*Love Game





なにが起こったのか、すぐには理解できなかった。

体に感じる玲の重み。

あたしを護るように、玲の体があたしを覆っている。

そして、玲の肩を通して見える、タケシの強張った表情。

後ずさりをしながら口をパクパクと動かし、声にならない声を洩らして額に大量の脂汗を浮かべている。

周りにいる男たちも、マジでやりやがった。などと口々に零し、青ざめた表情を見せている。


なに…が、起きたの?


ドクドクと嫌な速度で打つ鼓動。

あたしは急激な不安に押し潰されそうだった。


「………ってぇ…」


そう、微かに届いた、玲の掠れた声。

「え……れ、い…?」

玲は、あたしのその問いかけには答えずに、ゆっくりと体を離してタケシのほうへ向き直る。

「て…っめ…。こんなことして…ただで済むと思ってんじゃねえ…だろうな…」

「あわっ…わわっ…あわっ…」

玲がゆっくりと、一歩ずつタケシに近づく。

タケシはそれに恐怖の表情を浮かべ、後ずさりをし、躓き尻餅をつきながらもまだ後ろに下がる。

「クッ!これがっ…唯に刺さってたら…間違いなくお前はあの世逝きだ…」

「ひぃっ!!」

タケシが情けなく悲鳴をあげたのと同じくして、玲が手に持ったものを見たあたしの口からも小さな悲鳴が漏れる。

鋭く先が尖ったナイフ。

それは今しがたまでタケシが持っていたナイフだ。

そこには柄の部分まで赤黒い血が生々しく付着し、ポタッ…ポタッと雫となって垂れ落ちている。


まさか…まさかっ!?

あたしを庇って、玲が刺されたというの?

嘘……嘘っ!!


