一瞬頭を過ったけれど、すぐに首を横に軽く振ってそれを払い落とす。

バカだ、私。優哉がこんな所にいるハズがないじゃないか。

第一、優哉がクオーターだなんて話、一度も聞いた事がないし。

はぁ…さっきから優哉のことばかりを考えてるから、こんなこと思うんだ。

もう、ヤバイよ…声が似てるってだけでこんなにも心臓がドキドキしてるなんて。


YUの、いくぞーっ!と言う大きな掛け声と共にアップテンポでパワフルなライブが始まる。

周りの声がかき消されるくらいの大音量で流れるギターやドラムの音。

それに負けないくらいのスピーカーから聞こえてくるYUの歌声に、ゾワゾワゾワっと一瞬にして肌が粟立つ。


す…ごい。なんて綺麗な声なの。


時には力強く、時には繊細に、白いギターを弾きながら、YUの迫力ある歌声が耳に届く。

そのYUの歌の合間に天を仰ぐと、スポットライトに照らされて、なんとも言えない神秘的な色合いを見せる瞳がとても印象的だった。

私は次第にこのライブに惹きこまれていた。

初めて優哉の歌声を聴いたときのように、優哉とよく似た声で歌うYUのその歌声に。


1時間なんてあっと言う間だった。

ステージに立つメンバー全員が汗だく。

そしてそれを見ている私たちも汗だくだ。

最終的に私は、真紀と一緒にYUたらRYUたらと叫んでいた。

間違いなくミーハーと化した瞬間。


ステージの上のYUは、少しあがる息を整えるように、ペットボトルの水を口に含むと、自分を見るみんなに向かって綺麗な笑みを浮かべる。


『今日は来てくれて本当にありがと。満足してくれた?』


その声に全員がイエ〜イ!っと大きく反応する。

それを聞いて彼も満足そうな笑みを浮かべると、最後に。と、少し声を改めて呟いてくる。


『今日は最終日だから、特別にボクのお気に入りの曲を歌おうかなって思って』


その言葉に更に大きく歓声が上がる。


『ボクにしては珍しく、日本語の曲なんだけどね。有名な女性アーティストの曲。ボクの大切な人がね、好きだって言った曲なんだ。ちょっと今のボクの気持ちと重なるかも。けど、みんなも知ってると思うから一緒に歌ってよ』


先ほどの歓声とは少し違う、ザワザワっと言ったどよめきも混じる声。

え、大切な人って?それって誰のこと?みたいな。

私にしたら、へぇ。そうなんだ?ぐらいにしか思わなかったけれど。


ざわめく会場が治まるのを待って、YUがふぅ、と一息吐く。

そして周りのメンバーと視線を合わせてから、静かに流れ出すメロディーに目を閉じた。

ギターだけの静かなメロディ。

心地よく耳に届くそれは、私もよく知っている曲だった。


この曲…


ドクドクドクドクと急激に打ち始める私の心臓。

今流れているメロディ、歌っている歌詞。

オリジナルのままだけど、優哉が初めて私に聞かせてくれたあの歌だ。

不意にステージ上で歌っているYUの姿が優哉の姿とシンクロする。


自分の元を去って行こうとする恋人。

それでも必ず自分の元へと戻ってくると信じて待っている。

追い続けた相手だから、求め続けた存在だから。

いつまでも信じて待っている。

そんな内容で綴られた歌詞。

先ほど彼は自分の気持ちと重なるかもと言っていた。

何故か私にはステージ上のYUが優哉とダブって見えて仕方なかった。

全然似ても似つかない姿だけど、どうしても優哉に見えてしまう。

急激にこみ上げてくる切ない想い。


会いたい…どうしても今すぐ優哉に会いたい。

目の前に立つYUの声じゃなく、優哉の声が今すぐ聞きたい。


私の瞳から、いつしか大粒の涙が溢れ出していた。

「え、ちょ…捺、どうしたの?なに泣いてんのよ…」

隣りに立っていた真紀が、ギョッとした様子で私に声をかけてくる。

「ごめっ…なんか急に…どうしよ…止まらない」

「嘘、なんで?あ…と、トイレ行く?それとも出ようか?」

私の様子にうろたえる真紀に、大丈夫。ちょっとトイレ行って落ち着いてくるから。と告げて、まだ曲が終わらないうちに、私はこの場を抜けた。


トイレの前を過ぎて、その奥の少し下った位置にある社員通用口へと繋がる階段の中腹に私は腰を下ろして落ち着くのを待っていた。

ここなら会場が賑わっている間は誰も来ないような気がするし、泣き顔を見られずにすむと思ったから。

膝に顔を埋め、優哉の事を考える。

今なにしてる?どこにいる?

会いたいって言ったら今すぐに会いに来てくれる?

