*Love Game side-Rei





闇の中を歩いていた。

ほのかな光さえもない真っ暗な闇。

前も、後ろも。上も下も区別がつかないほどの闇の中。

俺はその中をただひたすら前に進むように歩いていた。


ココハイッタイドコナンダ…


不思議と、不安も恐怖も感じない空間。

俺は何処に向かっているのか…何処に行こうとしているのか…

ボーっと、あてどもなく彷徨っている。


――――…レイ


ふと、自分の名前を呼ばれた気がして振り返る。

しかしそこには誰の存在もなく、ただ暗闇が広がるだけ。

俺は向き直り、また前に進むように歩き出す。


――――…レイ……レイ…


再び聞こえる自分を呼ぶ声。

どこから聞こえてくるのかわからない。

一旦立ち止まり辺りを見渡す。

だけど、視界に映るのはただの闇。

目を凝らしてみても何も見えない。

懐かしいような、愛しいような、何処かで聞いたようなその声。


ダレダ…オレノナマエヲヨンデイルノハ…


再び歩き出そうとして、前に一歩踏み出したときだった。

目の前に、ぼぅっと白く淡い光が儚げに灯る。

そしてその光に包まれるように、一人の人物がそこに立っていた。

俺を、ずっと傍で支えてくれていた存在。

俺が、誰よりも大切に思っていた存在。


『ばーちゃん…』


俺を呼んでいたのは、ばーちゃん?

ばーちゃんが、俺を見上げて優しく微笑みかけてきた。

『玲?よう、頑張ったね。ばーちゃんはずっと見とったよ』

『……え?』

『大切な人を護る強さ…大切な人を想う気持ち…忘れたらいかんよ?』

『ばーちゃん?』

『玲。早く目を覚ましなさい。お前の役目はまだ終わっとらんよ?玲を必要としている、護らないかん
大切な人がおるじゃろ?』

『目を覚ますって…え?…大切な…人?』

『二人で支えあって、幸せを掴みなさい。おまえ達ならそれが叶うから』

『二人って…おまえ達って…?』

『聞こえんか?おまえを呼ぶ声が』

『俺を呼ぶって…ばーちゃんじゃないのか?』

ばーちゃんはそれにニッコリと微笑むと、そっと耳を澄ませるように手を自分の耳に当てて俺を見る。


――――…レイ…玲…


先ほど聞こえた声。

懐かしいような、愛しいような、何処かで聞いたようなその声。

俺を呼んでいる?一体誰が?

