*君の あなたの 微笑に




「――――・・先生もこのマンションなんですか?」

私は目を丸くしながら呟く。

「うん、そう。まさか狭山さんもここだったなんて・・・ここまで偶然が重なるとほんと驚きで言葉が出ないね。」

「え、でも先生一人暮らしって・・・このマンションに一人で住んでるんですか?」

「ん?ここのマンションってアルファベットの「H」みたいな造りになってるでしょ?その右端の縦の部分は全部単身用になってて、他の部屋と違って1LDKで賃貸になってるんだよ。」

「そう・・・だったんだ。知らなかった。」

私は驚きの余り、先生が言うように暫く言葉が出なかった。

・・・・・すると、何?私は先生と大きく言えば同じ屋根の下に住んでるって事?

うわっ。すごっ!

徐々にその事実に気が付くと、途端に嬉しさが募ってくる。

と、言う事は近い未来先生の家に遊びに行ける、なんて夢が叶うかもしれない。

一人、心躍らせながらマンションのエントランスへと先生と共に入る。

すごく、すごく嬉しいんですけど。

あぁ、もう。すぐにでも優実に電話したい!!ちょっと、聞いて〜っ!!って。

「狭山さんは何階に住んでるの?」

「私は5階の512号です。先生は?」

「俺は6階の605号。」

「そうなんですか!!クスクス、ほんと信じられない。あまりにも近すぎて。」

「クスクス。まったくね。こんな近い距離で、昨日メールのやり取りしてたんだ。」

「あははは。ほんとだ。直接行って話す方が早いかも〜。」

冗談まじりに呟き、自分がとんでもない事を口走っているのに気が付く。

・・・・・何言ってんの、私。

途端に真っ赤に染め上がる私の頬。先生に気づかれたくなくて、エレベーターに乗り込んでボタンの前で先生に背を向けて立つ。

「・・・そういえば狭山さん、昨日もメールに書いてたけどご両親帰って来るの遅いの?」

「え?あ、はい。2人共って言うか、父は残業が多くて母は夜の仕事なもので・・・。」

「そっか。大変だね。一人で家にいるのって寂しくない?」

優実にも言われた同じ言葉。みんなが言うほど寂しいと思った事ないんだけどな・・・。

結構一人の時間を楽しめてたりするし。

私は先生の方に向き直ると、慣れっこですから。と、あはは。と笑って見せる。

「じゃあ、一緒にご飯食べよっか?」

「・・・・・え?」



***** ***** ***** ***** *****




「あの・・・先生、本当にいいんですか?」

「ん?」

「いや、だって昨日はダメだって・・・・・。」

「あぁ。そうだったね・・・でも、何て言うのかな。偶然が重なりすぎて、ご飯くらいならいいかなって思えて。それに一人でコンビニ弁当を食べてるんだって思ったら、何だかね。」

あぁ。可愛そうとかって思ってくれてるのかな。

そんなに・・・本当に気にしてもらう程、本人は寂しく思ったり悲しくなったりしてる訳じゃないんだけどな。

でも、この時ばかりはこの状況を嬉しく思った。

だっていつか先生の家に行けるかな?って思ってた事が今日叶ったんだもん。

短い間の偶然の重なりに、私は大きく感謝した。

お父さん、残業いっぱいありがとう。お母さん、夜のお仕事頑張ってね。

そんな事もちらっと頭を過る。

6階の605号室に先生の後ろからついて行くと、鍵を開けた先生がドアを開けて私を招き入れてくれた。

部屋に入ると、ふわっ。と先生の香りが鼻を掠める。

「引越ししたてで、何もないけど。どうぞ。」

「お邪魔します。」

先生の出してくれたスリッパを履いて、部屋の中に歩を進めた。

扉を開けると、広いフローリングの部屋が目に映る。

そこには大きなテレビと座り心地の良さそうなソファー。それと、小さなダイニングテーブルがシンク前に置かれていた。

天井まで伸びる大きな本棚には、さすが英語の先生。と言う感じに英語で書かれた背表紙がずらりと並ぶ。

「うわぁ。うちとは全然違う。」

同じマンションなのに、部屋割りが違うだけでこんなにも違う印象になってしまうんだ。

どこか別のマンションに来たみたい。

私が辺りをキョロキョロ見回していると、おかしそうに笑う声が後ろから聞こえる。

「そんなに見られると恥ずかしいんだけど?」

「わっ。すいません・・・ついつい。」

「クスクス。あ、そうだ・・・ちょっと待ってね。」

先生は何かを思い出したようにリビングの隣りにある部屋へ入って行くと程なくして腕に何かを抱えて戻ってきた。

「ほら、公園で拾った子猫。洗ってやったから綺麗な茶色の毛になったよ。」

「いやぁぁぁん。かっわいぃぃ。・・・あの、抱っこしてもいいですか?」

「うん、もちろん。ほら。」

先生の腕から子猫を受け取ると、自分の腕に抱きかかえた。

片手に納まってしまう程の小さな体。公園で見つけた時はすごく弱々しかったのに、今は元気な声で 、ミャー。と鳴き、爪を立てて私の体によじ登ろうと必死になっている。

「クスクス。すっごい元気な子猫になりましたね。」

「そうなんだよ。この子の見せてくれる仕草が一つ一つ可愛くってね。ついつい長い間カマってしまって。お陰で寝不足。」

「あはは、ダメじゃないですか。あっ、先生が学校に行ってる間は、子猫ちゃんどうしてるんですか?」

「大き目のケージを買ったから、そこに昼間は入れてるんだ。で、夜はこうして出してあげてる。」

先生は私の腕の中で元気に鳴いている子猫の頭を撫でながら、優しく微笑む。

うわ・・・先生の腕が目の前に・・・。

先生とのあまりの距離の近さに、私の心臓の鼓動がどんどん加速して行く。

「あ〜・・そうそう。この子の名前ね。今日一日考えて決定したよ。」

「え、ほんとですか?何て名前に?」

「茶色の毛だから『チー』にした。」

「えっ?!」

先生から発せられた言葉に一瞬自分が呼ばれたのかと、ドキンッ。と胸が高鳴る。

「え?・・・おかしいかな。」

「うっううん。全然いいと思います・・・そっか、「チー」かぁ。」

私は先生の口から呼ばれた名前に若干の喜びを感じながら、子猫の『チー』の体を抱き上げて、そう呟く。




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