人間って、どれだけ健康に気を遣っていても、病気になるときは突然なる。

今、巷では健康ブームで、やれサプリだ、やれ何たらだと騒がしいというのに、この男…奥田隆志においては、健康ブームの「け」の字もありゃしない。

仕事が忙しいせいもあって、不規則で栄養の偏った食事。

一日２箱近く吸う、ヘビースモーカー。

会社絡みの接待や付き合いだから、仕方ないって言ったら仕方ないのかもしれないけれど、このところ飲みに行く回数が増えている。

しかも、飲む量がハンパじゃない。

人並み以上に酒が強い隆志は、注（つ）がれた酒は絶対飲み干すし、断ったりもしない。

だから、得意先のオヤジ連中は、コイツは男気があるヤツだ！なんて、隆志のグラスに酒を注ぎまくる。

暴飲・暴食・ヘビースモーク…。

こんな不健康な生活をしていたら、いつか病院送りになるぞ。って思ってるんだけど。

当の本人は、

「バーカ。これしきで俺が病気になんぞなるわけねーだろ。俺の体は頑丈にできてんだよ。こういう面も、デキる男のいわれだよなぁ」

なんて。

いっそ本気で病院送りにされちまえ。と、思うほど、俺様な態度で返してくる。

でも、まあ実際。コイツが病気になんてなるわけないよな。って思ってた。

なんか。自分の中でも、隆志は別格？みたいに思っていたから。

「――――ちょっと！いい加減、タバコ吸うのやめなさいよ。今日、これで何本目？」

久し振りに、２人でゆっくり過ごせる週末の土曜日。

ショッピングして、ドライブして…美味しい夕食も堪能して、隆志のマンションに帰ってきた私たち。

リビングでほっこりしながら、コーヒーを飲んでいると、隣に座る隆志の手の中で、カチッとジッポの音が鳴る。

「あ？何本目って…さぁ。数えてねぇ」

すかさず私が睨みつけると、隆志は呑気に、そんな言葉と共に煙を肺に送り込んでから、ふぅ。と、口からそれを吐き出す。

自分の視界に、たった今吐き出された紫煙が、ゆらゆらと揺れながら広がり、消えていくのが映る。

「あんたねぇ、そんなにバカバカ吸ってたら、いつか肺がんで死ぬわよ？」

「これぐらいの量で、肺がんになんてなるかよ」

「なったらどうすんのよ」

「なったら考える」

…それじゃあ、遅いだろうがよ。

「大体ね、タバコってのは、吸う人間より傍にいる人間のほうが害があるんだからね？私が肺がんになったらどうすんのよ！」

「なってから言えよ」

…この男っ

「なってからじゃ遅いだろうがっ！ほんっとあんたって、サイテー。私のこと大切じゃないわけ？」

「大切に決まってんだろ？」

「じゃあ、やめろ」

「お前のその口の悪さが直ったらやめてやるよ」

「きっ…」

貴様…何様のつもりだ。

大体、有害（タバコ）VS無害（口の悪さ）…同じ土俵に持ってくるもんじゃねえだろ。

しれーっと、口から煙を吐き出す隆志に向かって、キッと鋭く視線を向ける。

「ひとがあんたの体を心配してやってるっつうのに、何その態度。知らないからね、いつか本気で病院送りになっても！」

「クスクス。何？優里ちゃんは、大好きな俺の体の心配なんかしちゃってくれてんの？」

「一言余計。大嫌いだっつってんでしょ」

「まだ言ってんの？いつまでも素直になれねえ女だなぁ、お前は。まあ、そういうところが可愛いんだけどな？」

隆志はそう言って、私の肩を抱き寄せると、チュッと音を立てて唇にキスをしてくる。

その風に乗せられて、隆志のつけている香水の香りと一緒に、タバコの匂いが混じって、私の鼻を掠めていく。

「ちょっと！タバコ吸ってる時にキスすんの嫌だって言ってるでしょ？何度同じこと言わせんのよっ！」

「あー、はいはい。消しゃいいんだろ？消せばよ」

へえへえ、分かりました。と、隆志は呟きながら、仕方なしにといった感じに、タバコを灰皿に押し付ける。

そしてそのままコーヒーカップに手を伸ばし、口元に運ぶ様子を見ながら、私はため息を一つ吐き出し、視線をブラウン管へと移す。

ちょうど、禁煙補助剤のCMが流れていた。

暫くそうして、テレビを見ながら隆志と何気ない会話を交わしていると、肩を抱いている方の、ヤツの指先が私の首筋を伝いだし、反対側の手が腿を彷徨いだす。

「ちょっと、隆志。なに、この手に指…」

「いや、ムラムラと…」

ムラムラと…なんだ。

「やだ、もう。まだお風呂も入ってないんだから」

「別にいいじゃん。どうせ汗かくんだしよ。一回ヤってから入っても」

「嫌」

「俺も嫌。我慢できねえし」

隆志はそう言って意地悪く笑みを浮かべると、グイッと体を引き寄せて、スカートの中に手を差し入れてくる。

「ちょっ…もう！少しは、我慢しなさいよっ…あんっ…ヤダってば！！」

「大人しくしてろって。いい夢見させてやるから」

……いい夢見させてやるからって

「うわっ。キモっ！クサっ！！ふるぅっ！！！」

「おまっ………三拍子揃えてんじゃねえよ。でも、確かに…今のはいただけねえよな…。自分で言っといて、萎えそうになった」

「じゃあ、そのまま萎えてよ」

「そりゃ無理だ。俺のナニのパワーはすげーからな。残念ながら、こんなことじゃあ萎えねぇの」

自慢することじゃねえだろ…。