だけど、無性に心がざわめく。

早く…その声の元へ行かなければならない気がする。

俺の、大切なその場所へ…


『はよう、お行き。ばーちゃんはずっと見守っとるからね。ずっと、二人の幸せを祈っとるからね――』

『え…ばーちゃんっ?』

フッと、急に目の前が暗くなる。

突然、意識が掬い上げられるような感覚に囚われる。

その間も、ずっと聞こえていた俺を呼ぶ声。


――――…レイ…玲……玲…



***** ***** ***** ***** *****




「――――…玲」


誰かが俺を呼んでいる…


「玲…目を開けて…」


先ほどよりも鮮明に耳に届く声…


「玲…お願いだから…」


掌に、甲に感じる誰かの温もり…


「…玲…お願い、目を覚まして。ねえ、玲…お願いだからあたしを一人にしないで…」


視界がゆっくりと開かれ、光が差し込む。

意識が段々と戻ってくる。

ギュッと手を握り締められている感覚。

直(じか)に響く、聞きなれたその声。

体全体に圧し掛かるような気だるさを感じつつ、俺は視線だけを動かす。

ずっと、俺を呼んでいたのは…


「ゆ…い…」


俺がそう、かすれた声で呼びかけると、唯はハッと顔をあげて、れい?と呟く。

そして俺と視線が合うと、よかった…。と、震える息を吐き出しながらポツリと零して、ギュッと両手で握り締めていた俺の手の甲に額をあてる。

それから何とも言えない複雑な表情を浮かべながら顔をあげると、突然声をあげて泣き出した。

「もうっ!!死んっ…じゃうかとっ…思ったんだからっ!すごいっ…すごいっ、心配したんだからっ!!あたしを庇って…無茶なことっ…しないでよっ。もうっ…バカっ!!」

顔をくちゃくちゃに崩して涙を流し、そう零す唯を見ながら、あぁ…俺、病院にいるのか。と、現在の状況をなんとなく把握した。

そうか…助かったんだ、俺。

そんなことを頭の片隅でボーっと考えながら、唯の言葉に反射的に俺の口が動いていた。

「……ごめ、ん」

「3日間もっ…ずっとっ…眠ったままでっ…意識もっ…戻らなくてっ…何度っ呼びかけてもっ…反応も、
ないしっ…不安でっ…不安でっ…たまらなくってっ…あたしっ…」

「ゆい…」

「またっ…あたしだけ置いていかれるのかと思った…またっ…一人ぼっちになるんじゃないかって…」

ポツリと零れた消え入りそうな唯の儚げなその声。

グッと胸が締め付けられた。


置いていかれる寂しさ…

一人ぼっちにされる孤独感…


誰よりも、俺が一番それを知っているから。

そして唯もまた、それを怖れているのも俺が一番分かっている。

あの時、唯を失いたくない一心で、唯を護るつもりであんな行動に出たけれど。

今の唯の姿を見ていると、少しだけ後悔した…ごめんな、って。


もう、唯を一人ぼっちになんかさせないから。

たとえ、どんな形であっても…


握り締められたままの手に、少しだけ力を入れて握り返す。

それを感じとったわけではないだろうけど、唯もまた握った手に力を込めてくる。

「大体っ、なにもかもがっ…似てるくせにっ…なんでっ…血液型が違うっのよっ!いっぱい血が出てっ…いっぱいっ…輸血してっ…それでも足りないかもとか言われてさっ…大変っ…だったんだからねっ?
死んじゃったらどうしようっ…玲が死んじゃったらどうしようって!!」

そう、しゃくりあげながら話す唯の姿に、思わず自分の顔から笑みが洩れた。

唯らしい言葉だけど…心配、してくれてたんだな。

なんか…俺のいるべき場所は、やっぱここだな。って、そう改めて思った。

「なにっ…笑ってっ…んのよっ…」

「いや…俺を支えてくれてんのは…唯だなって、思って」

「……え?」

「ずっと、俺のことを呼んでくれてたんだろ?意識を失っている間中」

「うん、呼んでたけど…」

ぐずっと鼻をすすりつつ、唯は指先で目元を拭う。

「聞こえてたよ…その唯の声。俺自身は、誰が呼んでんのかわからなかったけど…ばーちゃんが、教えてくれたんだ」

「おばあちゃんが?」

俺はそれに一つ頷く。

「夢…だったのかもしんねえけどさ。早く目を覚ませって…お前の役目はまだ終わってねえから、早く行けって…そう、言われた」

「…やく…め?」

そう言って首を傾げる唯に、俺は真っ直ぐな視線を向けて一呼吸置く。


「……俺には、護らなきゃいけないヤツがいるってこと」


「れい…」

「俺…決めたから。お前がどう思おうが構わない。心を砕かれても、踏み躙られても、俺は唯を護っていくって決めたから。この先も…ずっとお前の傍にいるって…そう、決めたから」

唯は、俺の目を真っ直ぐに見つめ返しながら聞き終えると、手を離し、指先で目元の雫をもう一度拭い取り、何も言わずにゆっくりと立ち上がって、そのままベッドの脇に腰掛ける。