全身から血の気が引いていくのが分かる。

足がガタガタと震え、自力で立っているのが苦しくなる。

玲は、その血のついたナイフをそのままタケシに向けると、恐ろしいぐらい冷酷な声を響かせた。

「サツに…突き出されたくなかったら…今すぐここから失せろ。もしくは…俺にこのナイフで滅多刺しにされるかのどっちかだ…どうする?タケシさんよ…」

「ひぃぃっ!!ここっ…殺さないでくれっ!!!わるっ…悪かった。俺が悪かったから…」

「てめえだけは絶対に許さねえ。今後、俺や唯の前に現れてみろ…その時点で容赦なくぶっ殺してやるから。お前らもそうだっ!今すぐここから失せねえと、一人残らず殺す」

その、玲の迫力ある声と気迫に、一気にこの場がピーンと張り詰める。

そして、また一歩玲が前に踏み出すと、弾かれたようにタケシをはじめ、男達がこの場から這いつくばって逃げるように走り去っていった。


男達がこの場から去っていくのを見届けてから、張り詰めていたものが解かれたように、玲の手から、カランッ。と音を立ててナイフが落ちた。

「玲っ!…玲っ!!」

あたしの声に反応し、玲がゆっくりとこちらに顔を向ける。

穏やかな笑み…温かい眼差しを向けて。

「ゆい…大丈夫…か?」

玲は足を引きずりながらあたしの元までやってくると、縛られていた紐を解いてくれる。

間近で見る玲の姿は酷い有様だった。

顔じゅうに青痣をつくり、ところどころ皮膚が切れて血が滲み、赤黒い塊となって張り付いている。

ドロドロの服、ボロボロになった姿。


どうして…どうしてこんなになってまであたしの事を…


「どうしてよ、玲…どうして逃げなかったのよっ…どうしてこんなになってまで…」

「どうして…って?そんなの…決まってんだろ…っっ!?!」

「れ、れいっ!!」

フッと玲の体から力が抜け、崩れ落ちそうになる体を慌てて抱きとめると、そのまま一緒になってズルズルと地面に腰を落とす。

腕に抱きとめた玲は、間隔のあいた呼吸をし、時折苦痛に満ちた表情を見せる。

あたしは、静かに玲の体を横たえ、上半身を抱えあげた。

そして、先ほどの血に染まったナイフを思い出し、玲の体に素早く視線を滑らせ目が見開く。

ある一点で視線が止まる。


すごい…量の血が…


玲の、腰のあたりから夥しく広がる赤いシミ。

そこに手をあてると、ヌルッとした感触と同時に自分の手が真っ赤に染まる。

ガタガタガタっと急激に自分の体が震え出す。

恐ろしさのあまり胃液が込み上げもどしそうになる。

「唯?心配…すんな。どってこと…ねえよ、こんな傷…」

「そっ、そんなわけないでしょ?こんなに…こんなに血が出てるのに…」

あたしは急いで自分の着ていた上着を脱ぎ、傷口にあててギュッとそこを震える手で押さえる。

血を止めなければ、玲が…玲がっ…

そんな思いも空しく、瞬く間に自分の上着が血に染まり、押さえ切れなかったものがあたしの手を伝って落ちていく。

目頭が熱くなり、涙が零れ落ちていく。

「クッ…泣くなよ…唯。お前らしくねえな…大丈夫…お前が無事なら、それでいいから」

「そんなっ、よくない!大丈夫じゃないっ!!あたしの為に…どうして…なんでよ…」

「クスクス。まだっ…わかんねえの?」

「なによ、わからない!全然わかんないっ!!」

急展開すぎて頭がついていかない。

あまりにも衝撃的すぎて理解できない。

あたしの瞳からとめどなく溢れ出す涙。

そんなあたしを優しい眼差しを向けて見上げる玲。

そして、ゆっくりと目を閉じポツリと零した。


「認めてやるよ…」


「……え?」

「俺の…負けを…」

「なに…いって…」

一瞬、何を言っているのか理解できなかった。

玲はあたしに向かって微笑むと、血に染まった掌で頬を優しく撫でてくる。

涙で玲の顔が歪む。

頬に感じる玲の温もりに、更に涙が溢れ出す。


「俺…惚れてんだ…唯に…」


「………へ?」

「心底惚れてるよ…お前に…」

「れ…い…」

「いつの間にか…どうしようもなくお前に惚れてた…いつの間にか…俺の支えであって…俺の…大切な存在になってた…っ!!」

玲の顔が苦痛で歪む。

吐き出される息が、段々荒くなる。

それでも、視線はそのままあたしを見つめていた。

手は、頬に添えられたままだった。

「失いたくなかった…唯のこと。もう…誰も失いたくなかった…」

「玲っ…も…いい。もういいから…しゃべらないで…」

「見つけたんだ…俺の場所。俺が…俺らしく、人間らしくいられる場所…」

それが、唯の傍。そう、掠れた声で囁きながら、優しくあたしの目元を拭ってくれる。

そして最後の力を振り絞るかのように玲がぎこちなく体を起こす。

「れっ…玲?」

「俺…惚れてるよ、唯に…溺れそうなほど、惚れてるから…」

そういって、あとで笑えよ?と付け加えて少し笑うと、手をあたしの後頭部にまわして引き寄せ、唇を塞いできた。

柔らかく温かい、玲の唇の感触が自分の唇に伝わる。

ぎゅぅっと、何かに締め付けられるように、切なさが込み上げてくる。


笑えるわけないじゃない。

あたしだって、同じ気持ちなんだもの。


ズルイよ、玲。

いつだってあたしよりも先に行動してさ。

いつもあたしの心を翻弄させる。

あたしだって惚れてるのよ、玲。

あたしだって、溺れそうなほど惚れてるの…


あなたのことを、『愛してる』って、そう伝えようと思っていたのに…


先に、溺れそうなほど惚れてるから。って言われて唇を塞がれてしまったら、何も言えなくなっちゃうじゃない。

益々あなたに溺れちゃうじゃない…。

なんで…なんで、先に言うのよ……


ゆっくりと、玲の唇が離れていく。

そして、何かを言いかけた玲の体が、ズズッと倒れこんできた。

「え…玲?」

声をかけても反応がない。

「ね…ねぇ、玲?」

軽く体を揺すってみても。

「うそ…でしょ?ねえ…玲?玲っ!?」

玲の両肩を掴んで軽く押し上げる。

だらんと、うな垂れる玲の頭。

そのまま後ろに倒れていきそうになる、玲の上半身を慌てて抱きとめる。

バクバクバクッ。と、爆発しそうなくらいに胸が騒ぐ。

あたしは片腕で玲の体を支え、もう片方で軽く頬を叩く。

「玲?玲っ!?目をあけて…ねえ、目を開けてよ玲!!」


嘘でしょ?嫌よ、目を開けてよ玲!!

あたし、まだあなたに何も伝えられてないっ。


「玲っ…玲っ!!」


あたしもあなたの傍に、自分の場所を見つけたの。

ずっと、探し求めていたものを見つけたの!

だから…お願いだから、目を開けてよ玲!


「玲っ…目を開けて!ねえ、お願いだから目を開けてよ玲!!」


あなたが一番知ってるじゃない。

置いていかれる寂しさ…

一人ぼっちにされる孤独感…


「れいっ!…れいぃっ!!」


もう、あたしは耐えられない。

一人で踏ん張って生きていくなんてできないよ。

あたしだって玲を失いたくない…

あなたまで失ってしまったら……

だから…だからっ…


声が掠れるほど必死で玲に呼びかけても、彼からの反応はなかった。


代わりに、彼の腕が力なく地面に垂れ落ちた。


「玲?…レイっっ!?…いや…いやぁっ…いやぁぁぁぁぁぁっ!!!」


あたしを置いていかないで…

あたしを一人ぼっちにしないで…


ずっと傍にいて欲しいの…玲、あなたに。
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