隆志は、クスクス。と、笑いながら私の体をソファに押し倒すと、そのまま唇を塞いでくる。

啄ばむようなキスを繰り返し、私の唇を割って隆志の舌が中に入ってくる。

ふわっと口内にコーヒーの苦味が広がり、鼻から香りが抜けていく。

隆志とするキスは素直に好きだ。

心地よくて、安心できて…私の思考回路を気持ちよく犯していく。

だから、キス自体は抵抗せずに受け入れる。タバコを吸った直後以外は。

繋がりを求めたくなることもあるけれど、別に私はキスだけでも満足できる。

女なら、少なからずともそういうのってあると思う。

キスとハグだけでも充分幸せな気持ちになれるって。

「んっ…隆志…ダメ…だってば…」

「そんな色っぽい声出して、ダメ…は、ねえだろ？」

あんたの方が数倍色っぽい声だって…。

耳に直に聞こえる声に、ゾクゾクッと肌が粟立つ。

私のシャツのボタンを外しながら、隆志の唇が首筋を滑りはじめると徐々に抵抗力が奪われていく。

どうしても勝てない…。

いくらダメだって思ってても、お風呂が先！って思ってても、結局最終的に負けてしまっている自分。

そういうのって、すんごい悔しいんだけど…こればっかりはどうしてもダメ。

……勝てない。

私はまるで、催眠術でもかかってしまったかのように、隆志にされるがまま、導かれるままに、目を閉じ甘い空間へと入っていく。

「………っ…」

甘い空間から少し現実に引き戻されたのは、小さな隆志の洩らした息。

色っぽい吐息とは違う、何かに詰まったようなそれに、私は薄っすらと目を開けた。

「……どうかした？」

「あ？…いや…別に」

そう少し体を離して言葉を濁す隆志に、私の眉が訝しげに寄る。

ゆっくりと視線で、触診するように視線を流し、ある一点で視線が止まった。

「胸…どうかしたの？」

先ほどまで、私の体に触れていた隆志の手。

それが何故か、今は彼の左胸にあてられている。

「いや…ちょっと」

「ちょっと…何よ」

「いや…なんか…」

「なんかって、何？」

「だから、別に。なんとなく…」

……イライラする。

「ちょっと、なんか、なんとなくって何！？ハッキリ言いなさいよ、あんたらしくないわねっ！！」

「うっせーな。そんな大きな声出すなよ。だから、ただ何となくココがチクってしたような気がしたんだよ」

「チクって…心臓がってこと？」

「いや…心臓って感じじゃねんだけど…ぁ…？」

「なに…」

「コポコポって…」

「こ…」

…コポコポ？？

「…音がしてる」

はぁぁぁっ！？なに、それ…

私は乱れる服をそのままに、ガバッと上半身を起こす。

「ど、どういう事？音がしてるって…」

「さあ？」

さあ？じゃないって、さあ？じゃ！！

「どこら辺よ」

「あ？ここら辺…」

隆志に言われた辺りを、自分の掌でも確かめてみる。

ちょうどそれは、隆志の心臓あたり。

隆志の肌に直に触れると、確かに掌に微振動が伝わってくる。

コポコポ…コポコポ…

「え…やだ…。なんで？」

「だから、知らねえって」

「いっ痛みは？ある？ない？？」

「あるような…ないような…？」

ビミョーっ！！

ちょっと待ってよ…なによ、コレ？

原因もなにもわからないけれど、確実に隆志の体が異変を示しているのはわかる。

瞬く間に、異様な速度で打ち始める私の鼓動。

徐々に血の気が引いていくのが分かる。

「これって、心臓？それとも…肺？」

「さあ？わかんねえけど。すんげえ痛くねえから、肺とかじゃねえ？」

「ちょっと…あんた、なに悠長に構えてんのよ！」

「お前こそ、なにそんな必死な形相してんだよ」

なるだろ、普通？

私はその言葉を無視して、ちょっと見せて。と、隆志の肌を直に目で見る。

そこには、自分の掌で感じた振動と同じように、隆志の肌が微かに動いているように見える。

「ねえ…動いてんの、見えるんだけど」

「おぉ。微妙に動いてんな」

「……………」

楽しそうに言ってんじゃねえよ。

事の重大さがわかってんのか、コイツは？

余程肝っ玉が据わってるのか…それとも余程のバカか…

「ねえ、保険証は？」

「は？保険証って…どうすんだよ」

「病院行くから」

「誰が」

お前以外にいるなら教えてくれ。

「あんたに決まってんでしょ？」

「なんで」

一発殴りたくなってきた…。

「今の時間でも、救急なら診てもらえるでしょ？だから、早く用意しなさいよ！」

「あー、いいよ。休み明けの仕事の合間にでも行くから」

「いいわけないでしょっ！万が一のことがあったらどうすんのよ！！」

「万が一ってなんだよ…」

「はっ肺がんとかさ…心臓の病気とかさ…」

「肺がんで、こんなコポコポ言わねえだろ…心臓でもねえ気がすんぞ？」

「だから素人判断で、あーだこうだ言っても仕方ないでしょ？異変があるのは明らかなんだから、救急で診てもらえばいいじゃない」

「んな。救急で行くなんて、大袈裟だろうが」

「大袈裟かどうかは、あんたが決めることじゃない！もーっ！早く用意してよ。ぶん殴られたいの？」

「お前ね…言葉遣いが悪い上に暴力かよ。マジで美人が台無しだぞ？」

「今は、んな事言ってる場合じゃないだろぉっ！！早く用意をしろって言ってんのっ！！！」