そして、前かがみになって片手で自分の体を支えると、もう片方の手を俺の頬に添わせてきた。

もう、溢れ出す涙は止まっていた。

かわりに彼女の顔には笑みが浮かんでいた。

少し、何かを企んでる風な、妖艶な笑みにも見えるその表情。

今こそあたしが笑うとき。そう言ってるようにも思えた。

やっぱり、唯の中ではGameが継続していて、自分の気持ちに背いてでも俺の心を砕きにきたか…

そう、覚悟にも似た感情を懐(いだ)いていた。

だけど、唯の口から出てきた言葉は、それとは全く別の予想もしない言葉だった。


「勝ち逃げなんて許さない…そう、言ったはずよ?」


「…え?」

唯の言っている意味が理解できなかった。

勝ち逃げ…なんて。負けたのは明らかに俺のほうなのに…

「あたし、言ったわよね?全てにおいて、あんたの上に立つ…って」

「あぁ…だから…」

「あたし、自分が負けてるって感じるのが嫌なの。自分がしようと思ってたことを先にやられるのが嫌なのよ…」

知ってるでしょ?そう言って、唯は微笑む。

全く唯の意図を読み取れない俺は、反応もできずに唯を見上げたまま。

そんな様子の俺に、唯はクスクスと笑うと、ゆっくりと体を倒して距離を縮めてくる。

少し泣き顔が残った、それでも整った綺麗な顔立ちが徐々に俺に近づいてくる。

「あたしも、あなたの傍に自分の場所を見つけたわ。自分らしく、ありのままの姿でいられる場所…笑ったり泣いたり、怒ったり…人間らしくいられる場所を。惚れてるの、玲…あたしも溺れそうなほどあなたに惚れてるのよ。だから、あたしを置いてどこかへ行ったりしないで…もう、一人ぼっちになりたくないから。ずっと、傍にいて…」

って、あたしが先に言うつもりだったのよ?と、視界が遮られる直前に見えた唯のニッコリと笑った顔。

ゆっくりと、自分の唇に柔らかい感触が広がっていく。


触れるだけのキス。

だけど、それだけでも十分に気持ちが伝わってくるほどの優しい口づけだと思った。


唯はゆっくりと唇を離すと、鼻先が当たるほどの近い距離で、

「これで、ドロー…でしょ?」

と、ニッコリと可愛らしく微笑む。

思わず、フッと笑いが漏れた。

まったく…

「ホント…負けん気の強い女…」

「あら、いまさら再確認?」

そう言って、クスクスと小さく笑う唯。


出会った頃から変わらない、唯のこの負けん気の強さ。

だけど、今の彼女の表情には、出会った頃に感じた陰りなんてなかった。

寄せ付けまいとする雰囲気も、もうなくなっていた。

今の唯は、温かく、俺を包み込もうとする柔らかい雰囲気で溢れている。

これが、唯の本当の姿…。


「まあ…わかってたけどね」

クスクス。と、笑いながらそう答えると、生意気!と言いながらも、彼女が同じように笑った。

それから視線を合わせたまま、唯が小声で囁いてくる。

「ねえ…宣言どおり、しっかり護ってよ?あたしのこと」

「あぁ…お前が傍で支えてくれるならな」

「そんなの、あたりまえじゃない」

俺たちは、互いに顔を見合わせて笑いあうと、そのまま距離を縮めて再びキスを交わした。

今度はどちらからともなく、自然に…


今、ようやく実感することができた。唯と出会った本当の意味。

唯と、あの日あのコンパで出会ったのは運命で

互いが幸せになるために、引き合わされたんだということを。


俺の中で新しい歯車が動きはじめたのを感じる。

唯と共に、支えあって生きていくために。

唯と共に、同じ幸せを掴むために。


俺たちは、やっと前を向いて歩きはじめることができる――――自分たちの人生を、自分たちの為に。


なあ、そうだろ?…唯。



次第に深くなるキス。

俺は自由の利く右腕で唯の後頭部を抱え込み、口内深くで唯の舌を絡めとる。

刺激的で官能的なキス。

ここが個室でよかった。なんて、唯の口から漏れ出した甘い吐息を聞きながら思ったのも束の間…

突然、脇腹あたりに鈍痛が走る。


「ん゛っ!…いってぇっっ!!」


その声に唯が弾かれたように体を起こしてベッドから飛び降りた。

「えっ…な、何?どうした??」

「おまっ…傷に…触っただろ…」

「えっ、嘘!?やっ、嘘ぉっ!!ごっ…ごめごめごめっ!!いっ痛い?痛いよね??…あ!っていうか!あんたが目を覚ましたら、ナースコールしてくださいって言われてたんだぁっ!!きゃぁぁっ。もう、どうしようっ…すぐっ、すぐ呼ぶからね?我慢、しなさいよ?」

「いや、我慢…できねえかも…」


だってさ…

奇妙な声を発しながら、必死になってナースコールをしているその姿に、今にも噴き出しそうだから。



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