私はカバンから携帯を取り出すと、ぐずっと鼻をすすりながらボタンを弄る。

そしてある名前のところで指を止めると、思い切って通話ボタンを押してみた。


トゥルルル…トゥルルル…

何度かの呼び出し音のあと、機械的なアナウンスが耳に届く。


出てよ、優哉…お願いだから…


「会いたい…声が聞きたいよ…優哉…」


携帯電話を握り締めたまま、再び膝に顔を埋め、私の口からそんな弱弱しい声が漏れる。



「……どうして泣いてるの?」



突然頭上から聞きなれた声が聞こえてきて、ドキンと胸を高鳴らせながら、ビクッと体を震わせて顔を上げる。


優哉っ?!……ぁ。


自分の脇に立つ存在。

先ほどステージ上で一番輝いていた彼…YUの姿がそこにあった。

彼の体には、先ほどのステージの余韻を残すように、全身にかけて汗が浮かび上がっている。

YUは私の前に回りこんでしゃがむと、下から覗き込むように私を見上げてきた。

その間近に見えるあまりにも整っている顔と、先ほどライトに照らされて藍色に見えた神秘的な瞳を向けられて、思わず慌てて視線を逸らしてしまう。


「どうして泣くの…可愛い顔が台無しだよ?」

彼はそう言って優しく微笑むと、私の頬をやんわりと掌で挟み、両手の親指で目元を拭ってくれる。

きゅん。と締め付けられる自分の胸。

この仕草も優哉を思い起こさせて、更に自分の瞳から涙の粒が零れ落ちた。


「…会いたい人が…いるの…」


ポツリと小さく漏れた自分の声。

それに彼は、うん。と、優しく返してくる。


「声を聞きたい人がいるの…」

「うん」


どうしてこんな事を言い出したのか、自分でも分からなかった。

だけど、何故か今自分の目の前にいる人物が優哉であるかのように思えて、自分の中から気持ちが溢れ出してくる。


「私、ようやく自分の気持ちに気付けたの…優哉のことが好きなんだって。だから…優哉に会いたいの…優哉の声が聞きたいの…そう思ったら会いに来てくれるって…」

「ん…会いにきたよ」

「え…」


彼のその言葉にふと視線を上げると、真っ直ぐに私を見つめる彼の視線とぶつかる。

優しい眼差し。

吸い込まれそうなほどに綺麗で澄んだその瞳に、捕らわれたように逸らせなくなる。


知ってる…この優しい瞳。

ずっと私の事を前髪の奥から優しく見つめてくれていた瞳と同じモノ。

優哉と同じ色っぽくて綺麗な声の持ち主。

優哉と同じ優しい眼差しの持ち主。

もしかして彼は本当に…


「ゆう…や?」


小さく漏れた私のその言葉に、目の前の彼は綺麗な笑みを浮かべて微笑んだ。


「やっぱり気付いてくれたね、捺」

「本当に…優哉…なの?」


私のその言葉に彼はクスっと小さく笑って見せると、頬に手を添えたまま親指で私の唇を
そっと撫でた。


「本当かどうか、確かめてみて?」


そんな声が耳に届いた時には、既に重なっていた唇。

唇を挟むように啄ばむように繰り返されるキス。

自分の唇に、柔らかくて心地よい感触が伝わる。

柔らかくて、程よく弾力があって…心地よいキス。


覚えてる…この感触。

今までに感じたことがないくらい心地よかった優哉からのキスと同じモノ。

彼から与えられるこのキスに、私の中の疑惑が確信へと変わる。


……優哉。


私はそっと腕を伸ばし、優哉の首にまわすと自分の方へと引き寄せた。

それを合図のように、次第に深くなるキス。

互いの口内で舌が触れ合い、奥深くで絡み合う。

角度を変えるたび、お互いの唇を吸う音が響き、自分の口から甘い声が漏れてくる。


「んっ…ゆぅ…やっ…」

「本当は…不安だった…捺が僕から離れるんじゃないかって…もう2度と隣りで笑う姿を見られないんじゃないかって…」

優哉は唇を重ねたまま頬に添えていた手を私の体にまわし、強く強く抱きしめ更にキスを深くする。

「ステージから捺の姿を見つけた時、本当はすぐにでも駆け寄ってこうして抱きしめたかった…もう、離さないから…捺の気持ちも手に入った今、絶対に離さない。離れることも許さない…だから、覚悟して…捺」

「んっ…んっ…離さっ…ないで…傍にいて…優哉」

「ん…傍にいるよ…ずっと傍にいるから…」


お互いの存在を確認するかのように、強く抱きしめあい、キスを交わす。


優哉と会えなかった間、私を取り巻いていた空虚感が彼のキスによって満たされていく。

何かが足りないって思ってた。

なんにもする気が起きなかった。

だけど今、優哉の存在を近くに感じられて、こんなにも私の気持ちは満たされている。

私は、いつの間にかこんなにも優哉の事を…


「優哉…私ね…優哉が傍にいないと、私の全てがダメになるほど…私は優哉が好き」

「僕もそうだよ…捺」


唇が触れたままお互いにそうして囁きあい、クスクス。と笑い合うと、再び引き寄せられるように深くキスを交わした。




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